俺は犬神~神様見習い、はじめました~⑤
作者:篠宮あおい
《あらすじ》
俺は、14年犬として生き、家族と幸せな時間を過ごしてきた。
そして、残り1時間というその時——神様にスカウトされ、犬神として生まれ変わった。
けれど、力も経験もゼロ。こんな俺に、一体どうやって“願い”が叶えられる?
その時、授かったのは“想像したものを現実にする力”。
俺はその力を使い、翼を手に入れると元の飼い主の元へと飛び願いを叶えた。
だが、神社に戻った俺を待ち受けていたのは、年老いた老婆。
老婆の願いは、夫の病気を治すことだった。
俺は持ちうる力を注ぎこんだがーー。
第3話 煮物と老婆と死神と(後編)
老婆には、この匂いが分からないのか、一生懸命夫に話しかけている。
だが、言葉がしゃべれないのか、口から出てくるのは、小さな声で「あー」という音だけだ。
それでも老婆は笑顔で夫に語りかけている。
「あなた、今日で100日目。
100日の間ずっと料理を届け続けたら、願いが叶うって言うじゃないですか。
だから、絶対に良くなります。
ねぇ、そうでしょ?」
なんと老婆は、100日の間、欠かすことなく社に料理を運び続けていたのだ。
「すごいな、100日もの間、ずっと料理を運び続けるなんて。
でも、前の神様は、それで治すって約束したのかな?
だとすると、神様は治らないって言ってたけど、本当は治るってことなんじゃないのか?」
老婆は神様との約束を信じ、絶対に治ると思い込んでいる。
「これで治らなかったら、この人は神様を信じなくなるんだろうな…」
胸に針が刺さったような痛みを感じた。
生きていた頃は、神様なんているわけないと思っていたのに、今の俺は神様を信じてくれなくなるのが怖いのかもしれない。
「そろそろご飯にしましょうかね。
今日の煮物、本当においしくできてるのよ。
きっと神様もお喜びになってると思うわ」
老婆はご飯の支度をするからと、台所に入って行った。
俺は、老婆と弱り切った夫を眺めていたが、やはり治してあげたいと思った。
治して、本当に神様が願いを叶えてくれたんだと、信じ続けて欲しかったんだ。
でも、どうやったら治せるのか分からない。
「困ったな…どうしたらいいんだろう。
こんなことなら、神様に治し方を聞いて来ればよかった」
俺はボヤキながら、じっと夫を見つめた。
すると、どうしたことか夫の身体が透けて見えてきた。
布団を通し、パジャマを通したその身体は、ガリガリに痩せている。
「ここまで痩せてるのか…」
思わず言葉を失うほどだ。
それでもじっと見続けると、徐々に患部が見えるようになり、黒く浮かんできた。
「ここか…これが悪さしてるんだな!
これを綺麗な白にしたら、治るのかな?」
台所からは食器がぶつかる音が聞こえてくる。
きっと神様を信じながら、それでも「治してください」と祈っているのだろう。
老婆の苦しい胸のうちが伝わってくる。
「大丈夫だよ、俺が治してあげるからね!」
俺はイメージを膨らませ、患部が白くなるようにと願った。
すると、確かに白くなっていく。
だが、夫の顔色が変わることはない。
「もっとだ、もっと!もっと白くなったら、元気になるからね!」
もっと、もっと良くなるように、そして元気になるようにと更にイメージを膨らませる。
すると、白から透明になっていった。
「もう少しだ!これでお爺さんは治るに決まってるんだ!w
それにしても、こんなに簡単なことなのに、なんで前の神様はやらなかったんだろうな?
100日もの間、おいしい料理が食べたかっただけなのかなぁ」
ところが、あまりにも念を入れ過ぎたせいか、透明になりすぎて患部が溶けていくのに気が付かなかった。
その時、小さな盆にご飯を乗せた老婆が部屋に入って来た。
「あなた、ご飯ですよ」
笑顔で入って来た老婆は、夫の異変に気が付くと、大きな声で叫んだ。
「あなた?どうしたの?あなた?!」
その声に、俺は夫を見た。
患部はどんどん透明になり、まるで溶けて消えていくように見える。
「あ…だ、ダメだ。このままじゃ、治るどころか、消しちゃうよ!」
俺は慌てて、念を送るのをやめた。
だが、一度透明になった患部は、元に戻る様子がない。
「なんで急に…あなた!しっかりして!
