冷酷なる一万年の旅路 (1) 〈歩く民〉ポントス・カスピ海大草原 ”冷酷なる騎馬族” との出会い ”ヒト-ADSL遺伝子”
§ 出会い
『さて、大地の起伏をたくさん越えてゆくと奇妙な音が聞こえてきたので、(仲間の)彼らはそれを「大地の雷」と呼んだ。一族の中には、それを〈山が転げ落ちる〉と勘違いして大地に身を伏せる者もあった。しかし他の者たちは、それが多くの四つ足が近づく音だと言い、立ち上がって走り出した。多くの蹄の下で倒れる草のような目に合いたくなかったからだ』。
(引用 1998ポーラ・アンダーウッド著〈歩く民〉星川淳 日本語翻訳版・一万年の旅路 から)
§ 二本足の冷酷なヒトと四本足の蹄
『そのとき、地平線に〈二本足で歩く者〉が現れた。最初に見えたときは二本足だと思ったが、その下には逞しい頭と大地に轟く四本足の蹄を持った〈大いなる獸〉がいた。そしてその上にまたがった二本足は、険悪な民だった。』
(引用 1998ポーラ・アンダーウッド著〈歩く民〉星川淳 日本語翻訳版・一万年の旅路から)
§ 天変地異のように荒々しい幕開け
〈冷酷な騎馬族〉と〈歩く民〉との出会いは、こうして大草原の只中で突然始まった。歩いて移住の旅をする部族が、語り伝えた天変地異のように荒々しい、暴力的な事件がこれからの物語の幕開けになるのだ。
§ 険悪な騎馬族
『彼らが威勢よくわれらの中へ乗りつけると、その獸によって突き倒される者や、二本足の拳で倒される者が出て、彼らは我々のわずかな食べ物を奪った。彼らはわれわれがたずさえた毛皮もすべて奪い、彼らはわれわれの理解できない乱暴な言葉を吐いたので、われらはそこを立ち去らなければならないことをさとった。』
(引用 1998ポーラ・アンダーウッド著〈歩く民〉星川淳 日本語翻訳版・一万年の旅路から)
§ 長老 〈雪の冠を頂いた叡智ある老女〉 を 〈雪の冠〉と呼ぶ
大集団で現れた騎馬族は「険悪な民族」として〈歩く民〉に描写されている。この出会いは、いきなり暴力的な場面で始まった。かようにして〈歩く民〉は前進することが困難な危機的状況に陥ることになった。
騎馬族は、手慣れた動作で悪怯る様子もなく襲ってきた。不意を突かれた老若男女と子供達は、その場に凍りつくすしかなかった。
だが、この危機的状況を一人の老女が救った、それは〈歩く民〉の長老でありリーダーでもあった〈雪の冠を頂いた叡智ある老女〉だった。彼女はこれまでも、一族の困難を何度も救ってきた指導者だ。
§ ”気付き” を部族全員に与える叡智ある指導者
伝承によると、〈雪の冠〉は部族だけの特徴を持った、指導者として登場する。この老婦人は決して命令をしない、『 ”気付き” を部族全員に与える叡智ある指導者』として描かれている。この気付きから、部族全員によるディスカッションが始まる、という具合だ。
私達が知っているピラミッド構造の指導者とはかけ離れた存在なので、いきなり理解することが難しい。一方、〈歩く民〉には男性の指導者も選ばれている、決して女性だけが選ばれているわけではない。〈長びと〉は男性の指導者として描かれ、彼は ”大切な古の知恵を守る狩人” として登場する。そして、〈雪の冠〉に対しては常に敬意と礼節を保ち続けるのだ。
§ 〈雪の冠〉が険悪な騎馬族の一人を打ちすえた
『そして、われらは〈海辺の渡り〉へ向かって北の東の北へ進んだ。その途中、歩くための杖で〈雪の冠〉が険悪な民の一人を打ちすえたため、彼らもそれ以上〈大いなる獸〉を近づけようとせず、われらを先へ進ませてくれた。』
(引用 1998ポーラ・アンダーウッド著〈歩く民〉星川淳 日本語翻訳版・一万年の旅路から)
ここで〈海辺の渡り〉とは大陸と大陸をつなぐ ” ベーリング海峡 ” を指しています。次回の”冷酷なる一万年の旅路(2)ベーリング海峡を渡る〈歩く民〉” で詳しく触れます。
§ 〈歩く民〉 は 『 武器 』 なるものを全く持っていなかった
〈歩く民〉は『武器』なるものを全く持っていなかった、このことは、、、そう、道中の危険から自衛のための武器を必要としてはいない、ということだ。
1万年前の、メソポタミアではこれが常識として流布していた、としか考えられないものだ。老人や子供を同行しての長旅に、無防備で出かけるという常識が、極く普通のこととして在った、という驚きである。
一方、〈険悪な騎馬族〉も武器といえば大きな獣の〈騎馬〉ぐらいのものだった。だが、武器のない〈歩く民〉には〈大いなる獸の馬〉は一族を弾き飛ばすほどに強力な「攻撃的な武器」だった。ことは、騎馬族が武器を持って〈歩く民〉を襲ったのだ!
