夏が来れば思い出す、戦争の傷跡は観光地となり、人々の記憶から消えていく~遺骨収集の旅
ニューギニアやガダルカナル、ラバウルが戦争の記憶を残した地であることは知られているが、グアムやパラオが戦場であったことを、どれだけの人が知っているのだろう。
若者だけでない、年金をもらっている年代の人間だって、どれだけの日本人が、かつての戦場はどこであったのか知っているだろうか。
日本遺族会は、戦没者遺骨収集事業をしている。
コロナ禍でどうなるかわからないが、令和3年度の実施予定地域(5月段階)は、
①ミャンマー(旧ビルマ)
②マリアナ諸島(グアム他)
③パラオ諸島
④トラック諸島
⑤マーシャル諸島
⑥東部ニューギニア
⑦ビスマーク・ソロモン諸島(ブーゲンビル、ガダルカナル他)
⑧インド
⑨フィリピン
⑩インドネシア
⑪その他(モンゴル、樺太、千島他)
となっている。
その他に、旧ソ連(抑留中の死亡)や硫黄島が実施予定地域となっている。
帝国書院の「戦争別死傷者数」によれば、日清戦争で17,798人、日露戦争で238,666人が死傷している。
軍人の死者だけを見ると、日清戦争13,825人、日露戦争85,082人が亡くなっている。それが日中戦争の死者は185,647人と18万人を越え、太平洋戦争では1,555,308人、155万人以上が亡くなっている。帝国書院の資料では、昭和12年~16年を「日中戦争」とし、昭和17年~23年を「日中戦争・太平洋戦争」としている。
太平洋戦争というのは、アメリカなどの連合国側からの呼称であり、日本側は日中戦争も含めて大東亜戦争と呼んでいた。
太平洋戦争の戦地となったのが、太平洋上の上記の場所だ。155万人以上の人が亡くなったのに、遺骨も届かないことがいくらでもあった。仲間が死んだことはわかっていても、遺骨を持って帰ることができない。自分たちもいつ殺されるかわからない状態。だから今、遺骨収集事業をしている。
ミャンマー(旧ビルマ)では、陸軍がイギリス陸軍と戦った。竹山道雄の「ビルマの竪琴」は映画にもなって有名だ。投げ捨てられている数え切れない日本兵の死体を慰めようと、僧侶となった主人公はビルマに残る。
アウンサンスーチーの父、ビルマ建国の父と呼ばれるアウンサン将軍も、日本名、面田紋次(おもたもんじ)として戦っている。そういう歴史がある。当時の戦いが現代にもつながっている。
グアムやサイパンでは、アメリカ軍との戦いが続き、日本軍が壊滅すると、日本軍が使っていた空港をアメリカ軍が使い、日本本土への空爆基地とした。そこから飛び立つB-29によって、大量の焼夷弾が日本の各地に落とされ、広島、長崎には原子爆弾まで落とされた。
太平洋戦争は、日本の真珠湾攻撃から始まった。同時にマレーシア、フィリピン、グアムでも日本は軍事行動を開始した。
当初は攻勢に見えた日本だが、国力の違いすぎるアメリカに対抗できるわけもなく、1942年のミッドウェー海戦からアメリカの反攻が始まる。ガダルカナルの戦いで大敗し、1944年、マリアナ沖海戦、サイパン島の戦い、レイテ湾海戦と敗退を続け、1945年には硫黄島の戦い、沖縄の戦いと続き、原爆投下を経て敗戦となる。
本土空襲では、戦闘には関係ない一般市民が大量に殺された。戦場ではどうか。
南方の軍人は戦って戦死したかというと、病死や餓死、つまり島への食糧の供給を絶たれての飢え死に。そうして亡くなった方が多い。
南の島々はそういう歴史を持っている。餓死した日本兵の死体の上に今がある。
コロナ禍で今はできない海外旅行。人気のツアーにグアムやサイパンが出てくる。
戦争の歴史を知らない人々がレジャーを楽しみにやってくる。まだ見つかっていない遺骨が眠る土地の上で遊んでいる。歴史を知らないのだから責めることもできない。
中国本土での戦いも続いた。そこでも多くの死者が出ている。
戦後は、急遽参戦した旧ソ連の捕虜となり、非人間的な扱いを受け、何年も日本に帰してもらえず、厳しい寒さのシベリアで「抑留中の死亡」が多く出た。
そういう歴史を、どれだけの日本人が知っているのだろうか。
せめて夏休みに、子どもたちに、こういう具体的な歴史を教えていきたい。
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