江戸の遊女の暮らしの川柳~誹風柳多留より
遊郭が男の日常生活に当たり前にあった江戸時代。そのころ流行した川柳にも遊郭や遊女のことが詠まれる。
江戸時代の川柳を古川柳といい、古川柳は、七七の前句に対して五七五で答えるものだ。
宵立の客は何やら聞きかじり
3-604宵立の客は何やらききかぢり とまりこそすれとまりこそすれ
宵立の客とは、泊まるつもりでいたけど宵のうちに帰ること。
時間的にも他の部屋では男女の睦言がはじまっている。ときには激しい声も聞こえる。泊まり客のお楽しみの最中なのだ。防音完備のホテルと違って、日本家屋は声が通る。
不便な部分もあるが、高温多湿の日本では、コンクリートの家より木造建築の方が住みやすい。これも長年の知恵。
前句は「泊まりこそすれ」で、そのまま泊まりの客のことを詠んでいる。
十八の暮れに大事の客が切れ
3-236十八の暮に大事の客が切れ もしやもしやともしやもしやと
前句で、もし、こうだったら、「もしやもしやと」と聞かれて、そうだ、もし大事な客がいなくなったらどうなるんだろう、と詠んだ句。
十九は厄年になるので、あんまりいいことはないだろうと思っていた矢先に起きた出来事。しかも年末。年末には年末精算やら金はいるし、新年の準備も必要だ。そんなときに大事な金づるのお客が来なくなった。遊女だけでなく、他の商売でも同じだろうが、十八歳でそんな金の心配をしなければならないなんてね。
厄年は、女性では、19歳、33歳、37歳。男性では、25歳、42歳、61歳。こんなの迷信だといわれそうだが、実際に体調が変化しやすい年齢だろう。経験からいわれることには、ただの迷信でかたづけることができないものも多い。
遊女の勤めが終わる年季明けは二十代後半になるが、部屋持ちの遊女になる前の新造は十三~十七歳。若い。こんな子が女郎屋に勤めていたのだ。禿と呼ばれる子どもは六~十三歳くらい。もっと若い。
新造も見よう見まねにまげにやり
3-212新ぞうも見よふ見まねにまげに遣り かくしこそすれかくしこそすれ
新造は、まだ若い女郎。
「まげに遣る」とは、質屋にものを入れること。「まげ」は「曲げる」で、「十」という字の下方を右に曲げると「七」になる。つまり「七屋=質屋」ということ。また、質屋のことを「七つ屋」ともいっていたそうだ。
若い女郎が、見よう見まねで質屋通いをするようになる、と詠んでいる。新造がまねする、部屋持ちの姉女郎は、新造や禿の世話をしなければならないし、衣服や調度品も、それなりにそろえなければならない。花魁の生活は、優雅に見えて実は生活が苦しいので、質屋通いをしているのだ。そんな内情は客に知られてはならないので「隠しこそすれ」となる。
遊女の生活の一端が知られる。
タイトル画像は、「新美人合自筆鏡」北尾政演(山東京伝)画、天明四年1784年蔦屋重三郎刊の模写。

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