十四傾城腹之内①~人間の臓器が活躍する、なんとも不思議な江戸のマンガ絵本
マッサージのツボというものがあるが、ツボは正式には「経穴」といい、体内の「気(エネルギー)」の出入り口だといわれる。「気」は、「覇気」として、マンガ「ワンピース」でもおなじみだが、東洋医学では、気の流れを示す「経絡」やツボである「経穴」の図がある。
「経絡」のまとまりは全てで十四あるといわれる。
経絡の「経」と傾城の「傾」のダジャレで、人体のツボのように、女郎の腹のうちをさぐるというタイトルとなっている。「十四」の数字は傾城に関しては、特に意味はないようだ。
黄表紙「十四傾城腹之内」は、芝全交(1750~1793)作、北尾重政画(?)、黄表紙がすたれる前の寛政五年1793年、鶴屋喜右衛門発行の三巻三冊。挿絵は北尾派の絵で、山東京伝の師匠、重政だと思われる。
その現代語訳(学問的ではなく、かなりの意訳)を三回に分けて紹介する。
上巻
自序
腹には心肝の父母あり。総領(長男)の甚六ならぬ腎六の腎臓、えっちのしすぎで腎虚になれば、ハエではなく肺はあごで追われ、火のような脾臓はえっちで興奮する。十四経絡のうち、手には、太陰、少陰、厥陰の三陰あり、足には、陽明、太陽、少陽の三陽あり。十四傾城、こんなときには、手練手管の手のあるやつに、足をつけ、おのおのお足のお金の計算、工面の算用算段あり。手の三陰ならぬ三年は年いっぱい。足の三陽ならぬ算用、三里に灸すえる。手の少陰、小陰唇なら大淫婦。書道の手のないぐちゃぐちゃ文字。足のないような千鳥足の酔っ払い。目の病気には少陽ならぬ小便をぬり、足は太陽ならぬ大便で雪隠に落ちる。どっこいさっこい、おお危ない。えいやらやっと、止めました。何を止めたか、筆を止めたとしか云々。
寛政五年正月 芝全交
一

真向きになって嘘言をつく図
おや、馬鹿らし、どうしんしょう。
二

後ろ向きの尻を抱いて誤る図
癪が痛うおす、後ろを向きんしょう。
三

「心の臓」すべて傾城、花魁の言葉にて、
「ほんに、わたしの胸の内を、ぬしに割って見せとうおっす。わっちが心意気は、そうじゃあおっせん。心が見せたいのう」
と言って腹を割って見せたところが、心というものは心の臓なり。うわべと心はとんだ違い、かくのごとし。
① 遊女「ほんに、わたしがこれほどに思っていんすのに、つれないことをおっせんす」
腹の中『好かねえ客だけれど、役に立つ人だから、まず泣いて、あとは行事のためのお金を借りればいい。ああ、おかしい。あはは、あははあははは』
客「そういう心とは、つゆ知らず」
こんな野暮なあいさつをする客は、とことん金をむしられ、尻の毛まで抜かれる。
② 遊女「聞きなんし。隣にいるお客が、『あいつと切れてしまえ。そうしたら女房にしよう』と言いやしたわな。どうしようの。待っていておくれ。ちょっと隣へ行ってきんす。気がもめる晩だよう」
客「早く行ってきや」
③ 遊女「今夜のように、お客が重なったことはない。これからトイレへ行って、伊勢屋にいるお客の方へ顔をださねばならねえ。ばからしくいそがしい」
④ 遊女「これ、おまえのう、吉綾さんのところへ行って、『下着をちょっと貸しておくんなんし』と言って、借りてきや。そっと言うんだよ。ええい、『はい』と返事をしやれ。好かねえ子だよ」
⑤ 遊女「菊浦さん、一杯飲ませておくんなんし。聞きなんし。今夜は、いっそ客が重なって、気がもめんす。ぐっと飲んでから行きやんしょう」
菊浦「わたしのお客は、宵のうちに帰りんした」
心というものは、とんだ気が多いものなので、客が二三人も重なった晩などは、どうにもいそがしくて、心が休む間もなし。
心がいっそぐちゃぐちゃもめるから、あくる日、アイロンをかけてしわを伸ばす。これを「気伸ばし」という。気が伸びるときは、手足も伸びをして、「ああ、昨夜はくたびれた」などと言う。そうそう、昔も炭火で暖めて使うアイロンがあったのさ。
心の臓は、色赤く、「火」を意味し、スイカの看板のごとし。
心の臓と書いておかなければ、赤カブとまちがえます。
四

