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短編小説 「赤とんぼの名前」 (虹色創作部)

下駄箱で外靴に履き替えて外に出ると、秋の空が高く澄んでいた。
一日の授業が終わった放課後の空気。
やっと夏の暑さが息を潜めたその涼しさに、少し安堵のような喜びを覚えながら息を吸った。
サッカー部が、ボールを蹴る音と交わし合う声が聞こえる。

みっちゃんが、つま先をとんとん、と靴を履いている。パステルカラーの紫に、黒い靴紐のかっこ良くて可愛いスニーカー。
白いショートパンツと少し大きいパーカーのコーディネートにすごく合ってる。
私は、自分の何の変哲もない白くて、ただ俗っぽいキラキラしたスニーカーを見た。これはこれで歩きやすいんだけどな。

お待たせ、とみっちゃんは笑う。レースの模様が刻まれている水色のランドセルが揺れる。
並んで歩き出す、いつもの帰り道。
取り留めもなく色々話す。理科の先生が授業中に言ったギャグ、クラスの男子が給食でジャンケンしてたプリンの話、家の犬の話、昨日見た動画の話。

「帰ったらTikTok一緒にとろうよ」
「いいね、教えて振り付け」

私はみっちゃんに振りを教える。みっちゃんはすぐに覚えて、一緒に曲を口ずさみながら、身振りをつけながら楽しく歩いた。

「あ、みっちゃん、亀屋さん寄っていい?」
「いいよ、何買うの?」
「漢字ノート。もうすぐ終わっちゃうから」

亀屋さんとは、通学路の途中にある昔からある文房具屋さん。なんで亀屋さんなのかは知らないけど、みんなそう呼んでいる。

店の奥には、店員のおばあさんがいる。一見無表情で、私はいつも少し緊張するけど、別に怒っているわけではないようだ。

「やば、ちいかわのノートある。これにしようかな」
「えーちいかわ?かわいいけど、漢字のノート買うんでしょ?」
「そうだった!危ない危ない」

私はなんの変哲もない漢字のノートを手に取って、おばあさんにお会計してもらいに店の奥に持っていく。
レジの横に、キラキラと輝く水色の宝石のモチーフが着いたボールペンが売っていた。
みっちゃんみたい。私は何故かそう思った。
私は気づいたらそれも一緒に買っていた。
おばあさんはノートとボールペンを薄い紙袋に入れてくれた。

亀屋さんを出ると、目の前を赤とんぼが通った。
その止まっているような、進んでいるような動きに目を奪われる。

「赤とんぼ……もうすっかり秋だね」

みっちゃんは赤とんぼをよくよく見ていた。

「これは……アキアカネだね。赤とんぼってさ、赤とんぼって名前のトンボはいないんだよ。全部、広い意味で赤とんぼってだけで、色んな種類がいるんだって」

「へー! そうなんだ! みんな同じだと思ってた。みっちゃんってほんとに色々知ってるよね」

みっちゃんは、私の言葉に少し照れたようだった。

「おじちゃんが詳しくてこの前教わっただけ。教わるとその違いが気になっちゃってさ」

「どんなのがいるの?」

「顔が青いのとかいるよ」

「そんなのいるの!? すごーい、スマホで撮りたいね」

「YouTubeとかで調べたらすぐ出てくるよ多分」

「でも本物がみたいじゃんね」

「まぁそれはそうだね」

みっちゃんは楽しそうに笑った。

それから、赤とんぼ……いや、アキアカネが飛ぶ先を見ながら、みっちゃんはつぶやくように言った。

「私ね、引っ越すんだ。来月」

その言葉に、世界が一瞬色を無くしたかと思った。

「え……?今なんて……」

「引っ越すんだよ。お父さんの仕事の都合でね、だから転校だよ」

みっちゃんが、転校。
その言葉は、私の心を重い石に変えてしまった。
何か言わないと、と思うのに、口が動かない。秋の乾いた空気が、情けなく開いたまま止まった口を撫でていく。

みっちゃんは小さな石ころを蹴飛ばした。
「めんどいよねー、六年生にもなって転校なんてさ! 卒業させろっつーの! 」
そう言って、ケラケラ笑う。
私は、今にも泣き出しそうだった。

