天道大福帳①~忠臣蔵の黄表紙的解釈
「金々先生栄花夢」(1775年)から始まった黄表紙は、江戸の町だけでなく、江戸土産として地方にも広がった。どんな作品かというと、なんということもない、今でいうマンガだ。江戸の時代にマンガがあった。それをみんなが見ていたのだ。
黄表紙「天道大福帳」は、朋誠堂喜三二(1735~1813)作、北尾政美(1764~1824)画で、天明六年1786、蔦屋重三郎(1750~1797)から刊行された。
サブタイトルである角書は、「新建立忠臣蔵」とある。江戸時代には、赤穂浪士四十七士を題材とした忠臣蔵の人形浄瑠璃や歌舞伎がたくさん上演された。これをみんな見ていた。それを黄表紙流に解釈した作品となっている。
三巻三冊の現代語訳(忠臣蔵の解説をつけながら意訳して)を三回に分けて紹介する。
上巻
発端
そもそも天道様の商売というものは、善をなす者には幸いを与えて、悪をなす者には禍いを与え、仮にも贔屓や不公平はない。されば、善人は天道を怖れることはないが、怖れているからこそ善人でいられる。悪人は天道を怖れねばならぬはずなれど、怖れないからこそ悪人なり。されど、天を怖れる善人も、天道様に鰯一匹でも捧げ物をしたという話は聞いたことがない。悪人も、天道様にワイロを送ってから悪事をはたらくものでもない。天道様へ捧げ物をするのはお芝居の中だけだけれども、芝居の中での捧げ物は中身のない空の捧げ物ばかりなり。されば、いかに元手のいらない商売なれども、三千大世界の人々を、たった一人で見守られるのは、おおかたのことではなく、この世ができてから今にいたるまで、昼夜関係なしに骨を折って、三文の得にもならないはずだなあと思えば、いやいや徳があるぞあるぞ、この話をよっく見て知るべし。
一

およそ、親孝行な人あれば、その気は固まって小判となり、天に昇る。忠義の臣下は忠の気が固まって小粒金になり、天に昇る。男女の関係が正しく、よこしまなことをしなければ、その気は丁銀となり、つつしみ深い出家坊主は、その徳が固まって豆板銀となり、ともに天に昇る。自分より年上の人を敬えば、その気は南鐐銀となり、天に昇る。友だちを大切にすれば、その気は銭となり、天に昇る。
悪事を働けば、その気は固まって火となり、天へ昇り、金銀を溶かしてしまう。高慢の気は、固まって味噌となり、やきもち悋気、嫉妬の気と一つになって、焼き味噌となって天に昇り、同じく金の気を減らす。ゆえに、五倫の道徳を守れば、天は富み、正しくなければ、天は貧しくなる。
これをもって、善をすすめ、悪をこらしめたまうは、天にもそれだけの理由があることであり、道理にかなったことである。天はこれ、大通の親玉、油断はしないで、とか云々。
天の川の周りにはみな蔵がある。
天人「小判は孝行の蔵へ入れるぞ」
下界の声「孝行とは、浅漬けやたくわんの香々がしまってある蔵のことか」
天人「糠漬けを作っている目立たぬ糠星(小さな星たち)の仕事も大変なこった」
下界の声「いまいましい。焼き味噌が消えた。小粒銀を早く片付けないと消えていくよ」
天人「今の人は信心のない願いばかりで、銭がなかなかやって来ません」
天人「とかく色事ばかりの世の中で、本物の出家坊主はいないようで、丁銀と小玉はとんと見ていません」
天人「今の世の中は、むやみにへりくだることばかりなので、南鐐銀がたくさんやって来る」
当時の貨幣は、大判、小判の金貨があり、丁銀、豆板銀の銀貨があった。豆板銀は、小玉ともいわれる。金貨はさらに、二分金、一分金、一朱金となる。一分金を小粒金という。銀貨も、一分銀、一朱銀となる。銅貨は、一文銭と四文銭があった。明和(1764~1772)の時代には、田沼意次の経済政策で南鐐銀が発行された。
二