さらに付け加えておかなければならないことは、騎馬族は屈強な男性だけだったのだ。
§ 〈雪の冠〉の機転
困難な状況は〈雪の冠〉の機転で乗り越えることが出來た。〈歩く民〉が出会った騎馬上の部族はかなり大きな集団だった。加えて、統制がとれた組織的な行動を見せている。このような略奪はその様子から、これまで幾度となく繰り返された結果のことのようだ。この頑健で男性集団だけの騎馬部族が見せた冷酷さと乱暴さは、この物語の進行とともに、いくつかの場面でお目にかかることになる。
§ 民族移住旅行の物語は遺伝子解析の結果と矛盾しない
この光景、実に一万年前の新石器時代の事件だ!、、眼の前で繰り広げられていることのように描かれたこの情景に、私は深い感銘を受けた。これを絵空事とは、私には思え無いのです。更に、彼らの旅の物語は遺伝子解析の結果と矛盾しないことも確認出来ています。ここに描かれている騎馬部族は民族学、言語学、考古学的にも実在のものなのです。こうした裏付けをこれから見てゆきたいと思います。
(冷酷なる一万年の旅路 (2) ベーリング海峡(ベーリンジア)を渡る〈歩く民〉・ハプログループC(Y-DNA))
§ 水没とベーリング・アレレード温暖期の危機的状況
〈歩く民〉がメソポタミアの地を離れる事となった状況は深刻なものでした。氷河期から温暖期へと気象が転換し、これが原因となり、広大な緑の大草原が海面の上昇によって徐々に、じわじわと浸水し、4千年後には全面的な水没という事態に至ったのです。
この頃、気候変動『ベーリング・アレレード温暖期・南部寒冷化、北部温暖化(紀元前1万2000年から紀元前1万年)』が起こり、〈歩く民〉の北上移住を決意する動機を強く後押ししたのだった。ところが、後にこのことがベーリンジアの水没という危機にも出会うこととなった。
§ 平和で信頼に満ちたメソポタミアの新石器世界
この暴力的な出会いを見て驚くことは、〈歩く民〉が長期に渡る旅を前にして、何ら身を守る手段を持たずに出発できたという事実だろう。それは、彼らが暮らしていたメソポタミアの地が、平和で信頼に満ちた世界であった、ということを裏付けている。〈歩く民〉は希望と平和を台無しにする暴力と冷酷の世界に、大草原の中で ”生まれて初めて” 出会ったのだった。
§ 武器のない新石器時代
この物語で、騎馬族の武器らしいものと言ったら〈騎馬〉だけだったことが証言されています。そして騎馬族は部族の優位性をこの〈騎馬〉に認めているかのようです。一方〈歩く民〉には、守るものと言ったら老婦人〈雪の冠〉が手にしていた杖だけだったということは、特筆すべきでしょう。
古代、『狩猟採集社会』では略奪や攻撃が行われていたという研究もあります。
一方、新石器時代・農業革命を達成した世界では「略奪」は「交易」があり、食料の分配は「経済」を発達させ、暴力のない平和で豊かな〈ペルシャ湾大草原〉を支えていました。
§ 道具から武器へ
〈歩く民〉は、彼らの狩人が〈鋭い牙をもつ獣〉を捕るための道具は持っている、と伝承に描かれています。狩人の男達は、石で磨かれた鋭く尖った棍棒のようなものは備えていました。ところが、冷酷な騎馬族に襲われるという危機的状況にあって、猟に使う道具で応戦することはしませんでした。ここが、驚くべきことだと思います。
