「そのままでいいよ」が合図。父とサラダと、静かなルール
先日、実家で父と食卓を囲んだ。
母が、いつもながらいろんなおかずを用意してくれていて、テーブルはにぎやかだった。
メインは魚の西京焼き。
副菜は、小松菜のジャコ和えに、切り干し大根とにんじんの煮物、こんにゃくの煮物。
とうもろこしご飯とアサリの味噌汁まである。
まさに「帰省ごはん」って感じで、しみじみうれしい。
そして、サラダがあった。
レタス、トマト、千切りしたセロリにきゅうり。
そこに玉ねぎドレッシングが添えてあって、いかにも家庭のサラダ、という安心感のあるやつ。
私はサラダが好きだ。
このnoteでも、たびたび「サラダ」テーマでお届けしている。
だから実家でも、サラダがあると気持ちが高鳴る。
自然と手が伸びる。
……のだけど。
ここで、ひとつ気をつけなければならないことがある。
父も、サラダが好きなのだ。
なにを隠そう、かなり。
おかずがどれだけ並んでいようと、サラダをメインのように食べる。
副菜には軽く手をつけるくらいで、ごはんと味噌汁、メインの脇にサラダがあれば満足、という感じ。
実家では必ず自分の分を先に取り分けるようにしている。
油断していると、ボウルごと空になっていることがあるからだ。
この日も、いつものように自分の分をよそって、ついでに父の分も取り分けようとしていた。
私「取り分けようか?」
父「いいよ、そのままもらう」
……それはつまり、
「残り全部を食べるから、ちょうだい」
という意味である。
もちろん、もめることはない。
これはもう、我が家の静かなルールだ。
私はふっと笑いながら、サラダボウルごと父に渡す。
そして、父は何食わぬ顔でむしゃむしゃとサラダを食べはじめる。
まるで、川辺で青々とした草を摘む草食動物のように。
どことなくカバっぽい。
そんな姿を見ながら、ふと思う。
——ああ、私はこの人の子なんだな。
野菜たっぷりのサラダを好きなことも、
量を加減せずに好きなものはすべてをペロッと食べる習性も、
ヘルシーなようで、ジャンクな物も好きなのも。
きっとこの人から受け継いだものだ。
親に似てきたなと思う瞬間は、年々増えてきた。
話し方や考え方もそうだけど、私は特に、食卓のシーンでそれを感じる。
「そのままでいいよ」
そう言ってサラダをすべて食べる父を、これからも私は見続けるんだろうな。
そしてきっと、私もまた、サラダボウルの中身を静かに狙っている。
今日も平和だ。
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