いくら天道といえども、悪いことをすればすぐに罰をあて、よいことにはすぐに恵みを与えられるわけでもない。
集まった金銀を月末に勘定する。そこで、悪人の気が強くて金銀が不足するときは、それに応じて、だんだん罰を当てたまう。また、時によっては、すぐに罰を当てることもある。時には、罰を当てたり利益を与えることを忘れてしまうことも、まれにあり。お忙しいから、ご無理もないことだ。必ずこれを恨んではならない。
塩冶判官「これこれ、まずは立ちなされ」
高師直「若狭之介殿、いかに若いと言っても、ばかばかしい」
若狭之介「師直殿、それはお言葉が過ぎます」
天人「かほよという女に、師直は気があるようでござります」
天人「あれ、若狭之介をいじめております」
天人「あれはワイロが足りないからさ。大福帳につけておいて、晩に申しあげよう。これはこのまますみそうだ」
「仮名手本忠臣蔵」(1748年初演の、竹田出雲等が描いた人形浄瑠璃)の大序「鶴ヶ岡八幡宮の場」を描く。
戦死した新田義貞の兜を改める場。大きな「高」の文字を染めた高師直が、一緒に調べる桃井若狭之介にいじわるをしている場面。同じく調べる係の塩冶判官の妻かほよに、高師直が横恋慕して物語がスタートする。
「大福帳」は、商人が売買の勘定を記入するもの。「天道大福帳」という、この作品のタイトルは、天道様に報告するための、忠臣蔵のできごとの記録、というような意味。
三

天人「高師直を斬り殺しては塩冶判官の家がつぶされてしまうと考え、若狭之介の桃井家の家老、加古川本蔵に止めさせました」
天道「おいおい、それは困った。殿中(城の中)で刀を抜いただけでお家取り潰し。いらぬ猿知恵でよけいなことをした。おれがよそ見しているうちに、とんだことになった」
天人「注進注進、申しあげます。ただ今、塩冶判官自宅謹慎で屋敷に到着しました」
お軽「勘平どん、どうしようのう」
勘平「塩冶判官の家来、早野勘平、主人の安否が気になります。ここを開けてくだされ、開けてくだされ」
天人「それみろ、色事をしていた罰が当たったぞ」
三段目「足利殿中の場」の「勘平駆けつけの場」での舞台
塩冶判官の妻かほよにふられた高師直は、塩冶判官にやつあたりをする。あまりの悪口に塩冶判官は高師直に斬りつけるが、桃井家の家老本蔵が止め、他の者たちにも取り押さえられる。
塩冶判官と共に城に来た家臣の早野勘平は、城を出て、恋人のお軽と逢い引きをしていて主君の危急に間に合わなかった。
この場面は、事件を知った勘平がお軽とともに城門に駆けつけたところ。
四

役人の星は、与一兵衛を助ける役だったが、ちょっとさぼって、舞台の大山崎町ではなく、遊郭のある祇園町の方を見ているうちに、つい与一兵衛は殺されてしまい、申し訳のために、鉄砲のねらいを変えさせて、定九郎を撃たせる。
定九郎「久しぶりに五十両、手にはいった、ありがたい」
天人「この熊手は、人間の目には見えないからありがたい」
天人「おいおい、そっちはイノシシだ。ここはしっかり定九郎を撃ってくれねば、おまえも困るし、おれや芝居の観客も困ってしまう」
天人「あのイノシシは撃たれずしあわせな猪だ。
あの客はよく柿食う客だ
のようだ」
五段目「山崎街道の場」
鎌倉から駆け落ちしたお軽と勘平は、山崎のお軽の実家で猟師として暮らしていた。
主君塩冶判官の仇討ちに加えてもらえない勘平のためにお軽は身売りして軍資金五十両を手にし、それを持って、父の与一兵衛が夜道を歩いていると、今は盗賊となった塩冶の重臣斧九太夫の息子定九郎が、与一兵衛を殺し、金を奪う。そこへ猪が走って来、猪をねらった勘平の鉄砲の弾が定九郎に当たる。
まちがえて人を撃った勘平は、五十両を手にし、これを仇討ちの軍資金にしようと、その場を離れる。
五

星の役人、与一兵衛と定九郎の次第をいちいち申しあげる。
天道「それは重ね重ね軽率なことをした。そちたちにいいわけがあるか。そもそも、なななな、なんとだ。わかったかい」
天人「ははあ、おそれいりたてまつりました」
次回に続く、
「忠臣蔵」を知らない人も今は多いだろうが、以前は年末になるとテレビで「忠臣蔵」のドラマをしていた。江戸城で吉良上野介に切りつけ切腹した赤穂藩主浅野内匠頭の仇討ちを、大石内蔵助を中心とした四十七人が行う。四十七人それぞれのドラマがあるので何度もドラマ化された。
江戸時代にも、人形浄瑠璃や歌舞伎で何度も上演されたが、こちらは舞台を鎌倉時代にし、吉良上野介を高師直、浅野内匠頭を塩冶判官、大石内蔵助を大星由良助として演じられた。
これらの話を江戸の人々は、ほとんどが知っていた。本作は、そのすじがきのまま、各舞台の裏話として描く。
黄表紙の始まりといわれる恋川春町の「金々先生栄花夢」(1775年)の現代語訳は、こちら、
黄表紙の代表作、山東京伝の「江戸生艶気樺焼」(1785年)の現代語訳は、こちら、
これらの中に、他の黄表紙の紹介もあるので見てほしい。
