【掌編小説】目
介護という仕事は、本当に疲れる。
しかも相手が痴呆症の老人で、言葉で言っても理解してくれない。何せ、頭は遠い世界を徘徊しているのだから。
それなのに、どうして俺はこんな仕事をしているのか?
最初は人の為になることがしたかった。
俺の婆ちゃんも、老人ホームのスタッフに介護されて亡くなった。それに感謝した俺は、介護師になろうと決心したのだ。
ところが、そんなに容易い世界じゃなかった。
ションベンはもらすし、急に怒鳴り散らすし。施錠されているドアをガタガタいわせているから止めると、殺されそうな声をあげる。
いい加減にしてくれよ。
そう思いながらも、俺は笑顔で利用者の手を取るしかない。それが俺の仕事だからだ。
ある日、利用者のひとりが俺にそっと話し出した。
「この間なくなった富山さん。あの人は、誰かに殺されたんだよ」
ああ、また妄想か。俺はそう思いながらも「それは大変だね」と相槌を打っていた。だが、その爺さんは作り話にしては、しっかりと筋が通っている。昔は中学の校長だったそうで、いうこともなかなかなものだ。そんな爺さんが言うことだから、俺はあるわけないと思いながらも、その話にのめり込んでいった。
来る日も来る日も、同じ話を聞かされた俺は、だんだん聞いているふりをするようになった。そんな中、爺さんは「いつも誰かに見られてるんだよ。きっと俺も殺されるんだ」といって、本気で怖がっていた。
それから1か月後、爺さんは息を引き取った。あんなに元気に話していただけに、俺はかなりのショックを受けた。しかし、これであの話はもう聞く必要がなくなったと、ホッとする自分もいた。
ところが、それから間もなくのことだ。
どこからか、俺をじっと見ている目に気が付いた。一体どこから誰が見ているのかと、俺はあたりを見回すが、それが誰なのか分からない。しかし、確かに俺を見ている。
利用者の世話をしているときも、その目は俺を見つめ続けているのだ。俺は背筋に冷たいものを感じた。だが、これはきっと爺さんの話を聞いていたために、おかしな妄想が頭を支配しているだけだと、自分に言い聞かせた。
だが――。
その目は、どこにいてもついてくる。
トイレに入っていても、飯を食べていても、俺を見張る目は瞬きもせずに見つめてくるのだ。
俺はだんだん恐ろしくなっていった。
爺さんは「殺される」と言っていた。そして、確かに亡くなった。つまり、俺もあの目に、いつかは殺されるということか?
そんなバカな――。
どんなに否定しても、目は追いかけてくる。
スタッフの声が俺の鼓膜を震わせた。
「最近疲れてる? 夜眠れてる? 顔色、悪いよ」
心配そうに、俺の顔を覗き込むその目は、楽しんでいるように見える。
そうか、こいつも俺を狙っているのか。
こいつらは、爺さんの次に俺を殺すつもりなのか。
俺は仕事に出るのが怖くなり、アパートに閉じこもるようになった。
ここなら奴らはいない。ここなら、俺は殺されない。
だが、俺は気が付いていなかった。
壁からのぞく無数の目があることに――。
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