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第十一話 新章 ~覚醒~

前回の記事で、私は「新たな旅へ」と書きました。

今回から、その旅の始まりについてお話しします。

正直に言えば、この出来事をどこまで書くべきなのか、ずっと迷ってきました。

人に話しても、理解してもらえないかもしれない。

頭がおかしくなったと思われるかもしれない。

私自身でさえ、あれは夢だったのではないかと、何度も考えました。

それでも、この連載を書くと決めた以上、この出来事だけを避けて通ることはできません。

信じていただく必要はありません。

ただ、私の人生には、こんな一夜がありました。


あの日、私は友人たち数人と、大分県の佐賀関へ向かっていました。

佐賀関に住む知り合いから、

「魚がたくさん獲れたから、取りにおいで」

と声をかけてもらったのです。

用事を済ませた帰り道、誰かが言いました。

「せっかくだから、黒ヶ浜の石を拾って帰って、その石で石焼き芋をしよう」

十一月も後半に入り、少し肌寒くなっていた頃でした。

私たちは、黒ヶ浜へ立ち寄ることにしました。

黒ヶ浜は、砂浜ではありません。

波によって丸く磨かれた黒い小石が、約三百五十メートルにわたって続く海岸です。

濡れた黒い石と、打ち寄せる白い波。

その対照が美しい場所で、「日本の渚・百選」にも選ばれています。

時刻は、午後四時頃だったと思います。

日が短くなっている季節です。

空には晴れ間もありましたが、黒い雲もまだらに浮かんでいました。

晴れているのか、曇っているのか。

どちらとも言い切れないような、少し変わった空でした。

私は中腰になり、友人たちと一緒に石を拾っていました。

どれがいいだろう。

そんなことを考えながら、波に磨かれた石を一つずつ手に取っていきました。

つるつるとして、濡れるとぴかぴかと光る。

まるで、黒い碁石のようでした。

その時です。

背中に、何かを感じました。

光が射しているような感覚でした。

背中が、ほんのりと暖かい。

不思議に思い、私は立ち上がって振り返りました。

すると、雲の切れ間から一本の光が射していました。

それは、辺り一面を照らす普通の日差しではありませんでした。

舞台の上で、一人だけを照らすスポットライトのように、

まっすぐ私へ向かって降りてきていました。

ビカーッと強い光が、私の身体を照らし、そのまま包み込んでいました。

私は動けませんでした。

怖かったのか。

驚いていたのか。

それすら、よく分かりません。

ただ、その場に立ち尽くしていました。

体感では、五分ほどだったと思います。

覚醒体験

けれど、友人たちは誰も、その光に気づいていませんでした。

帰りの車の中で尋ねてみても、

「そんな光は見ていない」

「ぼーっと突っ立っているな、とは思ったけど」

そう言われただけでした。

あの光を見たのは、私だけでした。


異変が起きたのは、その帰り道です。

車の中で、突然、声が聞こえました。

「おい。ちゃんと、ねじらずに俺を巻きつけろよな」

何のことだろうと思い、

「え? 何?」

と聞き返しました。

友人たちは、不思議そうな顔をしました。

「何も言ってないけど」

すると、また聞こえました。

「だから、俺だよ。シートベルトだよ」

「ねじれたまま巻いたら、事故の時に危ないだろ」

私は固まりました。

シートベルトの声?