心の臓の次は、肝の臓なり。
肝の臓は、形青くして、「木」を意味する。
心の臓は、腹の中の親玉で、先生なり。肝の臓は、心の臓の召使いにて、万事万端、腹の中のことは、みな肝の臓が命令を聞き、腹の中の番頭なり。そこで、朝晩三度の食事や、今日はお茶を何杯飲んだ、酒は何度、小便が何度、大便が何度、くしゃみはいくつ、おやつにサツマイモが二本に、棒状のお菓子が三本、目の中にブヨが飛び込んだ、ということまで帳面につけ、毎晩、体が寝ると、出納簿をつけるので、腹の中のみんなは、すべて肝の臓がしているので、いそがしいことはなし。これみな、心の臓への奉公なので、勘定合って銭足らず、ならぬ、肝臓あって銭足らずの法なり。
脾胃袋(脾臓と胃袋)は、宝絵に描かれる延命小袋のような形で、金持ちのようにして、おとなしい雰囲気を出したがる。
癪の虫は、真っ黒で、南蛮人とやって来た黒人のようなり。
腹の虫(怒りをおこすもと)は真っ白で、ミミズのふやけたようなもので、年中、くなりしゃなりとなまけていて、なにかというと腹が痛くなる。
腹の虫「昨夜は、もし、親方、わしらはよく腹が痛くなりました。大根おろしにショウユをかけたやつを食べたから、大当たりさ。今日もちょっと痛くなりたい。食べたいな」
と、とかく相手をおどかしたがる。
脾胃「今日は、朝飯前に『じれったい』といって、茶碗酒を一杯、皿に残ったキノコを一つ、昨夜、残ったままにしていた飯に茶をかけ、これが二杯、あと大豆の煮たもの、これが朝飯とみえました」
五

肝の臓の次は、腎の臓なり。
腎の臓は形黒くして、「水」を意味する。だから、水桶や容器や小鉢、なんでも水の入りそうなものに、やたらに水を吸い込ませ、体にうるおいを与える水売り商人なり。しかも、肝の臓とは隣り合わせで、仲良く、親類のような関係なり。水を減らさないように、商売を大切にしているが、きつく心労、苦労があるときや、気をもんだり、不摂生があると、予定外の水が減る。
あるとき、一夜のうちに腎の臓の水がよほど減りけるので、おおきに驚き、肝の臓、脾胃袋を呼び、相談する。
腎臓「肝の臓様はお隣であり、一つ腹のことなので、さっそく申しあげます。昨晩、旦那の心の臓様から、なんの届けもないのに、このように水が減りました。脾胃袋様は、昨晩、水の減りそうなものを食べたと帳面に記録されていますか。何か書き忘れのものはござりませぬか。これで、もう一夜、このように水が減れば、どうしようもなくなります」
肝玉「これほどの水の減りようは、なにか理由があるはずだ」
肝玉は画面では膽玉と記載している。
六

本当かうそか知らないけれど、女の心の臓は、形が女なり。男の心の臓は、男なり。心の臓は、ちょいと内緒で水を使わねばならないこともあれど、五臓たちには言わず、内緒で使ったことはばれないだろうと思っていたところ、腎の臓が、それを発見し、家来ではあれども、あとの四臓たちが軽蔑するだろうと思い、「おお、はずかしい。どうしようか」と、肝を潰すと、すぐに肝玉(膽玉)が反応し、肝が平らになって、半分潰れる。
肝臓「肝が潰れて大変でございます」
肝の臓は、忠臣なことを言う。
心臓「あれ、肝が潰れた。そなたたちの思うところ、われながらはずかしい。ひもじいではないぞ」
肝玉「やられた~。みしゃみしゃみしゃ」
東洋医学では、人間の内臓を、五臓六腑という。五臓は、肝臓、心臓、脾臓、肺、腎臓であり、六腑は消化器の、肝(膽)、小腸、大腸、胃、膀胱、三焦(体内の気の通り道)をいう。
また、五行説というものがあり、全ては火水木金土の五つからできていると考えられた。五臓も、その五つに分類されている。
当時読まれた「解体新書」(1774発行)にあるような内臓を擬人化し、内蔵の働きを紹介しながら次回につづく、
黄表紙の始まりといわれる恋川春町の「金々先生栄花夢」(1775年)の現代語訳は、こちら、
黄表紙の代表作、山東京伝の「江戸生艶気樺焼」(1785年)の現代語訳は、こちら、
これらの中に、他の黄表紙の紹介もあるので見てほしい。
