トランプ流「和平交渉」の虚実と国際秩序の崩壊
ウクライナ戦争は開戦から5年目に突入しようとしている。世界が最も注目しているのが、早期終結を公約に掲げるドナルド・トランプ米大統領による和平工作だ。
トランプ大統領は、就任前に「24時間以内に戦争を終わらせる」と豪語し、就任後もずっと停戦に並々ならぬ意欲を持ち、動き続けてきた。
だが、大統領の動きは、従来の国際社会の秩序を平然と破る、いわば
「不動産屋のディールの手法をそのまま国際政治に持ち込んだ」
というものだ。実際、トランプ大統領が提示している和平案の骨子は、現在の戦線での凍結、すなわち
「土地と平和の交換(Land for Peace)」
である。停戦交渉は、トランプ大統領の登場まではまったく動かなかったわけで、それをとにもかくにも動かしたことは評価せざるを得ないかなと思う。
ただし、これまで長い時間をかけて築かれてきた国際秩序というものは、それが存在してきたそれなりの理由があるので、簡単に「儲かるから」みたいな理由で破るのは、弊害が大きいのも事実。
トランプ停戦交渉は今後、特にロシア側がブチ切れて、結局決裂する可能性も低くないのだが、とりあえずまとまるものとして、現時点でいえることをまとめておきたいと思う。
まず、トランプ停戦交渉が葬り去るだろう国際秩序について考えてみようと思う。まずは、
「力による一方的な現状変更の追認」
だ。これね、ウクライナの反撃による領土の回復がほぼ無理な状況で、ともかく停戦を実現したいということなので、皆、目を背けているようなのだけど、未来に取り返しのつかない悪影響を与えるかもしれないことである。
繰り返すが、トランプ大統領の和平案の骨子は、現在の戦線での凍結、すなわち「土地と平和の交換(Land for Peace)」である。
具体的には、ウクライナに対して憲法を改正して将来的なNATO加盟を永久に断念させ、NATO側もウクライナの加盟を認めない条項を作成することを求めている。
さらに、ロシアが現在占領しているウクライナ東部・南部4州などの支配を、事実上の既成事実として容認する内容が含まれている。
これは、国際社会が第二次世界大戦後に築き上げてきた「力による一方的な現状変更を認めない」という大原則を、米大統領自らが踏みにじる行為そのものなのである。
これは、もし、侵略によって奪った土地を保持したまま停戦が成立してしまえば、それは
「核を持ち、武力を行使すれば、国際法を無視して領土を拡大できる」
ということになる。もっと端的に言えば、
「屁理屈を言えば、他国を侵略できる」
ということだ。これが悪しき前例となれば、その恐ろしさは、単にウクライナ一国の問題に留まらないものとなる。
私がウクライナ戦争の開戦時から一貫して主張してきたように、ロシアは過去30年間の大きな地政学的流れの中で、すでにその勢力圏を劇的に後退させてきた「敗者」である。
トランプ以前の米国などNATOは、実質的な「勝者」として動いてきた。ウクライナの領土がロシアに蹂躙され、ウクライナ国民の生命が軽々しく扱われてきた一方で、フィンランド、スウェーデンが新たにNATOに加盟した。ジョージア、モルドバなど、旧ソ連圏の国までもが、加盟に向けて進み始めた。
そして、どういう形で戦争が終ろうとも、ウクライナの国民の心は、二度とロシアに寄り添うことはない。
この戦争を通じて、ロシアはさらに勢力圏を後退させた。守るべき国境線は増えた。なによりほしい、海軍を自由に展開できる「不凍港」もなくなった。
経済的にも、当初予想された石油・ガス輸出の停止によるロシア経済の破綻は起きなかった。だが、パイプラインで利益を上げていたものが、船で長い距離を輸送して輸出した。
