「わたし」の言葉が世界を創る
誰かの役に立つ文章を書きたい。
誰かの記憶に残る一節を紡ぎたい。
誰かを救う言葉を世の中に残したい。
世の書き手は須らく、そんな願望を抱いているのではないだろうか。画面や紙面の向こうにいる読み手の喜ぶ姿を想像しながら、丁寧に語彙を選択し、リリースのタイミングを慎重に決定する。周りの評価や「いいね」に一喜一憂するのは、読まれることを切望しているからに他ならない。
しかし同時に、こうした願いとは別の、もっと純粋な欲求も抱えているはずだ。
自分の書きたいことを、自由に書きたい。
自分の伝えたい内容を、伝えたい形で届けたい。
自分の思っていることを、思った通り表現したい。
誰かのためと自分のため。この両者のバランスをどう保つかは、書き手の永遠の課題と言っても過言ではないだろう。
僕は時々、昔に書いた文章を見返す。とりわけ、辛い気持ちになった時には読み返すようにしている。過去の自分の文才の無さに悲観することもあるけれど、あの頃の自分だから書けたであろう表現に出会う度に、誇らしい気持ちになる。拙いながらに言葉にしようとしてくれた自分に、「ありがとう」と伝えたくなる。そうやって過去の自分を肯定できると、その延長に生きる「今」の自分も認めてあげられるような気がするのだ。書くことで、僕は僕を支えてきた。
書くことは「利己的」である。文字を介在させることで「自分」と少し距離を置き、散漫した考えと溢れ出てくる感情を受け止め、整理し、未来の自分のために残す。日々を生きる中で埋没しかけている「自分」という存在を掘り起こして、なんとか守ろうとする。実に、自分中心の行為である。
だが、他者に影響を与える可能性はある。一人ひとりが浮かび上がらせた「自分」が、SNSやメディアを通じて誰かに届く。その一つひとつに触れることで、私たちは世の中に多様な考えがあることに気付く。それぞれの想いと困難を背負って生きていることに気付く。そこに気付く人が増えれば、異なる価値観を尊重しながら共存を図る社会を創れるのではないだろうか。
僕は、これからも自分のために書き続ける。
あなたも「あなたのため」に書いていきませんか?
自分の言葉が誰かを救っても、直接お礼を言われることはないかもしれない。でも、「わたしのため」に紡いだ言葉は、自分の知らない場所でよりよい世界を創ると思うから。多様な社会の一員たる「わたし」を救ってくれると思うから。
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