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全ての「表現」活動に共通すること

色の濃淡や滲ませ具合、塗る方向性やタッチ…などによって「立体的・写実的に模写(奥行きや重心を表現)する練習」も勉強として必要…と…(いやここにきて先生が…ですよ…)、

自分が昔何気に撮ってあった「テーブル上の一輪挿し🌹」の写真を題材に…↓

…こんなこと↓も今やってます。

⚠️まだ最後の詰めが終わってません…💦

あくまで習作のつもりでとりかかってましたが、出来上がってくると、これはこれで需要がありそう?…と、ちゃんと額装して5月の展示↓に他の抽象画作品群に混ぜて出すことになりました。

先生曰く、このギャラリーはちょうど「実は "抽象画" 展示の方がレア」な会場…だそうです。

なので今回は、

「比較的、目に優しい柔らかめタッチの抽象画」
をいくつか 
選び、そこに付加して
「小さめ具象画」も実験的に1人1作ずつ 出す

…方針で行くことになりました。



具象画……初めての挑戦でしたが……、意外と身構えず出来てしまいました。

美大では先にこういうこと通過するんでしょうが、うちの先生、逆なんですね、やらせる順序が。

それには先生なりの信念があるようで…。

過去記事でこんなこと↓書いた部分があるんですが…

2025/8/15/の記事「抽象画高速学習の振り返り」より抜粋

ピンクで囲った内容を少し補足すると、先生としては…

具象画だろうが抽象画だろうが、心の眼 をクリアにして「よく観る 」ことが何より大事なのは変わらない。 心の眼でとらえたものを 再現(具現化)したい と 深い所から 思えば、必要なテクニック(手段)は後からついてくる。先に鍛えるべきは「心の眼」。

…と言った所でしょうか。

(「実際それが今回証明された」「これまで養ったことが生かされてる」と先生の弁。)

つまり、「技術」から先に入らない 

…なんかこれ、わかる気がします…。

私もスパルタ音大時代「超絶技巧箇所をミス無く」とか「少しでも速く指が回るように」とかばかり追いかけさせられて、「音」のはずが「指のスポーツ」化してしまい、卒業の頃にはピアノが大嫌いになった経緯があります。(なんのために弾いてるのかわからなくなり…。)

「受け手に気持ちが伝わって共振・共鳴・共有が "深い所から" 起こる至福の歓び」を身を持って体感し、真に「表現の醍醐味」を悟ったのは、いったんピアノから数年離れた後に出戻って演奏活動を始めてからでした。

今でも「機械みたいに正確で "感心" はするけど "感動" はしない(琴線に響かない)演奏」を耳にすることがあり、私自身は後進にそうならないように、ピアノを架け橋に「表現の心」を伝授 しようと心がけてる所があります。

(注:「技術なんて要らない」とは言ってませんよ。⚠)

私の絵の先生も、我々の創作物が「上手いだけで(本質的な何かが抜けてて)深みの無い絵」にならない よう、そこはかなり徹底してます。

…じゃぁその…

「本質的な何か」って何?
「 "心の眼" で観る」ってどういうこと?
どんな時に「共鳴」が起こる?
「表現」とは究極なんぞや?

…ということですが…

それは…またの機会とさせていただきます。この核心の所が1番言語化難しいので…。いやほんとは1番シンプルなモノ(コト)なんですが…そういうモノ(コト)ほど、一言でボンッとあてはめられないんですよねーーー。

言葉にならない…むしろ言葉にすると興醒めになる…アレですよ、アレ…。  (まぁ、だから言語以外で表現してるわけですが。)


…失礼。だいぶ横道にそれて長くなりましたが、最後の詰め…ここからが本番みたいなものなので、まだまだがんばります。



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画家と音楽家やってます / 宗 有紀 ありがとうございました。チップで応援していただけた場合…う〜ん、そ〜ですね、、、個展のDM郵送代にさせていただこうかな…と思います。手元に葉書が届くのってやはり嬉しいですよね。(ちなみに「必ず手書きで一言添える」タイプです。)

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