なんとか生産を保つために、中国、インド、トルコなどにいいように買い叩かれた。あまり明らかにはしないが、ロシア経済の赤字垂れ流しは明らかだ。
経済全体も、中国に大きく依存し、大国の連合のようにみえるが、実際は
「中国の属国化」
が進んでいるだろう。「ウクライナ戦争」は国際社会全体から俯瞰してみれば、明らかに「ロシアの惨敗」だ。
だから、NATOにとっては、戦争はいつでもやめられる。特に、ロシアとのガスパイプラインのビジネスをできれば復活させたい仏独などEU諸国は、できれば早く停戦したいのが本音だった。
だが、問題はロシアによる「力による一方的な現状変更」が起きていることだった。つまり、ロシアがウクライナの領土を切り取っていることである。
ロシアはこれまでも、周辺諸国の領土を少しだけ切り取って、
「大国ロシア」
を誇らしくアピールすることがあった。実際は、それは幻想にすぎない。繰り返すが、約30年にわたって、ロシアの影響圏は大きく後退した。その後、ちょっとだけ切り取っても、ロープ際に追い込まれて連打を浴びているボクサーが、一発、二発弱いジャブを返したにすぎないからだ。
それでも、プーチン大統領は「大国ロシア」を大アピールした。おそらく今回も、「大国ロシア」の大アピールが始まる。実にめんどくさいことだ。
だから、米国などNATOは、ロシアが負けたという形で停戦することに腐心してきた。
要は、ウクライナ人の生命が次々と失われていく中で、NATOは
「勝者のイメージ」
を作るのに頭を悩ませてきたといえる。「大国ロシア」が幻想ならば、NATOはイメージ戦略に腐心してきたと。大国の論理とは、実につまらないものだ。
そして、もう1つ付け加えるならば、「ロシアの敗北」ならばいいというものでもないという問題もあった。
まず、プーチン政権が実態として弱体化しているとして、大統領が退任する事態となるとする。後継は誰になるのかという問題がある。
プーチン大統領は、まだ理性的な判断ができる指導者だという評価がある。
その後継となる指導者が、プーチン大統領より優れた人物であるという保証はなにもない。中国の後見で、バリバリの共産主義者が出てくる可能性がないわけではない。
そうなると、NATO側はユーラシア大陸の西側の勢力争いに勝利したのに、東側に中国・ロシアが合体した
「シン・モンゴル帝国」
が誕生してしまうことになる。ずっと指摘してきたが、ポスト・プーチンを巡る暗闘は、中国と米英で繰り広げられてきたはずだ。
そういう、停戦を巡る慎重な動きは、トランプ大統領が再登板してくると、一変したわけだ。
大統領はNATOの勝利などどうでもいい。むしろ、NATOの同盟国は、軽い費用負担で米軍から多大なる恩恵を受けてきた怪しからん奴らだ。
また、大統領は「自由民主主義」とか「法の支配」などがあまりお好きではない。同盟国と共有する「価値観」など退屈だ。それよりも、
「王様になりたい」
と考えているフシがある。英国のチャールズ国王や日本の天皇陛下を憧れをもって見ている(笑)。そして、巨大な権力・軍事力を持つ「王様」同士で世界を動かしたい。要は、米中露の三大国の指導者が動かす世界にしたい。
三大国が、実質的に米国と「シン・モンゴル帝国」でも問題はない。東西冷戦の秩序の復活かもしれないし、「G2」の形成と言えるかもしれないわけだから。
同盟国など、三大国の言うことをきけばいい。だから、本音ではロシアびいきだ。
さらにいえばトランプ大統領は
「ノーベル平和賞」
が本気で欲しい(笑)。いや、笑ってはいけないが、そのためにどんな形でもいいから停戦したい。
だから、大統領はウォロディミル・ゼレンスキー・ウクライナ大統領に対して、ウクライナ東部のドネツク州とルハンスク州全域の領土をロシアに譲渡し、その代わりに「経済的利益」をウクライナに与えると言ったりする(それは米国がウクライナの資源の権益を買うという、米国の利益そのものでもあるのだが)。