びょ、病院、救急車ー!」
パニックになりながらも、叫ぶ老婆は、隣の部屋に駆け込むと受話器を取り上げた。
「お、俺…助けようとしたのに…。
なんでこんなことになるんだよ。どうして溶けちゃうんだよ…」
遠くの方から聞こえてくる救急車のサイレン音。
それはまるで、俺の後悔をあざ笑っているかのように聞こえた。
救急隊員が部屋に入ってくると、すぐに夫は病院へと連れていかれた。
「な…なんで?
黒いのは白くなっていったじゃないか…。
あのまま良くなるんじゃなかったの?
なんでお爺さんは苦しんでるんだよ」
俺は泣きそうになりながら、救急車を追いかけ病院へと走った。
ところが、病院に着いた頃には、夫の容体はさらに悪くなり、呼吸が止まっていた。
霊安室に運び込まれた夫は、頭から白い布を被せられた。
冷たい室内で、泣き叫ぶ老婆の声がこだまする。
「あなた…あなた…もう少しだったのに。
なんで、あと少し頑張ってくれなかったの!」
遺体にすがりつき、泣く老婆は苦しみのうちを叫び続けてる。
「やっと…やっと100日…あたし、頑張ったのに。
神様だって、100日経ったら治してくれるって」
「そうだよ。だから俺、治そうと思って頑張ったんだ。
それなのに、なんで…あれじゃダメだったの?
俺、一生懸命やったのに…」
泣く老婆を見て、俺は胸が痛くなった。
こんなに痛くなったことなんて、今まで一度もなかったのに。
これがどんな感情なのか分からない。
でも、痛くてたまらない。
こんな悲しいことが起こるなんて。
泣き叫ぶ老婆の声が嗚咽に変わった。
そして出てきた言葉は、信じられないものだった。
「どうして…どうして、神様は助けてくれなかったの…?
100日、毎日料理を持って行ったら、治してくれるはずだったでしょ!」
顔を上げ、天を仰ぐようにして、憎しみを込めた言葉を吐き出す老婆。
その顔は、悲しみよりも憎しみの方が強く見えた。
「神様!」
「は、はい!俺、犬だけど神様です」
「なんで約束を守ってくれなかったんですか!
どうしてあたしから夫を奪うんですか?!」
「え…え、えっと、どうしてって言われても。
俺としては、頑張ったんだけど…」
「あの神社の神様は、100日料理を運んだら、必ず治してくれるって聞いたから頑張ったのに!それなのに、結局夫を連れて行くなんて、あんまりです!」
「え、俺が連れて行ったわけじゃないから」
「もう、神様なんて…神様なんて、信じない!」
「え、そんなこと言わないで。俺は一生懸命だったんだよ。
だから、神様を信じないなんていわないでよぉ」
俺は老婆に届くように声を掛けた。
だが、どんなに老婆に頼んだところで、老婆に届くはずはなかった。
俺は自分の無力感に押しつぶされそうになっていた。
その時、あざ笑うような声が聞こえてきた。
「やっちまったなw」
それは、何とも嫌な声だ。
振り向くと、そこには黒いスーツに黒い帽子をかぶった男がいた。
「あんた、誰だよ」
「おいおい、口の利き方を考えろよ、犬。俺は死神だぞ」
「死神?!おまえがあの人を殺したのか?!」
「バカ言うなよ。死神っていうのは、人を殺すわけじゃないさ。
死んだ人間の魂を連れて行くだけだ」
「え?俺の時は神様だったよ?」
「あんたは神様によって、神様にスカウトされたからだよ。
俺が迎えに行った時には、あんたの魂は、あそこにはいなかったんだ」
信じられない話過ぎて、呆けていると死神はおかしそうに笑っている。
「あ、じゃあ、どうしてこの人は死んだの?」
「この人の寿命が尽きるのは今日だったのさ。
お婆さんが100日、あんたの社に願いをかけ続け、その100日目が最後だった。
だから死臭がしただろう?」
「死臭?なにそれ?」
「おいおい、いくら犬でもそのくらいは分かるだろうよ」
「分からないから聞いてんだけど?」
「まったく…あんたの担当神は、一体何を教えてるんだろうなぁ」
そうは言われても、自分で不真面目だと公言するような神様だ。
俺が困って、初めて暴露する派なんじゃないかと思う。
それも心底楽しむように、だ。
「あのなぁ、死臭ってのは、そろそろ亡くなるぞって時に漂う匂いのことだ」
「あ…お爺さんから漂っていたあの匂いってこと?