音が耳から入ってきたのではありません。

頭の中へ、直接響いてくるような感覚でした。

その後は、シートベルトだけではありませんでした。

車の椅子も。

窓ガラスも。

次々と、話しかけてきました。

しかも、静かな声ではありません。

あちらからも、こちらからも、同時に言葉が押し寄せてきます。

何を言っているのか聞き取れないのではなく、

全部聞こえてしまうから、うるさいのです。

私は、本気で思いました。

頭がおかしくなった。

友人たちに言えば、そう思われるに決まっています。


私は何も聞こえていないふりをして、帰りの車の中でじっと固まっていました。

モノがしゃべり、そして固まる

けれど、車を降りても終わりませんでした。

靴は、

「もっと大事に履けよ。かかとを踏むな。形が崩れるだろう」

と怒ります。

シャツは、

「もっと丁寧に脱いでね。伸びたら、あとで困るよ」

と話しかけてきます。

服も。

建物も。

地面も。

目に入るもの、触れるもの、あらゆるものが、急に言葉を持ったようでした。

どこへ行っても、声が追いかけてきます。

逃げる場所がありませんでした。

石焼き芋どころではありません。

私は、

「急に気分が悪くなったから、先に帰る」

とだけ伝え、友人たちより先に家へ帰りました。


家に着いても、声は止まりませんでした。

そこら中から、何かが話しかけてきます。

ずっとです。

一瞬も静かになりません。

私は耐えきれなくなり、逃げるようにベッドへ入りました。

布団を頭までかぶりました。

けれど、布団の中へ入ったところで、頭に直接響く声から逃れられるわけではありません。

そのまま眠ってしまったのか。

起きていたのか。

今でも、よく分かりません。

気がつくと、私のパソコンデスクの椅子に、一人の青年が座っていました。

若く、痩せた青年でした。

年齢は、二十三歳くらいに見えました。

青年は、まるで以前からそこにいたかのように、いきなり話しかけてきました。

突如として現れた使徒

「俺が一番若いから、任命された」

「しばらく厄介になるわ」

何のことか分かりません。

私が何かを尋ねようとすると、青年はそれを遮りました。

「いろいろ言いたいのは分かるけど、時間がない」

「すぐに行くぞ」

「お前は、まだ寝ている。正確に言うと、身体の方が寝ている」

意味が分かりませんでした。

「あ……」

声を出したつもりでした。

すると、ベッドで眠っている自分の身体が、寝言のように小さく「あ……」と声を出しました。

そこで初めて気づきました。

私は、眠っている自分の身体とは別の場所にいました。

青年は言いました。

「だから、今はほとんど話せない」

「訓練しないと、うまく話せるようにはならない」

「初めてだから、俺につかまれ」

どうつかまればいいのかも分かりません。

私は、とりあえず抱きつくような格好で、青年につかまりました。

青年は、私の両手を持って支えました。

不思議なことに、私には身体がないはずなのに、

青年が手を添えている部分だけは、確かに触れられている感覚がありました。

その直後です。

青年の背中から、大きな白い翼が伸びました。

部屋の中に収まるような大きさではありません。

壁を突き抜けているのか。

屋根の外へはみ出しているのか。

それすら分からないほど、大きな翼でした。

青年は言いました。

「じゃあ、行くぞ」

翼が大きく羽ばたきました。

次の瞬間、私たちは家の屋根を通り抜けるように、一気に空へ出ていました。


翼の青年にしがみつく中年のおっさん

家が、どんどん小さくなっていきました。

町が遠ざかり、地上が見えなくなっていきます。

雲を抜け、さらに上へ昇っていきました。

私は高所恐怖症です。

足元に何もないことが、たまらなく怖い。

地上にいれば、足の下には地面があります。

手を伸ばせば、壁や柱につかまることができます。

けれど、そこには何もありませんでした。

上も下も分からない。

どこにも足を置けない。

何かにつかまりたくても、つかまる場所がない。

ただ、落ちていくような感覚だけがありました。

なのに、どこへ落ちているのかも分かりません。

怖くて身体が震える。

そう思いました。

けれど、震える身体がありませんでした。

心臓もないので、鼓動が速くなることもありません。

怖いはずなのに、いつもの恐怖とはどこか違いました。

空気が薄くなるはずの高さまで来ても、息苦しくありません。

肺がないからです。

皮膚がないので、冷たい風も感じません。

そうでした。

私は、身体の外にいたのです。

もしかすると、私はいつの間にか死んでしまったのではないか。

そんなことを考えました。

天国でも地獄でも、どちらでもいい。

とにかく、この何もない上空に留まり続けるのだけはやめてほしい。

そう思っていました。

青年は途中で、知り合いらしき存在とすれ違いました。

鷲のような頭に翼があり、トナカイにも見える、不思議な姿でした。

二人は、私には理解できない方法で、何かを話していました。

音として聞こえているわけではありません。

けれど、会話をしていることだけは分かりました。