これぞ、不動産屋の発想だ(余談だが、グリーンランドを買うとかいうのも、不動産屋の発想)。
なにより問題なのは、トランプ氏の和平案は、この地政学的な敗北者であるプーチン大統領に対し、国内向けに「勝利」を宣伝できて、「大国ロシア」を最大限にアピールできる内容となっていることだ。
プーチン大統領など「権威主義的指導者」にとって、権力の源泉は
「無謬性」
にある。トランプ大統領の和平案によって「NATOの東方拡大を阻止し、領土を守り抜いた」という演出が可能になれば、機能不全に陥りつつあったプーチン体制は延命され、ロシア国内の独裁体制はさらに強固なものとなる。
一方で、トランプ氏は停戦の見返りとして、前述のウクライナの権益や、ロシアの原油や天然ガスの提供を求めるなど、安全保障を「ビジネスの取引」として扱っている。
これは、自由民主主義の防衛や、法の支配に基づく国際秩序の維持という大戦略を、目先の経済的利益のために放棄するということだ。
さらに深刻なのは、何度でも繰り返すが、
「力による一方的な現状変更」
が既成事実化されることだ。
もし、ロシアの「力による現状変更」がトランプ流の和平案によって承認されれば、それは中国に対して
「台湾や尖閣諸島への侵略」
を正当化する口実と、実行に移すための自信を与えてしまうからだ。
もちろん、私は中国に理性があるならば、中国は台湾に絶対に侵攻しないと言い続けてきた。中国と台湾は政治的には相入れなくても、経済的には一体と言っていいからだ。
つまり、中国が台湾を攻撃するのは、自らの経済を破壊する自殺行為に等しい。中国に理性があるならば、台湾で「親中派」が支配するように画策する方が現実的で理性的だ。
とはいえ、国家というものが常に理性的でないことは、歴史が証明している。国際社会は複雑怪奇、一寸先は闇。なにが起こるかわからない。
「台湾有事」にかかわらず、今後は世界中で、隣国間で力関係に差がある時、力の強い方が「屁理屈」を弄して、力の弱い方に攻め込むことが横行するようになるだろう。
「屁理屈」とはなにか?
例えば、「ウクライナは歴史的にロシアの一部」「ウクライナにネオナチが横行している」というのがそうだが、それだと遠い世界の話だと思うかもしれない。しかし、屁理屈は、すでに我々の身近にある。
「日本で中国人への憎悪犯罪が急増しているので、中国人は渡航自粛すべきだ」
「「日本の右翼保守勢力が、軍国主義を復活させ、『再軍事化』を加速させる野心を強めている」
「カイロ・ポツダム宣言に基づき、尖閣諸島は台湾の付属島嶼として中国に返還されるべきである」
「国連憲章の「旧敵国条項」(国連憲章第53条、第107条など)に基づき、日本が再び軍国主義的な行動を取った場合、国連安保理の許可なく軍事行動を起こす権利がある」
などなど、隣国は次々と「屁理屈」を弄してきているではないか。だから、「力による一方的な現状変更」は絶対に認めてはならない。侵略者が屁理屈を弄して侵略を正当化する余地を、一ミリたりとも与えてはならないのだ。
だが、トランプ大統領は自分の業績と栄誉のために、あっさりと「力による一方的な現状変更」を許し、欧州諸国がエネルギー不安から早期停戦を望み、「力による一方的な現状変更」から目を背けている。
この現実に対して、不用意な発言により、隣国の「屁理屈」を許し、それに対抗するために軍拡が必要だと国民を煽るなど、愚の骨頂だろうね。
「屁理屈」を許さない、徹底した賢い外交が求められるが、今の日本の政治家にそれができるとはまったく思えないのが、残念なところだ。
それでは、またね。
