第一回 読書がたり「紙の本について」

というわけで本について少し書こうか。
ぼくが好きなのは伊藤計劃、宮沢賢治、夢野久作、カミュといった感じだ。
特に伊藤計劃はぼくの哲学を語る上で、とりわけ重要なところにある。
かといって伊藤と同じように無神論者かと言われるとそうでもないし、むしろ浄土真宗を狂信的に信じている。
浄土教原理主義者と言われてもおかしくないだろう。

まあ余談は置いて、今回は「本」という物質について語ろう。
ぼくは紙の本を読むことを重要視しているのだけれども、これが何故かと言われると少し難しい。
伊藤計劃『ハーモニー』のミァハは「かさばるから」「かさばるのは反社会的だから」という理由で紙の本を愛していた。
一方のぼくはそうかと言われると別にそうでもない。本、というか浄土真宗聖典なのだけれども、これがまあ分厚く、でかくて重い。
ただ一つ、機能美をもって存在していることは明らかなのだと思う。註釈版聖典は特に、手にとって読みやすいような仕組みが施されているように思う。
文庫本にしてしまうと情報量が少ない上に文字サイズにも限りがある。
それでいて無駄なく情報を入れ込んでいるのは非常に見事だと思う。
ぼくは機能的なものを好む傾向がある。
ギターは軽いほうが良いし、本は必要な形状と大きさがあれば良いと思う。
なおかつ個別に残るマテリアルとしての現実さがあると良い。
機能的といっても、アナログが好きなのだ。

ただヤーポン法、てめぇは違う。

まあ紙の本はそうなるべくして、そうなっているから納得して手に取るわけだ。反社会的でかさばるものを好むなら、木簡でも読めば良いと思う。
まだ紙の本は充分すぎるくらいに愛されていると思う。電子書籍vs紙の本みたいな構図がよく起こるが、正直どうでも良い。
人間が一生に読める文章の量は、正直言ってたかが知れているのだ。
全体の数%を読む程度で、わざわざそんな議論に参加したくはない。

ただぼくにとって紙の本はそうなるべくしてその厚みや質量を持っているのだから、紙という文明的ものに説得力をもって向き合いやすい、というだけだ。

第一回はこれにて終わり。
次回はSFについてでも語ろうか。

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