何かが腐ってるような」
「その通りだ。
人間ってのは、そろそろって時に、体の中が腐っちまうのさw
そうなったら、なにをやっても無駄ってこったw」
「じゃぁ、俺が一生懸命、力を入れてたのは…」
「意味はなかったということだね。
寿命には逆らえないんだよ」
「だから透明になったの…?」
「さぁな、それは分からないね。
でも、面白かっただろう?w」
「面白かっただって?!冗談じゃない!」
目頭が熱くなった。
あんなに夫の回復を願っていた老婆だというのに、しかも、100日も頑張ったのに、その願いが叶えられずに終わるなんて。
その怒りを今、どんな思いで天にぶつけているか。
今だって、怒鳴り続けてるじゃないか。
それを『面白かった』だなんて、どうして思えるんだよ!
こんなことなら、最初から『100日ルール』なんて約束しなけりゃよかったんだ。
「そう悔やむなよ、よくあることなんだ。特に若葉マークの新人さんだとね。
自分が助ける気になって、人間の寿命までは考えないんだ。
まぁ、凹むことはないさ。
それにあんたは犬だから、神様も大目に見てくれるよ。
ただな、これから先はちゃんと仕事をしてくれよ。
その時は、人間の寿命をちゃんと見定めて、俺の邪魔はしないでくれ」
「俺…邪魔したってこと?」
「まぁなw
すんなり連れて逝くつもりだったのに、初心者犬神のせいで救急車騒ぎだよ。
おかげで、余計な手間がかかったってことだw」
「そうだったんだ、ゴメン…でも、寿命の見方なんて分からない」
「人間の頭の上には数字がある。
その数字がゼロになった時が終わりってことだ」
「そうだったのー?!
え、じゃぁ、俺の寿命も?」
「ああ、お前の寿命は神様が来なければ、後1時間はあったよ」
「え?!俺、1時間早くに終わったの?」
「それもしょうがないことだ。
神様って、いわばブラック企業だからなw
そこのスカウトなんだから、相手のことなんて考えないに決まってるだろう?
でも…俺だったら断ってたけどねw」
「え?!う、うそ…」
まさか、まだ1時間生きていられたなんて。
その1時間があったら、最後に肉を食べられたかもしれないのに。
今度神様に会ったら、化けて出てやる!
「あははは、面白いことをいう犬だなw
とっくにこっちの世界にいるのに、化けて出ることなんてできるかよw
神様になった以上、あんたは恨みを晴らすことはできないのさw」
「そ、そうなの?!
なんか、理不尽すぎるんだけど」
「まぁ、理不尽だらけってのは、人間界も神界も同じなんだろうよw
おっと、あんまり余計なことを言ってると、神様に怒られるからよ。
俺はこれで失礼するよw」
そう言うと、死神は夫の魂と共に消えていった。
夫の方は、「妻と最後の別れがしたい」と言っていたが、声が届かない以上、そんなものは無駄だと強制的に連れていかれてしまったのだ。
「うわぁ、死神って…ほんとにいたんだ。
死神さんだったら、俺もあんな風に連れていかれたってこと?
…絶対ヤダな。神様に拾われてマシだったかも」
俺は不思議な世界に足を踏み込んだ現実と、後1時間は生きていられたという事実に、軽いショックを受けていた。
そんな状況の中、老婆はというと、未だに神様に毒づいている。
そんな老婆を見ながら、俺は何ともやるせない気持ちになっていた。
「そうか…寿命だったのか。
だったら、俺の精じゃないよ、お婆さん。
だから、神様を嫌いにならないでよ。
俺、これから頑張るからさ!」
しかし、俺の声が聞こえない老婆は──。
「よくも約束を破ったね!神様なんかくそくらえだ!」
と、毒づき続けている。
《6話へ続く》
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