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絶賛インストール中だった、あの子の話

わたしは個人事業主としてアート教室を営み、かれこれ10年になる。
今日は、かつて教室に通ってくれていた、ある男の子の話をしたい。

その子は、まるで体に「一時停止ボタン」を搭載しているかのような年長さんだった。

周りの子どもたちがどんどん制作を進める中で、彼だけが見事なまでの「静止画」なのである。

筆は持っているし、
真っ白な紙も目の前にある。

なのに、カーソルがピクリとも動かない。
頭上で砂時計がグルグル回っているのが、ハッキリ見える(気がした)。

もうね、Wi-Fi飛んだ?って二度見するレベルである。



お迎えに来たお母さまは、そりゃあもう心配する。

「先生、うちの子、ぜんぜん進んでなくて……」
「みんなについていけてないんじゃ……」


わかる。
他の子がガンガン手を動かす中、わが子だけがフリーズしていたら、心配になるだろう。


ただ、わたしは彼を違うふうに見ていた。

あ、この子はいま、脳内の裏側でとんでもないデータ量のインストールをしている真っ最中なのだ、と。

「ここに線を引いたらどうなる?」
「この色を置いたらどうなる?」

手は止まっているが、脳内CPUは限界突破でフル稼働している。

見えないシミュレーションに全振りしているせいで、まだ、描き出せないだけなのだ。


だからわたしは、お母さまに

「大丈夫ですよ。いま、絶賛インストール中ですから」

……とは、言えなかったけど(言えよ)、

「自分のペースで頑張っています。アイデアが生まれてくるのを、楽しみに待ちましょう」

そう伝えた。

ここで「早く描きなさい」と急かしてしまったら、せっかく浮かびかけているものが消えてしまう気がしたから。


それから数年。

中二になった彼が、お父さまの転勤で教室を去る日がやってきた。

すっかり背の伸びた彼は、帰り際、照れくさそうに手紙をくれた。
そこには、小さかった日の彼の本音が、ぽつり、ぽつりと書かれていた。

「なにをやるにも遅い自分が嫌いでした」
「でも先生が『楽しみに待とう』って言ってくれたから、ずっとアート教室を続けられました」


って。


わたしがしていたのは、「いっぱいアイデア思いついてたね」と、彼の中で起きていることを勝手に言葉にして、隣で待っていただけである。

その場では何のリアクションも返ってこなかった。
でもわたしの気持ちは、ちゃんと彼に届いていたらしい。



アトリエの子どもたちを見ていると、人間って本当に、一人ひとりOSが違うんだなって思う。

サクサク処理する軽量アプリ型の子もいれば、起動に時間はかかるけれど、すごい時間をかけて名画を描く重量級ソフト型の子もいる。

しかも、子どもってたまに謎のタイミングで「突然のアップデート」が始まったりもする。

だから、相手のペースを尊重して、生まれてくる「何か」を待つ。
それが、わたしの大切な役割なのだと思う。



そう。かく言うわたし自身も、アイデアが出るまでは鬼のように時間がかかる。

側から見たら「もしかして目あけたまま寝てる?」と疑われるレベルの超低速回線だ。たぶん通信速度は、ダイヤルアップである。

ピー……ヒョロロロロロ……。


ま、こればっかりは仕方ない。
急に高速化しろって言われても、できん。

でもね、寝落ち疑惑をかけられても、ダイヤルアップでも、わたしはのんびりと生きていく。
そのほうが、わたしの人生、楽しいよね。
きっと。

あの子、元気にしているかな。
彼にしか出せない色や形を、あの子自身が大事にしてくれていたら嬉しい。

▼アート教室の日々です▼


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