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【自己紹介】わが子を理解できなかった私が、親子関係について書く理由

こんにちは。かなえです。

たくさんの記事の中から、この記事を読んでくださり、本当にありがとうございます。

気がつけば1,000人を超える方にフォローしていただけるようになりました。
noteをはじめた時には想像できなかったことで、本当に心から嬉しく思っています。

本当にありがとうございます。

今日は少しだけお時間をいただいて、
私がなぜこのnoteを書いているのか、
その原点をお話しさせてください。


「正解を出すこと」が当たり前だった私


私は、高校教師と学習塾経営者の両親のもとで育った長女です。

気づいた時には、

「できるのが当たり前」
「90点以下は点数じゃない」
「期待に応えるのが当たり前」

であり、それが自分の役割だと
無意識のうちに思っていました。

努力すれば結果が出る。
世の正解に合わせることが正義。
そういう世界観の中で育ちました。

そして、それを疑わず、
それこそが正解であり、安定であり、幸せだ、と疑うことなく信じていたのです。

ところが、育児という世界に入った瞬間、
それまでの全てが通用しなくなりました。


子育てという「未知との遭遇」


私が娘を出産したのは30歳の時です。
それまで大手企業でフルタイムで働いていました。

「子育て」というものも、
あるマニュアルに沿って育てていけば
結果はついてくるもの
と、どこかで思っていた私。


そう進めることが、
私にとっても子どもにとっても最善であると信じていました。

ところが。



実際育児を始めると、私が思い描いているものとは、全然違う。
「こうすれば、こうなる」と思うことが、まったく通用しない。


努力しても結果はついてこない。

例えば、
寝かせようと思っても、まったく寝ない。
食べさせようと思っても、まったく食べない。
叱ってもやめない。
言うことをきかない。

どれも子どもにあるあるで当たり前なんです。
でも当時、無意識のうちに、
「(世間的な)いい子を育てる子育て」
「他人からほめてもらえる子育て」
をしていた私は、

母から
「なんで寝ないのかしら」
「なんで食べないのかしら」
などと言われると、
自分を「ダメな母親」だと責め、
娘を「悪い子」だと責めていたのです。

そんな私の心中を知らず、親の顔色を一切うかがわず、毎日自由に振る舞う娘を見るたび、
「一体どうしたらいいんだろう」という気持ちが積もり積もって、
ある時、考えが妙な方向に向かっていきました。

「この子は、本当に私の子なのかな」

今だから書けますが、本当にそう思うようになっていたんです。


間違いなく、私の子。
それでも、
「病院に行って、赤ちゃんの取り違えがなかったか確認してみようかな」とまで思っていたのです。

それぐらい、娘のことがわからなかった。
それぐらい、追い詰められていきました。


私の思い込みが崩れた瞬間


「いったい私はこの子とどうやって向き合っていったらいいんだろう」と思いながら、娘が3歳になった頃。

スーパーで買い物をしていた時、

娘が「ママ、これ買って」とお菓子を手にとりました。

「いいよ。その代わり帰ったらピアノの練習しようね」と言った時、
娘はニコニコしながらこう言ったんです。

「じゃあ、いらない😊」

そして、すぐにお菓子を棚に戻しに行きました。

「え? お菓子ほしいんでしょ?」
「ううん、いらないよ」
「買ってあげるよ」
「ううん、いらない」

娘は私を困らせようとなんて思っていない。
ニコニコ笑って横を歩いている。


もうお菓子のことを気にしていないし、
私に悪いことをしたなんて、
私の想定外だなんて思っていない。


娘はただ、自分に正直な行動をしただけ。


でも私は、「お菓子をいらない」と言った娘に腹を立てていた。
素直に言うことを聞かないことも、
ニコニコお菓子を戻したことさえ気に入らない。


ここでふと思いました。

私、なにが気に入らないんだろう、って。

そうなんです。
「好きなものを買ってあげたら言うことを聞くだろう」という
私の枠の中に入らない娘が気に入らない。


「こういう時、私は親の言うことを喜んで受け入れてた」って。


こうなるはず、こうしてほしい。
それは全部、私の勝手な思い込み。


娘はそもそも、そこに収まる必要なんてなかったんです。

「この子は最初から、
私とはまったく別のひとりの人間だったんだ」

「この子は私の思い通りになる必要なんてない。はじめから自由な人間なのだ。」

それに気づいた時、私の中の強烈な呪縛のようなものが解け、私は「自分の思い込み」という眼鏡をはずし、娘を私とは別の「ひとりの人間」として見るようになったのです。


それからの娘との日々は、それまでの私の価値観や人生観を根本から変えていく、
「ともに生きる」時間に変わっていったのです。

娘を枠にはめるのをやめたとき、
同時に私自身も、自分を縛り付けていた「正解」という呪縛から自由になれました。

娘との生活を通して、それまで培われてきた私の価値観、思考、マインドは180度変わり、
新しい景色の人生を歩むことになったのです。

(とはいえ、その後も山あり谷あり崖ありです🤣)


