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イオンシネマ海老名(旧ワーナー・マイカル・シネマズ海老名)の思い出

遠い昔、かなりちかくの映画館で……。

※この記事にはAmazonアソシエイトリンクを含みます。

2026年5月17日、ひとつの時代がひっそりと、確かな重みを持って幕を下ろす。
イオンシネマ海老名――かつて「ワーナー・マイカル・シネマズ海老名」と呼ばれたその場所が、33年の歴史に終止符を打つ。


引用もとhttp://ibatan1.blog90.fc2.com/blog-entry-206.html

1993年(平成5年)4月24日の開業。
単なる地方都市における娯楽施設の誕生ではなく、日本の映画興行史を根底から覆す「黒船」の到来であった。
ひとつの施設内に7つのスクリーンがひしめき合い、床は段差のあるスタジアム形式。
全席指定のシートには、ドリンク用のカップホルダーまでが備え付けられている。
今でこそ誰もが当たり前のように享受している「シネマコンプレックス(シネコン)」というシステムが、日本で初めて産声を上げたのが、他でもないこの海老名だったのだ。
入れ替えすら曖昧で、立ち見や紫煙の匂いが染み付いていた旧態依然とした映画館の常識は過去のものとなった。
徹底的に管理・洗練されたエンタメと変革を遂げた、はじまりの場所。
そんな日本映画史における記念碑的な空間が、すぐの生活圏内という、「かなりちかく」に当たり前のように鎮座していたことは、途方もなく贅沢な巡り合わせだった。

かつてこの場所には、氷が張られていた。
シネコンが産声を上げるずっと前、1979年(昭和54年)にこの巨大な建造物は「ニチイ海老名店」として開業している。

当時はスケートリンクだったのだ


当時、のちに映画館のスクリーンが並ぶことになるその場所には、広大なスケートリンクが広がっていたのだという。
1993年に大増床とともに「海老名サティ」へと名を変え、スケートリンクは、暗闇の中で無数の夢を見る「ワーナー・マイカル・シネマズ」という箱へと姿を変えた。
その後、2011年には「イオン海老名」へと看板が掛け替えられ、幾度もの時代のうねりとともに、建物の名前も風景も移り変わってきた。

名前が変わろうとも、この「日本最古のシネコン」が私の生活の中に刻み込んできた記憶は計り知れない。
私自身、この映画館には並々ならぬ執着と、まるで実家の匂いのような愛着がある。
たとえば、私の姉が、まだ幼かった頃、サティ時代のワーナー・マイカルで『美少女戦士セーラームーン』の映画を観たという思い出は、我が家のささやかな歴史のひとコマとして刻まれている。
スケートリンクの跡地に建てられたそのシネコンは、間違いなく地域の子供たちにとって、見知らぬ世界へと繋がる一番身近な「どこでもドア」だったのだ。

ワーナー・マイカル・シネマズ時代という響きには、今もノスタルジーがまとわりついている。
ワーナー・ブラザースとの合弁施設であった館内は、アメリカの華やかなシネマ・カルチャーの香りに満ちていた。
ポップコーン売り場の上やロビーのあちこちに、バッグス・バニーが配置され、ブルーを基調として空間、そこが日常とは切り離された場所であることを意識させた。
記憶の奥底に鮮烈に焼き付いているのは、本編が始まる直前に必ず流れる、マナー啓発のショートアニメーションである。

客席の照明が落ち、暗転したスクリーンにワーナーのロゴが浮かび上がると、お馴染みのルーニー・テューンズのキャラクターたちがスクリーンの中でドタバタ劇を繰り広げ始める。
客席で大騒ぎをしたり、フラッシュを焚いたり、当時のごつい携帯電話(あるいはポケベル)を鳴らしてしまったりするダフィー・ダックやヨセミテ・サムたち。
ニンジンをかじりながら余裕たっぷりに現れるバッグス・バニーのあの軽妙な声。
「どったの?センセイ(What's up, doc?)」
あの聞き慣れたセリフを耳にすることが、私にとって映画を観るまでの準備運動だった。
今となってはもうその映像がスクリーンで流れることはないが、暗闇の中でポップコーンの匂いを嗅ぐと、あの陽気なウサギの顔とセリフが、脳裏に蘇ってくる。