やがて、その存在が去ると、青年は言いました。

「ごめん、ごめん。久しぶりにすれ違ったもんだから」

「待たせたな」

そして、少し調子を変えて続けました。

「じゃあ、一気に飛ばすぞ。しっかりつかまっていろ」

翼が一度、大きく羽ばたきました。

その瞬間、景色が一変しました。

地球が、凄まじい速さで遠ざかっていきます。

風は感じません。

それでも、これまでとは比べものにならない速さで移動していることは分かりました。

目はないはずなのに、視界はあります。

地球を離れ、無重力の宇宙空間へ出ました。

やがて、輪を持った巨大な星が見えました。

「あ、土星だ」

そう言ったつもりでした。

けれど、相変わらず声にはなりません。

私の意志を受け取った青年が言いました。

「ああ、土星だ。サターンって言うよな」

「でも、寄っている場合じゃない。もっと先へ行くぞ」

再び、一気に加速しました。

速いという言葉では、うまく表現できません。

身体があったなら、引きちぎられていたのではないか。

自分の一部だけが、その場に置き去りにされるような感覚がありました。

土星を通り過ぎ、

太陽系を離れ、

銀河を越え、

さらに、その先へ。

何千光年という言葉が正しいのかどうか、私には分かりません。

ただ、宇宙の途方もなく遠い場所へ連れて行かれている。

そう感じました。

移動しているというよりも、

空間そのものが、次々と切り替わっていくようでした。

そして、どこまで進んだのか分からなくなった頃。

私たちは、暗い宇宙空間の先にある、

色というものを感じることのできない場所へたどり着きました。

青年は私から手を離しました。

そして、まるで近所へ送り出すような口調で言いました。

「いってらっしゃい」

背中を、軽く押されました。

私は、ふわふわと浮かびながら、

ゆっくりと、その色のない空間へ入っていきました。

その空間には、色がありませんでした。

暗い、というのとも少し違います。

白でもない。

黒でもない。

そもそも、色というものを感じることができない場所でした。

そこでは、音も聞こえません。

耳がないのだから、当然なのかもしれません。

けれど、何も分からないわけではありませんでした。

青年の意志は、言葉を使わずに伝わってきました。

私にも視界のようなものがあり、感覚もありました。

ただ、それを「見た」「聞いた」と表現してよいのか、今でも分かりません。

私には、そう感じられた。

そうとしか言いようのない場所でした。

青年に背中を押された私は、色のない空間の中を、ふわふわと漂うように進んでいきました。

上もありません。

下もありません。

前後も、左右も分かりません。

足を置く地面もなければ、手を伸ばしてつかまるものもありません。

宇宙空間に出た時にも感じた、あの不安定な恐怖が、再び押し寄せてきました。

地上にいる時、私たちは意識していなくても、いつも何かに支えられています。

足の下には地面があります。

壁があり、床があり、椅子があります。

転びそうになれば、何かにつかまることもできます。

けれど、その場所には何もありませんでした。

自分が浮いているのか。

落ちているのか。

どこかへ進んでいるのか。

それすら分かりません。

ただ一人で、何もない空間に取り残されたような感覚だけがありました。


その場所で、私は何かを教えられました。

けれど、それが何だったのかは、よく覚えていません。

言葉で説明を受けたわけではありません。

大量の情報を感じ取るための方法を、無理やり自分の中へ組み込まれた。

今振り返ると、そんな感覚に近かったと思います。

やがて、何かが私の中へ流れ込んできました。

最初は、一つの波のようでした。

けれど、その波は途切れることなく、次から次へと押し寄せてきます。

情報でした。

何についての情報なのか。

どこから来ているのか。

その一つひとつを確かめる余裕などありません。

判断するよりも早く、膨大なものが私の中へ入り込んできます。

頭からでもありません。

目からでもありません。

身体がないのに、全身へ流れ込んでくるような感覚でした。

息ができない。

そう思いました。

けれど、そもそも私は息をしていません。

苦しい。

逃げたい。

終わってほしい。

そう思っても、逃げる場所はありませんでした。

身体がないため、目を閉じることもできません。

耳をふさぐこともできません。

丸くなって耐えることも、どこかへ走って逃げることもできません。

ただ、流れ込んでくる情報を受け続けるしかありませんでした。

虚無の空間にて5年間の修行

どれほどの時間が過ぎたのでしょう。

そこには朝もありません。

夜もありません。

太陽が昇ることも、沈むこともありません。

時計もありません。

人もいません。

誰かと話すこともできません。

一日という時間を数えるためのものが、何一つありませんでした。

二日や三日なら、まだ我慢できたのかもしれません。

一週間くらいなら、自分の感覚で数えることもできたかもしれません。

けれど、その場所では、時間が過ぎているのかさえ分からなくなっていきました。