親という存在の大切さ


子育ての一方、私は再就職し、20年に渡り、
接客、商品企画、広報のほか、スタッフの採用や育成に携わり、

日常的に、主に20代~40代の女性スタッフから、
仕事のことだけでなく、恋愛、結婚、子育て、転職、家族のことなど、
さまざまな相談を受けてきました。

好きな人がいるのに踏み出せない。
転職したいのに決められない。
やりたいことがあるのに、自分に許可を出せない。
家を出たいのに出られない。
自分に自信がない。

悩みはそれぞれ違います。
けれど、話を聞いていくと、よく出てくる言葉がありました。

「親がどう思うかなって…」

20代、30代、40代になっても、何かを決めようとする時、心の中に親の顔が浮かぶのです。

それは、親という存在が、子どもにとってそれほど大きい存在であるということなのだと思います。

だからこそ私は、子育てをしながら
「親子のあり方」
についてより一層考えるようになりました。

親子の信頼とは。
親子がそれぞれの人生を大切にしながら、
自由に生きていくとはどういうことなのか。

その問いを持つようになってから、
大学時代に学んだ心理学に加え、脳科学や行動学、量子力学なども学びながら、親子の関わりについて考え続けてきたのです。


このnoteで書きたいこと


親子であっても、いつかそれぞれの道を歩む時がきます。

親子が信頼しあい、それぞれの人生を尊び、
それぞれが思い描く人生を生きていくには何が大切なのでしょう。

子どもにはそれぞれの特性や個性があり、その子なりの道があります。

でも、その道は必ずしも親が知っている道とは限りません。

親が知らない子どもの特性もありますし、
親が想像もしなかった道へ進んでいくこともあります。

そんな時、親が不安になるのは自然なことです。

けれど、子どもと一緒に歩いていると、
親だけでは決して見られなかった新しい景色に出会うことがあります。

子どもの何気ない一言に驚いたり、
予想もしなかった成長に胸がいっぱいになったり、
子どもがいたからこその出会いもあるし、
親のほうがたくさん教えてもらうこともあります。

そう考えると、子育てって

「 親子でまだ見ぬ景色に出会う大冒険 」

じゃないかな、と思うのです。

とはいえ、
私自身、子育て中は、子どもの成長とともに、
失敗、後悔、葛藤の連続でした。

そんな私自身の経験や気づきも交えながら、
このnoteでは、今、子育ての中方が、何かでふと悩んだ時に、少し見方が変わったり、気持ちが軽くなったりするようなヒントを、心理学や脳科学の視点を交えながら、わかりやすい言葉でお届けできたらと思っています。

そして、目の前の困りごとだけでなく、

「これから先、どんな親子でいたいだろう」

という未来からの視点も、
ときどき一緒に考えていけたらと思っています。


私は今、80代と90代の親の介護をしています。
この歳になっても親子にはいろいろあります。

だからこそ、親子関係は子育ての時期だけのものではなく、一生続いていくものなのだと感じています。

こんな、皆様より少し先の時間からの気づきも交えながら、この場所で一緒に親子について考えていけたら嬉しいです。

長い長い記事を最後までお読みいただき、
本当にありがとうございました。

これからも心を込めて書いていきますので、
また読みにきていただけたら嬉しいです。

今後とも、どうぞよろしくお願いいたします🌿

かなえ


P.S. 今後の投稿について

約1か月前にnoteをはじめ、先月は投稿時間や記事の内容、読者の方に読みやすい長さなどを試行錯誤しながら書いてきました。

現在、親の介護のことなどもあり、今後は夜の投稿を中心にお届けしていこうと思っています。
一つひとつの記事を、これまで以上に大切に書いていきます。

みなさまが読んでくださることが本当にうれしく、日々の励みになっています。
本当にありがとうございます!

よろしければ、ぜひフォローやコメントいただけたら嬉しいです🙇✨

これからもどうぞよろしくお願いいたします🙏


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