「教育無償化」の政策としての筋の悪さを考える
世の中全体が教育無償化に向かっている中、非常に言いにくいことなのだが、これは筋が悪い政策だなあと思いながらみている。
そもそも、これが「学費が払えない家の子のため」の政策だというのが、違うんだよなあと思う。
それは、この政策が浮上してきたときを思い出せばわかる。
教育無償化が政策課題として浮上したのは、2017年頃だったと記憶している。最初に言い出したのは、前原誠司民進党代表(当時)だった。
「All for All」
という政策を掲げて、消費増税を高齢者、貧困層だけでなく、すべての人に還元する、特に現役世代へのサービスとして「教育無償化」を実現すると訴えた。
これに対して、安倍晋三首相(当時)が率いる自民党が、「消費増税2%分(税率8%から10%へ)」を「教育無償化」の実現にあてると公約して、衆院解散総選挙を断行した。
これは、前原民進党の政策を丸パクリといっていいもので、政権与党として実際に予算をつけて実行できるリアリティが支持されて、衆院選圧勝の一因となった。
一方、政策を丸パクリされた前原民進党は混乱に陥り、小池百合子東京都知事の「希望の党」との合流、党分裂により枝野幸男氏が「立憲民主党」を結党するという騒ぎとなり、野党は今日に至るバラバラな状態になった。
前原氏は現在、「日本維新の会」の共同代表。「教育無償化」の実現で石破茂政権とハードな交渉をしているが、昔を振り返れば、こんな因縁があるわけだ。
この2017年の総選挙後、れいわ新選組、共産党から、社民党、立憲民主党、公明党、自民党、日本維新の会、極右政党もかな?すべての政党が「教育無償化」一色となった。
ではなぜ、教育無償化一色になっているのか。
それは、野田佳彦民主党政権の「税と社会保障の一体改革」までさかのぼる。
それは、政権与党だった民主党(当時)と野党の自民党、公明党の「三党合意」で消費税を2段階で(5→8%、8→10%)増税するものだったが、増税分は、財政赤字の削減と、高齢者の社会保障、生活保護への貧困層へのサービスに充てられることになった。
野田政権は退陣し、第二次安倍政権となり、消費増税を実行する段になって次第に問題として浮上したのが、現役世代、子育て世代、若者の強い不満だった。
要は、消費増税による「重税感」が一番強いのは、現役世代、子育て世代、若者だ(実際に払うのが高齢者や富裕層だとしても)。
シンプルにいえば、彼らは、税金を払うが、サービスは受けられない。その重税感に対する強い不満が、他の国にはない強い増税への嫌悪感(そのため、消費税率は欧州諸国に比べて約半分にとどまっている)につながっていると政治の側が強く感じた。
そして、現役世代、子育て世代、若者世代へのサービスとして打ち出されたのが、「教育無償化」であったということだ。
このように振り返ると、気づきますよね?教育無償化とは、学費を払えない貧困層のためではない。学費自体は払えるはずの(まあ、私学はともかく、公立ならば)現役世代、子育て世代、若者世代の不満を解消し、票を得るためのものだと。
つまりは、そもそも選挙のためのバラマキとして、どの政党も一斉に打ち出しているのではないかと。それが教育無償化政策の本質なのではないかと強く疑う。
次に問題なのは、教育無償化とは、実は無償化ではないということだ。要は、「自分の子どもの学費は一見タダ、だけどよその子の学費を払う」ということだからだ。
特に、一部の政治家が強く主張している、「所得制限なしの私学無償化」まで対象範囲を広げると、「現役・子育て・若者世代が富裕層の子の学費を払う」ということになるわけだ。
なぜなら、無償化となって収入が入らない学校に、タダで教育サービスを提供しろとは当然言えない。国・自治体が税金から払うことになるからだ。税金とは、国民が払うものである。
教育無償化に対する、多くの国民が抱く素朴な「誤解」とは、例えば政治家や役人があなたの子どものために学費を払ってくれると思っていることだ(笑)。
違うです。払うのはあなたなんですよ。しかも、よその子に。金持ちの子にね。