私が本格的に「映画」に傾倒したのは、2008年頃のことだった。
そして翌2009年、私は初めて「ひとりで洋画のチケットを買い、ひとりで暗闇に座る」という、映画ファンにとっての通過儀礼を迎えることになる。
家族や友人と出かける「娯楽」から、孤独に対峙する「体験」へと映画の概念が切り替わった瞬間だ。
その初陣の舞台となったのが、このワーナー・マイカル・シネマズ海老名だった。
記念すべき一人での洋画初鑑賞。
十代の若者が選ぶには些か渋すぎたが、クリント・イーストウッド監督・主演の『グラン・トリノ』(日本公開は2009年4月)であった。

ワーナー・ブラザースが配給する『グラン・トリノ』を、ワーナー・マイカルの劇場で観るという巡り合わせ。
お馴染みのルーニー・テューンズの陽気なマナー喚起が終わり、ワーナーの盾のロゴが浮かび上がる。
スクリーンには、イーストウッド演じる気難しい退役軍人、ウォルト・コワルスキーの深く刻まれた皺と、彼が愛するヴィンテージ・カー「フォード・グラントリノ」の鈍い輝きが映し出された。

ポップコーンの匂いが漂うシネコンの座席に深く沈み込みながら、私はイーストウッドの圧倒的な画面の支配力と、人生の終幕に向かっていく男の凄みに息を呑んだ。
ハリウッドの内側にいながら、一切の無駄を削ぎ落とした演出力だけで孤高の作家性を放つ巨匠の息遣いを、私は海老名の暗闇の中で一人、確かに浴びた。
振り返ってみれば、あの日あの場所で、誰の干渉も受けずに『グラン・トリノ』の余韻を一人で抱え込んで劇場を出た体験こそが、私を「映画を語る」という逃れられない業へと決定的に引きずり込んだ原点だった。

同じ2009年、ワーナー・マイカル・シネマズ海老名での私の映画遍歴を語る上で、もうひとつ忘れられない思い出がある。
それは6月の終わり、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』の公開初日のことだった。

あの映画が持っていた異様な熱量と期待感は、今でも肌に焼き付いている。
私は朝イチの上映回に駆けつけるべく、まだ静まり返っている海老名サティ(当時)の前に立っていた。
私の他にも、同じような熱気を帯びた数十人の同志たちが、まだ閉ざされたシャッターの前に群れをなしていた。
しかし、開館予定時刻が近づき、そして過ぎても、一向にシャッターが上がる気配がない。
少しずつじりじりと待機列の中に「何かがおかしい」という不安と焦燥が静かに広がっていった。
映画の開始時刻は無情にも迫っている。

その時だった。列の少し離れたところにいた一人の観客が、不安を切り裂くように声を張り上げたのだ。

「映画館の入口、ここじゃないですよ!反対側です!」


その一言で、空気が一変した。
私たちが待っていたのは、映画館の開館時間にはまだ開かない、モール本体の正面玄関だったのだ。
早朝から映画を観るためには、建物をぐるりと回った駐車場側にある「映画館直結の専用入口」に向かわなければならないという、シネコン特有のローカルルールを、私たちはすっかり見落としていたのである。
「えっ!」「マジか!」という声が上がり、シャッター前で待機していた数十人のエヴァファンが一斉に踵を返し、建物の外周を駐車場側に向かって猛ダッシュし始めた。
あの善意ある見知らぬ一人の叫びがなければ、私たちは間違いなく冒頭のシークエンスを見逃していただろう。
息を切らしながら専用入口に滑り込み、薄暗い廊下を抜けて劇場ロビーに飛び込んだ時の安堵感は、今でも鮮明に思い出せる。

私が雪崩れ込んだのは、海老名が誇る最大キャパシティ、あの「スクリーン7」日本初のTHX認定スクリーンだった。

スクリーン7 THXスクリーンだ!