一方、冷酷な騎馬族はその手に武器らしいものはありませんでしたが、かれらの乗りこなす馬で〈歩く民〉を押しのけ、倒し、踏みつけたのでした。
§ 戦争という言葉が無かったメソポタミア
『シュメール語が解読され、戦争に関する単語の多くは外来のアッカド語からの借用語。これはシュメール人が本来、戦争を知らない平和的な民族だった事を物語っている』なのだそうです。〈歩く民〉の伝承は、言語学によるこの発見と実によく呼応していると思います。(ラインはURLが貼ってあります)
§ 道具を武器へ変えた” ヒト ADSL遺伝子 ”
ここには、武器とはどのようにして生まれたのか? という疑問が生まれてくる際どい光景があります。つまり「道具」がどのようにして「武器」に変えられて行ったのでしょうか?
私は「DNA」の問題を考えたいと思います。道具から武器への進展に「DNA」が関わっているのではないのか、なのです。実はこの疑問はゲノム解析のスバンテ・ペーボさんが抱いて、すでに彼らは遺伝子実験に取り組んでいる問題なのです。
『現生人類に特有の変異がみられるADSLという遺伝子は、攻撃的な行動と関連があるといわれています。』この発見が、近年目覚ましい展開を見せているゲノム解析によって解明される可能性が拓けてきました。
従って、『ADSLという遺伝子』と「道具から武器への転換」とは無関係であるとは私には思えないのです。
§ ヒトADSL遺伝子とペーボ教授のゲノム解析
『ノーベル賞受賞 ペーボ教授の「なにが人類を特別な存在たらしめているのか?」を探求する旅』にADSLのことなどの記事があります。
(ラインはURLが貼ってあります)
『この「ヒトADSL化マウス」を通常のマウスと比較することで、現生人類特有の遺伝子変異が、マウスの行動や、脳や筋肉の発達に影響を与えるかどうかを確認することができます。』と、スバンテ・ペーボさんの共同研究者が述べています。なかなか興味深い研究なのです。。
冷酷な騎馬族の行動は、新石器時代を生きてきた〈歩く民〉にとって、初めて体験する驚くべきものでした。そして、ここが重要なことなのですが、〈歩く民〉はカスピ海大草原からベーリング海峡にいたるまでの長い旅の中で、冷酷な民族に出会うことは一度も無かったのです。
冷酷な騎馬族は、それまで地球上に存在することのなかった民族でした。とうとう一万年前に、この地上に「攻撃的で冷酷な部族」が現れたのです。
§ ポーラ・アンダーウッド〈歩く民〉・翻訳 星川淳 翻訳版表題 『一万年の旅路』

この物語は、アメリカ原住民ポーラ・アンダーウッドが先祖から代々口述で伝承され、その口述を記録した『原著・ポーラ・アンダーウッド〈歩く民〉』です。星川淳さんの日本語翻訳版から、〈歩く民〉と〈騎馬族〉との出会いを。訳文そのまま引用させて戴きました。この口承伝承は人類の貴重な財産として、これからも末永く伝えられる価値のある史料であると私は確信しています。訳者の星川淳さんの翻訳から、表題を拝借させていただきました。
次回は ”2,ベーリンジアを渡る 〈歩く民〉は〈山の民〉” になります。「ベーリンジア」とは、アメリカ大陸とユーラシア大陸をつなぐベーリング海峡です。一万年前「一部水没していましたが、ほぼ陸続き」だった『ベーリング陸橋』を ” ベーリンジア ” と呼んでいます。