払える人には払ってもらったらどうかと思う。大学の例なので少し違うのではあるが、ある知り合いの先生の子どもが旧帝大の国立に通っている話を聞いた。
お子さんは、友達と一緒に、授業のない時間や休日に空いた教室で自習をするグループを作っていたという。
ところが、ある日、大学側が教室の入口に張り紙をしていて
「節電のために、授業以外での教室使用禁止」
になったのだという。知り合いの先生は言っていた。
「国立大の学費、安いでしょ。それでカネがなくて、学生が自由に自習もできんなんてバカらしい。うちは払えるんだから、もっと払わしてほしいと思うよ」
これじゃ、日本の学生の学力も下がるし、大学の研究力も落ちるはずだと思う。払える人には、しっかり払ってもらうべきだと思う。
さらに問題なのは、教育無償化が社会にもたらすだろう結果である。
特に、「私学無償化」がどういう結果をもたらすか。すでにさまざま指摘されている通り、本来、私学の学費を払うことができない家庭の子どもが、公立に進まず私学を受験し、入学する。その結果、公立への受験生が減る。少子化もあり、閉校に追い込まれる学校がでてくる。
一方、私学はさらに発展するかといえば、そう単純ではない。国民の血税が投入されるとなれば、文科省や自治体による管理も厳しくなる。
例えば、私学らしい、自由で斬新な教育プログラムを開発し、導入しようとする。そのためには予算が必要となる。本来ならば、学費を上げて、それを払える家庭の子が入学する。だが、学費が無償化となり、税金が支払われるとなるといろんな批判が噴出するだろう。
「国民の血税で、勝手なことをやっていいのか?」
「税金が使われるのに、不公平ではないか」
「税金が使われるのに、自分の子供が通う学校よりも優れたプログラムが行われるのは許せない」
などなど。。。。
国民からの批判のみならず、補助金が投入されるのだから、文科省や自治体の審査が入ることになるだろう。新しいプログラムのための増額が、そのまま認められることなどない。結局、「悪平等主義」となるだろうし、前例がないと却下されるとか、教育全体が「社会主義」のような状態になっていく。世界からさらに取り残されていくことになるだろう。
私は、教育無償化より先に、長期的な観点から取り組まなければならないことがあると思う。
それは、塾に通って私学に入学する子どもと、それができず公立に進む子どもの格差の解消である。
大事なことは、どんな家庭の子どもでも、学校に通えば、本人ががんばれば私学に行かなくても人生の道を開くことができることだ。少なくとも、私が地方の県立高校を出て大学に入った頃までは、日本にはそういう希望があった。
私、高校時代に塾はありませんでしたからね。学校で、ガンガン補習があったんです。塾なくても進学できた。今は、私の母校はそんなのやらんらしいですよ。やる余力がない。
今、地方を見ると、そういう希望が薄れているのは否めない。「親ガチャ」とか「都会に生まれないと負け組」とか、そんなことを私の周りの学生までもが言っている。それはダメでしょう。
これは、学費タダにすれば万事うまくいくみたいな、単細胞な話とは違う。
事実上の選挙対策としての「教育無償化」で、学費を払えるのに払わないでいる人がいる。そういう人にはしっかり払ってもらう。その金は、公立学校の教員の増員、教材、働く環境など教育インフラの整備など、私学と変わらないレベルの教育を行い、格差をなくすことに使うべきだ。
その上で、本当に学費を払えない家庭に絞って、しっかりと学費無償化の補助をする。
もちろん、これは簡単ではない。長い時間がかかる政策だろう。ただ、今は選挙、選挙で近視眼的になり、今日のカネを国民に配ることばかりになっていないか。それでは、カネが切れたらまたカネがいるの繰り返しになるだけで、なにも積み上がっていかない。
少し踏みとどまって、じっくりと将来の日本を見据えた政策を練り上げることも必要だろう。
石破首相が「地方創生」を看板にしているのならば、今日のためにいろいろばらまくよりも、将来のために地方の公立学校の整備に重点的に予算を投入すべきじゃないかね。なんといっても、学校はそれぞれの地域の中心にあるもの。その価値は失われたわけではない。