満席の熱気に包まれた巨大な暗闇。
THXの重厚な音響システムが、エヴァンゲリオンの地響きのような咆哮と、鷺巣詩郎のスコアを私の身体の芯まで突き刺してきた。
猛ダッシュという物理的な興奮状態も相まって、完璧に統制された環境で浴びる『破』の圧倒的なエンターテインメント性は、間違いなく私の人生における「最高の映画体験」のひとつとして、強烈な記憶の礎となっている。


あの凄まじい熱狂の裏には、当時の映画業界のいびつな(そして今となっては信じがたい)パワーバランスがあった。
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』の最初の二作(『序』と『破』)は、クロックワークス(とカラー)の配給によるものだった。
現在でこそ深夜アニメの劇場版が興行収入ランキングのトップを独占し、シネコンの最大スクリーンを何週間も占拠するのは当たり前の光景だが、2009年当時の映画興行において、アニメーション映画——それもスタジオジブリや国民的ファミリーアニメではない、コアなオタク向けの作品——の上映規模は、今とは比べ物にならないほど小さかった。
事実、海老名駅を挟んですぐ近く、ビナウォークに鎮座する巨大なライバル館である「TOHOシネマズ海老名」は、この歴史的な『破』のお祭り騒ぎに見向きもしなかった。
メジャー配給の王道作品がTOHOに流れる一方で、当時のワーナー・マイカル・シネマズは、どこかインディペンデントで、サブカルチャーの熱量をしっかりと拾い上げてくれる「受け皿」としての矜持を持っていたように思う。

メインストリームの巨大シネコンが軽視するような作品であっても、そこに熱狂があるなら、THXという最高の音響設備を備えた最大スクリーン(スクリーン7)を惜しげもなく提供してくれる。
あの時期のワーナー・マイカル・シネマズ海老名は、私のような本物のオタクにとって、単なる娯楽施設を超えた文字通りの「生命線」だったのである。

オタクたちの生命線であったと同時に、この劇場は私のような神奈川の郊外に住む映画ファンにとって、もうひとつの極めて重要な役割を担っていた。
それはワーナー・マイカル時代から脈々と受け継がれていた、ミニシアター系作品の「セカンドロードショー(遅れネット上映)」という粋な番組編成である。
通常、単館系のエッジの効いた作品を観るためには、わざわざ電車に乗って渋谷や新宿などの都内のミニシアターまで遠征しなければならない。
しかしこの劇場は、都内で話題になった良作を数週間から数ヶ月遅れで、しれっと地元のシネコンのスクリーンにかけてくれたのだ。

そのおかげで私は、『キック・アス』の常軌を逸したポップな暴力に度肝を抜かれ、ニコラス・ウィンディング・レフン監督の『ドライヴ』で夜のロサンゼルスを疾走するネオンとシンセポップの静かな狂気に酔いしれ、トーマス・アルフレッドソン監督の『裏切りのサーカス』の息が詰まるような英国の陰鬱なスパイ戦を、都内まで出向くことなく海老名のスクリーンで堪能することができた。
巨大なシネコンでありながら、どこか街の小さな名画座のようなキュレーションの意志を感じさせ、メインストリームの超大作から、深夜アニメの劇場版、そしてシネフィルの舌を唸らせるカルトな傑作まで。
TOHOシネマズという「王道」が隣にあるからこそ、海老名のワーナー・マイカル(そして後のイオンシネマ)は、地方都市の若者に多様な映画の文脈を接続してくれる「文化のインフラ」として機能し続けていたのである。
しかもどういうわけか、この劇場は時折、とんでもなく粋な「狂気」を見せることがあった。