それでも、私の中には、長い時間を過ごしているという感覚だけが残っていました。

一か月。

一年。

さらに、その先へ。

実際にどれほどの時間だったのかは分かりません。

ただ、私には少なくとも五年くらい、そこにいたように感じられました。

五年もの間、

色のない場所で、

上下も左右もない空間に一人きりで、

終わりの見えない情報を受け続けていました。

発狂しなかったのが不思議なくらいです。

もしかすると、考えるための脳も、苦しさを感じる肉体もなかったから、耐えられたのかもしれません。

それでも、しんどかった。

ただ、ひたすらに、終わってほしいと思っていました。


気がつくと、私は再び宇宙空間のような場所にいました。

目の前には、あの青年がいました。

大きな白い翼を持った、同じ青年です。

彼は、いつもの軽い調子で言いました。

「お、終わったみたいだな」

「じゃあ、帰ろうか」

私は返事をしました。

「あ、はい。お願いします」

自分で驚きました。

声が出ていたからです。

身体がないのに、私は青年と話すことができるようになっていました。

青年も気づいたようでした。

「お。しゃべれるようになったな」

そう言って、少し笑いました。

そして続けました。

「じゃあ、帰ろう」

「テアへ」

その言葉を聞いた瞬間、私の中で、

テアとは地球のことだ

という理解が、自然に成立しました。

初めて聞いた言葉のはずなのに、なぜか意味が分かりました。

どうして分かったのか。

今でも説明できません。


帰ると聞いても、私はすぐには安心できませんでした。

私の感覚では、あの場所で五年ほど過ごしていました。

もし本当に五年が経っていたら、眠ったままの私の身体はどうなっているのだろう。

何も食べていません。

水も飲んでいません。

心臓が動いているのかさえ分かりません。

もしかすると、すでに死んだものとして扱われ、埋葬されているかもしれない。

そこまで考えました。

そして、母のことが頭に浮かびました。

五年も目を覚まさない息子を、母はどれほど心配しただろう。

今さら帰っても、もう遅いのではないか。

そんな不安を抱えたまま、私は青年につかまりました。

帰りは、一瞬でした。

宇宙をどのように戻ったのか。

土星を通ったのか。

地球へ近づいていく景色を見たのか。

その辺りの記憶は、ほとんど残っていません。

気がつくと、私は自分の部屋にいました。

ベッドには、眠っている自分の身体がありました。

青年は言いました。

「おつかれさん」

「今日は、そのままゆっくり休め」

そして、私の背中を押しました。

次の瞬間、私は眠っている自分の身体へ、すっぽりと収まっていきました。

そこで、記憶は途切れています。


朝、目を覚ましました。

見慣れた自分の部屋でした。

身体もあります。

手も動きます。

息もしています。

「夢だったのだろうか」

そう思いながら、私はテレビのスイッチを入れました。

いつもの朝のニュース番組が流れていました。

何気なく、画面の端に表示された日付へ目を向けました。

その瞬間、私は息をのみました。

一日しか経っていなかったのです。

朝のニュース番組

私の感覚では、あの場所で何年も過ごしたはずでした。

少なくとも、五年くらいは、そこにいたように感じていました。

でも、現実では一晩しか経っていませんでした。

五年だと思っていた時間が、たった一晩だった。

安心したのか。

混乱したのか。

自分でも分かりませんでした。

ただ、しばらくテレビの日付を見つめていました。

やがて、母が起きてきました。

その顔を見た瞬間。

私は、突然、泣き出しました。

帰ってこられたから。

それも、あったのだと思います。

けれど、それだけではありませんでした。

五年もの間、私は誰とも話せませんでした。

人の顔を見ることもありませんでした。

色もなく、朝も夜もない場所で、一人きりでした。

だから、母の顔を見た時、心の中に浮かんだのは、

やっと、人間に会えた。

という思いでした。

涙は、なかなか止まりませんでした。

母の背中

あとがき

翌日の夜、あの青年はもう一度だけ現れました。

彼は最後まで名前を教えてくれませんでした。

「俺は使者だから。」

「名前を知れば、お前は感情移入する。」

そう言って笑っていました。

別れ際、彼は私にこう言いました。

「歯を食いしばって頑張れ。」

「何をするかは、そのうち分かる。」

その言葉どおりでした。

あの日は終わりではありませんでした。

むしろ、すべてはあの日から始まりました。

それからも、私の人生には説明のつかない出来事が数え切れないほど起きました。

ですが、その話を書くために、この連載を書いているわけではありません。

あの日の記憶は、目を覚ましてから少しずつ薄れていきました。

今こうして書いていることも、消えていく記憶を必死につなぎ留めながら書いたものです。

だから、細かな言葉や順番は違っているかもしれません。

それでも、

あの日を境に、私の人生は変わりました。

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