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2025.10.19

小田急線の中吊り広告で、いつも気になっていた団地でフリマが行われる、というものを見た。ほとんどの中吊り広告は下卑た欲望、という感じだけれど、小田急線はなかなか地域に密着したものを吊り下げていることも多くて、これを機会に、と座間駅に降りたってみることにした。天気予報は雨だけど、ぐるりと一周する間は腫れていて、陶器や野菜、ハンドメイドの、アクセサリーなどが売られている。10時開店ではじまったばかりなのに、子供たちの活気のある声に包まれている。ペットボトルの蓋で作った市のゆるきゃらが飾られていたり、ゴミ収集車にごみを捨てる体験などもしていて、文化祭のようであり、社会について学べる場として、ゆるやかな広がりを見せていて、朝から気分が良くなる。50円のローズマリーと200円の安納芋を買う。鳥料理もいいけど、ホイル蒸しなんかもいいな、と考えつつ、スーパーに直結している喫茶店で休憩をした。

歩く秋

急に話は変わるのだけど、ぼくはタル・ベーラの『ニーチェの馬』という映画のことをいたく気に入っている。脚本家のクラスナホルカイがノーベル文学賞をとったので、渋谷のシアター・イメージ・フォーラムで三作品ほどが再上映されている。渋谷の町、というよりも道があまり好きではなくて、歩くたびに不安定な気持ちになっていくのだけど、宮益坂の交差点を越えて、なんとか目の前までたどり着いた。『ヴェルクマイスター・ハーモニー』と『ダムネーション/天罰』を一日で観ようと画策したのだけど、結果としてはやめておけばよかった。何しろ『ヴェルクマイスター・ハーモニー』は二時間半にして30ほどのカット数しかない長回しの映画であるし、『ダムネーション/天罰』は体感では四分の一はスクリーンに壁が映っており、救済はまったくない。アスカのいない旧劇場版のようなものだ。灰色の空の下を、死んだ目の人間たちが裏切ったり、理不尽さに見舞われたりしながら、静かに終わっていく。しかし、ぼくの好きなタル・ベーラはこれなのだ。人はある生活を繰り返して、微妙に変化をしつつ、静かに終わりを迎える。鬱病を映像にしたようなもので参ってしまうのに、それなのに、それだから、ゆっくりと立ち上がるだけの気力が湧く。

映画には映画的な時間があって、例えばAからBまで人物が歩くとき、適当なところでカットがかかり、次の場所へ移動するカットに繋がる。だからAからBまでの距離は、映画の上では10分の1ほどに省略される。しかし、タル・ベーラはひとつの画面から人物が完全に消え去るまでを撮影する。映画を見ているとき、映画的時間を前提にしているぼくにとっては、逆転してその時間は10倍に伸びる。それゆえに、彼の撮る映像は果てしない苦役を思わせるものになる。『ダムネーション/天罰』は同じような牛歩のパンを多用しすぎて、流石に荒削りさを感じないこともなかったけれど、おかげで見終えるころには、絶望としか形容できないような重い圏域にすっかり囚われてしまっていた。

ご飯を食べても、タワレコにいっても、なんとなく気分は優れなくて、もちろん眠らないためにブラックコーヒーを1.5リットルは飲んだということの気持ち悪さも相まって、浮遊感のあるままに終わった一日だった。せめて、晴れていればよかったのに。

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かみしの そのおかげて、ぼくは文章を書くことができます