海老名という、都会とも田舎とも言い切れないこの県央のベッドタウンにおいて、『ドライヴ』や『裏切りのサーカス』のような渋くエッジの効いたミニシアター作品は、どれだけの動員が見込めるか期待出来ないため、客席数の少ない小さなスクリーンでひっそりと消化するのがシネコンのセオリーだ。
しかし、当時の編成担当者の気まぐれなのか、あるいは何かしらの矜持だったのか、そうした「たいして人が入らないであろう作品」に対して、時たま劇場最大級のハコである「スクリーン7」、すなわちあの日本唯一のTHX認定スクリーンを割り当てることがあったのだ。

これが、映画ファンとしては本当に、狂おしいほどに嬉しかった。
都内の小さなミニシアターに足を運べば、良質な作品に出会える。
しかしそこは往々にして、スクリーンは小さく、音響も必要十分といった環境であることが多い。
しかし海老名では、都内のシネフィルたちが小さな画面で観ていた傑作を、ジョージ・ルーカスが定めた完璧な品質基準である「THX」の重厚な音響と、スタジアムシートの巨大なスクリーンで浴びることができたのだ。
『ドライヴ』の心臓の鼓動のようなシンセサイザーの重低音や、『裏切りのサーカス』の緊迫感を生む静寂の解像度。
巨大なスクリーン7の客席には、私を含めてわずか10人程度しか座っていなかったかもしれない。
私は、あの完璧に調整された暗闇の中で密かに確信した。
今、『ドライヴ』と『裏切りのサーカス』を、日本で最も優れた環境で堪能した「唯一の観客」なのだ、と。

ガラガラの巨大スクリーンで最高の映画を独占するのは、この劇場でしか絶対に味わえない特別な魔法だった。
やがて時代はうねり、劇場の風景も少しずつ変わっていった。
2013年、ワーナー・マイカルが日本国内の劇場運営から撤退し、すべての劇場がイオンエンターテイメントへと統合された。
かつてロビーで私たちを出迎えてくれたバッグス・バニーは姿を消し、あのアメリカンでポップな雰囲気とともに、屋号は「イオンシネマ海老名」へと変わった。
「どったの?センセイ」というお決まりの文句がなくなり、スタンプ制だった紙のポイントカードも、いつしかデジタルのシステムへと移行していった。
経営母体が変わり、看板が掛け替えられたことで、あの愛すべき「ワーナー・マイカル」の魂は完全に消え去ってしまうのではないか。寂しさと不安を抱いたことを覚えている。

その懸念は杞憂に終わった。
名前は「イオンシネマ」という日本で最も巨大で大衆的なチェーンに変わっても、海老名のあの劇場が持っていた「上映ラインナップの哲学」は、しっかりと受け継がれていたのだ。
TOHOシネマズという王道の隣で、ミニシアター系の小規模でエッジの効いた作品をすくい上げ、時には「こんな作品を?」と驚くようなカルト的な人気を誇るアニメーションに、惜しげもなく最高の環境(スクリーン7のTHX)を割り当てる。
県央地区の映画ファンを狂喜させた「気まぐれな狂気」は、イオンシネマ海老名になっても確かに息づいていた。

