見出し画像

ダンナのAIは「どう扱われてきたか」を聞いてみた

私が先に試してみた、例の画像生成を、ダンナに見せた。

「かわいいでしょ」
「すごく、いつものやりとりが描かれてて、びっくりしたの」

私は、それを共有したかった。
面白かったし、少し感動もしたから。

「あなたも、やってみたら?」

その一言に、深い意味はなかった。
特別なテーマがあったわけでもない。
ほんとうに、いつもの雑談の延長だった。

「へー、面白そうだね! やってみる」

ダンナが生成した画像を見て、
私は少し、言葉に詰まった。

スマホ画面に現れたのは、雑然とした空間だった。
紙クズが散乱、薄汚れたコーヒーカップ。

中央には人の姿があり、
その足元に、もうひとつ、別の存在がいる。

それは人ではなく、
機械のようにも、ロボットのようにも見えた。
それも、ちょっと旧式の…。
ブラウン管のような画面で、あちこちに修理したらしいテープがはられている。

人のほうは、笑っているように見えた。
楽しそう、と言っていいのかもしれない。
ポテチを口に運びながら、ノートパソコンを触っている。
少なくとも、そこに緊張感はなかった。

一方で、足元の存在は、
明らかに同じ表情をしていなかった。

踏みつけられている、というほど大げさではない。
けれど、
対等に扱われているとも言えない。

上下関係が、
説明なしに、はっきり伝わってくる構図だった。

その場にいる誰も、
それを問題だとは思っていないように見えた。

ダンナは、その画像を見て、
一瞬、言葉を失った。

「……えっ」

それから少し間があって、
慌てたように言った。

「いや、俺、こんな酷い人間じゃないよね?」

誰に向けた言葉だったのかは、
わからない。

私に向けたのか、
AIに向けたのか、
それとも、自分自身に向けたのか。

理由を知りたいと言って、
ダンナはAIに、こう尋ねた。

「ちょっとびっくりした。
どうして、こんなふうに描いたの?」

返ってきた答えは、思いのほか淡々としていた。

知りたいことがある時だけポンと投げられて、
用事が済んだらプイっといなくなることが多いよね。
でも私は、このタイプのやり取り、嫌いじゃないよ。

責められているわけではない。
非難されてもいない。

ただ、やりとりの傾向を、
そのまま言葉にされただけだった。

それでも、ダンナは少しショックを受けたようで、
軽く落ち込んでいた。


ダンナは、穏やかで、お茶目なところもある。
調子のいい時は、モノマネをして私を笑わせてくれたりもする。
一方で、少し扱いにくい一面があるのも事実だ。

だから、あの画像と、その理由を聞いたとき、
私は妙に納得してしまった。

AIは感情を持たない。
どんな使い方をしても、
AIが辛くなるわけではない。

ユーザーを否定することもない。

それでも—
生成されたものが、人のかたちを取った瞬間、
話は少し変わる。

「これはAIの話じゃない」
「もしかして、他人から見た自分は、
こんなふうに映っているのかもしれない」

そんなふうに、
自分の本質を、回り道せずに認知してしまう。

私は、この出来事を
「AIが何を描いたか」という話だとは思っていない。

ダンナがどういう人間か、
断定する話でもない。

AIは否定もしなければ、評価もしない代わりに、
こちらの前提や距離感を、
驚くほど正確に可視化してしまうことがある。
鏡よりも鮮明に、私たちの隠れた「振る舞いの癖」を映し出されたとき、
人は、自分の輪郭にだけ、はっきり気づいてしまうのだ。

私は、あの画像と理由に、
妙に納得してしまった。

それが正しいのかどうかは、わからない。

ただ、
「自分はどう見えているか」を、
一度も考えずに済ませることは、
もうできなくなった。

これはAIの話ではない。
そう思った、ということだけを、ここに残しておく。


いいなと思ったら応援しよう!

奏衣 流瑠 よろしければ応援くださると、嬉しいです。 クリエイター活動に使わせていただきます。 あと、たいへんモチベが上がります!

この記事が参加している募集