共有は幸せの味
娘と買い物に行き、安いところで安いものをと走った。
買い終わってみると、12時を回っている程度だった。
よし、家に帰ってそばでも茹でるか!
そう思っていたら、
娘「お母さん、お昼。コンビニだよね」
確かに言った。
スーパーで弁当を選んでいた娘に、次の店で買おうと。
そして、次の店に売ってなかったらコンビニだと。
約束したつもりはない。
時間を見ての話だった。
だが、メンタルの病気の娘は、約束したと思いこみ、コンビニを楽しみに手伝っていたという。
はぁ。そうですよね。分かりますよ、はい。
ということで、コンビニへ。
頭の中では、あのときスーパーで買っとけばよかったなという後悔。
しかし、しょうがないよね。
確かに頑張ってくれたし、無駄遣いはしなかったし。
気を取り直してコンビニに入り、お互いに麺類をチョイスした。
娘は今まで、麺類の蓋をあけたり、トッピングをのせて混ぜたりができなかった。
大人なのに、どうしてできないのか不思議だったけど、できないのなら仕方がない。そばにいる人が娘の分も作っていた。
そんな娘と車に戻り、なんと自分でラップを剥し、混ぜ混ぜしている。
私「できるようになったね~」
娘「うん、できるようになった♪」
人を頼ることしかできなかった娘が、小さな一歩を踏みしめている。
それだけメンタルも良くなりつつあるということなのだろう。
よきかな、よきかな。
そう思い、私は自分の分を作ろうとラップを剥し、トッピングの皿をハンドルの奥に置こうと手を伸ばした。
その瞬間、ハンドルに手がぶつかり、皿はひっくり返り、ハンドルや計器類、果ては私の膝までトッピングの嵐となった。
しばし茫然。
一体何が起こったのか?
まいったなぁと思いつつも、落ちたそれらを拾い上げる。
すると、娘の手が伸びてきて、ふたりで拾い集めた。
さらに娘の手が、私の麺が入っている皿を取り上げ、混ぜ混ぜ。
え?
娘「お母さん、こっち食べる?」
こっちというのは、娘が買った方だ。
さすがに、大人とはいっても娘だ。
我が子が食べたいと買ったものを取り上げることなんてできない。
私「大丈夫だよ、お母さんはこっちでいいから」
娘「でも、具がなくなっちゃったよ。
お母さん、可哀そう」
母親が可哀そうなのって、今に始まったことではない。
母になった時から、可哀そう生活は始まっている。
私「お母さんは、ずっと可哀そうだから、大丈夫だよw」
すると娘が、自分の具を半分私の皿に入れてくれた。
そんなことしたら、自分のがなくなるよ、と言っても娘の手は止まらなかった。
こうしてお互いに少ない具をのせた麺をすすったのだが、食べ終わった娘。
娘「楽しかったぁ~。いつもより、うんと幸せで楽しかった。
共有するって、幸せなんだね」
その時、脳裏に蘇ってきたのは父の言葉だ。
幼い頃、三姉妹だった私は、滅多におやつを買ってもらえなかった。
姉妹三人同じ境遇で、手にしたオヤツは誰にも渡したくなかったものだ。
そんな時、父は
「ひとりで食べてうまいか?」
そう言った。
やっと自分のものとなったオヤツだ、分けようとひとりで食べようと、その味に変わりはない。
姉たちも同じ意見だった。
だが、「ひとりで食べてうまいか?」という父の言葉の意味を、この年になって娘に教わるとは、ね。
いい子に育ってるなぁ。
私の娘とは思えないほどだ。
お父さん、あなたの孫は、本当に素晴らしい娘に育ってますよ。
そう教えてあげたい。
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