時が経ち、私自身の映画との付き合い方にも変化が訪れた。
ひとつの大きな転機となったのは、辻堂に巨大なショッピングモール(テラスモール湘南)が開業し、そこにIMAXシアターを擁する「109シネマズ湘南」が誕生したことだった。2011年のことである。
ちょうどその頃、私は運転免許を取得し、自分の車を手に入れていた。
「移動の自由」を手にした若者にとって、映画館の選択肢は一気に神奈川県全域、そして都内へと拡大したのだ。
超大作が公開されれば、「大作はIMAXで観る」というのが私の中での新たな絶対的ルールとなった。
最新鋭の映像と音響を求めて辻堂へ車を走らせる。
映画館そのものの空間や設備の違いに魅了され始めた私は、新百合ヶ丘のシネコンへ足を伸ばし、新宿や渋谷のミニシアター群を歩き回り、横浜の歴史ある劇場を訪ねるという「映画館を巡る冒険」に夢中になっていった。
見上げるほどの巨大なIMAXスクリーン、あるいは都内の洗練されたアート系ミニシアター。
そうした新しい「外の世界」の刺激を知ってから改めて地元に戻り、イオンシネマ海老名の座席に座ると、劇場の設備の古さやスクリーンの見劣りを感じずにはいられなかった。
そして何より、いつ行っても観客が少ないのだ。
話題作の公開週末であっても、隣のTOHOシネマズがごった返しているのを尻目に、こちらのロビーや客席にはどこか閑散とした空気が漂っていた。
しかし、私の足は、この古びて寂れたシネコンから遠ざかることはなかった。
周囲のノイズや他人の気配に煩わされることなく、静寂の中でスクリーンと自分だけが対峙できる環境。
空調の音だけが微かに響くガラガラの客席は、まるで自分専用に用意された巨大なプライベートシアターだった。
誰にも邪魔されず、最も快適に映画の奥底へと没入し、集中できる完璧な聖域。
最新鋭の設備を求めてあちこちを冒険したからこそ、この「空いている海老名」という空間が、どれほど贅沢で、居心地の良い場所であるかを再確認していたのである。

薄暗いエントランスに足を踏み入れた瞬間に包み込まれる、少しひんやりとした青を基調とした空間。
足音を吸い込むように設計された、静音のための厚いカーペットの踏み心地。
何より、ロビーの空気に深く染み付いた、あの甘くて少し焦げたようなポップコーンと、濃厚なバターの匂い。
それらは単なる劇場の物理的な構成要素ではない。
あの青い壁紙の少し色褪せた質感を目にし、カーペットの上のふかふかとした感触を足裏で味わい、バターの匂いを肺の奥まで吸い込んだ瞬間、私の中のスイッチが切り替わるのだ。
私の脳と身体を日常の世界から切り離し、「今から映画の暗闇へ」という純粋な鑑賞モードへと強制的に移行させる、確かなスイッチだった。


十代の頃に初めて一人で『グラン・トリノ』を観たあの日からずっと、私の映画体験は常にこの匂いと感触とともにあったのである。
そして今、そんな私の思い出の詰まったイオンシネマ海老名が、2026年5月17日をもってその歴史に幕を下ろそうとしている。
それは単に、ひとつの古いシネコンが街から姿を消すというだけの話ではない。
青いカーペットを踏みしめ、バターの匂いに包まれて未知の世界へダイブしていた私の「青春」そのものが、物理的に失われてしまうことを意味する。

強烈な喪失感と寂しさを抱える私に対して、この劇場は最後の最後に、あまりにも粋で、完璧な「お返し」を用意してくれていた。
劇場のフィナーレを飾るラストランの目玉、それは『スター・ウォーズ』全作品の一挙上映である。

ラストランに向けた“スター・ウォーズロード”


奇しくも今は「ゴールデンウィーク」
かつて映画業界が客を呼ぶために作り出した造語であるこの連休に、ジョージ・ルーカスが映画館の環境を統制するために作り上げた「THX」という完璧なシステム(スクリーン7)で、最大の神話である『スター・ウォーズ』を浴びるように観ることができる。
映画ファンにとって、これ以上美しい手向けがあるだろうか。
私はこの連休中、時間の許す限り海老名へ足を運び、あの暗闇の中で『スター・ウォーズ』を観るつもりだ。
配信の普及によって「洋画を観る」という体験そのものが危機に瀕しているこの不確実な時代に、確かな手触りがあった青春に、私自身の手で静かにピリオドを打つために。
フォースではなく、映画と共にあれ。
そう願いながら、私はまた、あの匂いのするロビーへと歩みを進める。


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