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衆院解散?「期待」だけを問う選挙が、国民に何をもたらすのか

うーん。毎日新聞はこう伝えてるんだけど、そうではないみたいな報道もある。情報が錯綜していますが、私は

「解散は当然」

だと思っている。高市早苗内閣の支持率が極めて高い状態にある。今、解散しないで、いつ解散するのって感じだ。

高市内閣は、高い支持率の反面、政権基盤が極めて脆弱だ。自由民主党(以下、自民)は、衆参両院で過半数割れしている。

日本維新の会(以下、維新)などと連立を組んで、衆院ではなんとか過半数を確保している。参院は、いまだに過半数を確保できていない状況だ。

ところが、その維新の会が「議員の国保逃れ」など、スキャンダルにまみれている。

これはもう、内閣支持率が高いうちに衆院解散総選挙に打って出て、自民党が過半数を取り戻して政権の安定基盤を確保し、維新の会などと連立を解消した方がいいと、高市首相が考えても、なにも不思議はない。

「議員定数削減」

など、筋の悪い、「身を切る改革」などという嘘くさいことに、これ以上付き合ってられないというのが、首相の本音かもしれんしね。

なによりも、高市首相がほとんど「偶像崇拝」のように心酔している安倍晋三元首相が、

「消費税率を上げるのをやめたので、国民の信を問います」

といって、解散を断行するなど、まるで「解散の大義」などない、むちゃくちゃな自己に都合のいい解散を乱発して、野党を壊滅して長期政権を築いたわけだ。

高市首相はこれを「安倍の教え」として、ありがたく踏襲するのだろうからね。解散、やらないわけがないと思ってます、はい。

より強力な権力を得るために、権力を行使する。そのために手段を選ばない。それが安倍政治であり、高市政治だからね。

私はこれ自体、悪いことだとは思っていない。首相が、「安定した意思決定」を確保するために動くのは悪いことではない、問題は、首相の権力の行使が、どう見ても「間違ったことをしている」とか「権力の乱用」になった時、それを国民が取り換えられる

「交代可能な民主主義」

が、確保されるかどうかだ。それがなかなか難しい制度であることが、日本政治の深刻な問題なのだ。

そして、それ以前に問題なのは、選挙という場で、いったい何を国民が審判するのだということだ。

高市政権が発足したのが、2025年10月21日だ。2か月が過ぎただけだ。総合経済対策が打ち出されたのが11月21日。それからも1か月超が経っただけで、まだなにも結果が出ていない。

総合経済対策は、ただの巨額のバラマキで物価がさらに上昇して、国民生活を救うために更なるバラマキが繰り返されるだけに終わるのか、それとも、17項目の成長戦略が動き出して、まったく新しい世界最先端をリードする日本が生まれるのか。。。。

まったくわからないわけです。すでに、ハイパー円安・ハイパー物価高で日本経済崩壊みたいにいう識者の方がいるが、それは言い過ぎだよね。私の論考も読んでもらえばわかるが、実はサナエノミクスについて、なにも評価はしていない。いくつか、大事なポイントを羅列しただけだ。

それでは、なにを選挙で審判するのかというと、

「政権への期待」

ということになる。

しかし、なにを期待するというのだろう。繰り返すが、結果はどうなるかわからないのだから。つまり

「やってくれそうかどうか」

ということだ。そして、もう1つ大事なことがある。選挙が、前の政権の評価と、まったく連動しないということだ。

前の政権も、「自民党政権」なのである。ところがその評価は新しい政権に持ち越されない。例えば、物価高対策をうまく打てなかったのは、石破茂政権だ。

ところが、それは首相が代わったら、同じ自民党政権なのに、「なかったこと」になってしまう。前政権への不支持は雲散霧消してしまうのだ。

これは、今回だけの話ではない。日本では、ずっと「期待」を問う選挙をやってきた。「結果」を問われない選挙が続いたことが、今の日本政治・社会の問題を深刻化させてきたのだと思う。

デジタル化、IT化の遅れ、先端産業の未発達、財政赤字、少子高齢化、インフレに対応できない脆弱な経済。。。。

これ、すべて政策の成果を厳しく問われることなく、次のバラマキの期待に投票してきた選挙が繰り返されてきたからではないのか?

どうしてそうなるのか。それは、日本は選挙が多すぎることにあると思う。

詳しくはこの論考を読んでほしいのだけど、第二次安倍政権以来、どれだけ選挙が行われてきたか、まとめてみよう。

2012年12月、衆院選(第二次安倍政権の成立)。
2013年7月、参院選。
2014年11月、衆院選。
2016年7月、参院選。
2017年11月、衆院選。
2019年7月、参院選。
2021年11月、衆院選。
2022年7月、参院選。
2024年11月、衆院選。
2015年7月、参院選。

ほぼ、1-2年の間に国政選挙が繰り返されたわけだ。その間、時の政権は規制改革や財政再建を考えなかったわけじゃない。だが、それに向かって動き始めるやいなや、次の選挙が目の前に迫ってくる。

改革は脇に置いて、選挙対策のバラマキが打ち出されることになる。

国民の側はどうだろうか。規制改革や財政再建の意義を理解する前に、次の選挙がやってくる。とりあえず、次はなにをバラまいてくれるのだろうかと「期待」する。

いつまでたっても、社会問題の深刻さは実感とならず、政策への理解も深まらない。次から次へと選挙のバラマキが続けば、仕方がないことだ。

「次はなにをやってくれそうか?」
「どれだけおカネを出してくれるのか?」

こればっかりとなる。後は、氷河期世代を中心に

「どれだけ、既存の社会や政治を壊してくれるのか」

ということに意識が集中する。じっくり物を考える時間がないので、感情的になってしまう。仕方がないことだと思う。

要は、政治家が悪いわけでもない。国民が悪いわけでもない。制度的な問題だと思う。

他の民主主義国で、これほど選挙が多い国を私は知らない。まず、上院(日本では参議院)で選挙がない国が相当数ある。例えば、英国貴族院、ドイツ連邦参議院、カナダ上院などなど。。。

その上、日本のように無制限に首相の解散権行使が可能な国も少ない。

例えば、私の論考に書いたように、英国では安倍政権とほぼ同時期、2000年から2005年まで、デービッド・キャメロン首相(保守党)は法律で解散権を制限し、財政再建に集中した。

緊縮財政のせいで、政党支持率は野党・労働党が保守党を上回った。しかし、財政再建が一定の成功を収め、経済政策が効果を出し始めたことで、国民がこれを評価した。2005年の総選挙直前に、保守党の支持率は労働党を逆転し、選挙で勝利を収めた。

これは、5年間選挙がなかったことで、政権は「国民に不人気だが、重要と考える政策」に落ち着いて取り組むことができた。国民も、政策の意義を理解する時間を得た、ということだ。

要は、国民は選挙で「政権運営と政策の結果」を審判することができた。

その後英国も、Brexitの混乱を経て、「期待」を問うだけの選挙に変わっていってるわけだけどね。どこの国も、政治の迷走と混乱は、さほど変わらないわけでね。

それでは、またね。




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