みっちゃんは、普通の調子で言う。
「ねぇ週末空いてる? リベパ行こうよ、最後にプリクラ撮ろ」

私はなんとか絞り出すように答えた。
「うん、いいよ」

みっちゃんは笑っていた。
「後でLINEするね」

その声が、耳の奥でこだまするようだった。



約束した週末。
空は少し曇っていて、空気も空の重さのような湿り気を帯びていた。

ショッピングパーク リベル。通称リベパ。
私たちが住んでるところより、さらにちょっと郊外にあるおっきいショッピングモール。駅前からシャトルバスが出ていて、私達はそれに乗ることにしていた。

駅前で待ち合わせ。みっちゃんはもう来ていた。肩が出ているトップスがとっても素敵。うちのママは肩が出ている服は買ってくれない。
みっちゃんはそんな服を、自然に着こなしている。

「おっはよ!雨降らないといいね」

「一応傘もってきたけど、リベパなら大丈夫だよね」

「私屋上でクレープ食べたいから雨降ると困る」

「えー!確かにー!」

私達はわいわい言いながらバスに乗り込んだ。
並んで座って、YouTubeShortを適当に見る。

リベパは、何回来てもなんだか新鮮な感じがする場所だ。大きな木をモチーフにした入口に、ワクワクした気持ちになる。

「どこから行こっか」
みっちゃんの問いかけが、冒険の始まりの合図に聞こえた。

リベパはかなり広い。
私たちは、プリクラを撮るためにゲーセンを目指しながら、その途中途中で気になったお店で雑貨やお洋服やお菓子を吟味した。

お小遣いはそんなにないから、本当に欲しいものだけ。
だけど、時折心よぎるもうみっちゃんとはここに来れないんだという気持ちが、手にしたものを思い出として全て買いたいような衝動に駆られる。

「これ可愛くない?」
と、300均で見せてきた、ふわふわのしっぽみたいなキーホルダーに、目とたらこ唇がついたキーホルダー。

「何それ」
私も笑いながらそのキーホルダーを見る。
色んな色がある。大体は虹色のグラデーション。

「おそろで買う?」

みっちゃんの無邪気な問いかけ。

「え、めっちゃいいじゃん買おう」

私は冷静に答えたつもりだけど、なんだか胸が熱くなっていた。
私は、できるだけ水色が多く含まれてるそれを選んだ。

「いいよね、300円だし。思い出思い出」

「思い出って買うものなの?」

「一緒にいる時に買うから思い出なんじゃん」

「たしかに」

二人で笑いながらお会計した。

やっとたどり着いたゲーセンで、そのキーホルダーを持ちながらプリクラを撮った。

ゲーセンから、屋上……というかテラスは近い。
人工芝が敷かれたそこは、買い物に疲れた人と子どもたちのいこいの広場になっている。

クレープ屋さんだけがあって、みんなベンチでクレープやアイスを食べている。

曇り空のまま、雨は降っていなかった。
私とみっちゃんもクレープを買う。

みっちゃんは嬉しそうにそのクリームが溢れるクレープにかじりついた。
私も食べる。柔らかい生地と、甘いクリームが口の中でほどけていく。

「雨降ってなくて良かったね」

「ほんとにね」

「あ! 見て、こんなとこにも赤とんぼがいるよ!」

私たちの目線の少し先に、トンボは飛んでいた。

みっちゃんは目を凝らす。
「あれは何アカネだろうね、ちょっと遠いしわかんないや」

「赤とんぼじゃだめなの?」

「気になるじゃん、1個1個に名前があるならさ」

みっちゃんの言うことは分かるような分からないような気がする。いつの間にか赤とんぼは視界から消えていた。


はしゃぎすぎて、帰りのバスはほんの15分程度の道のりなのに、みっちゃんと私はお互いにもたれながら寝てしまった。

駅前に、みっちゃんのおうちの人が迎えに来てた。
私のママももうすぐ来るだろう。
みっちゃんママにお辞儀をして、みっちゃんとはまた明日って言葉を交わした。

家に帰った私は、キーホルダーを早速ランドセルに付けた。

「何それぶっさいく!」

お兄ちゃんが笑いながら言ってくる。

「ひど!!めっちゃかわいいでしょ!みっちゃんとおそろ!」

「お前、ほんとにみっちゃん好きだよなぁ」

「親友だもんみっちゃんは!」

「へーへー」

お兄ちゃんは煽るだけ煽っておいて自分はまたスマホのゲームに戻っていった。

プリクラは、机に飾った。
目が大きくキラキラに写ってるそれは、夢みたいな思い出の証のようだった。




学校で、みっちゃんのお別れ会があった。
有志の子が、歌ったり踊ったり、手紙を読んだり、手品をしたり、みっちゃんとの時間を惜しんだ。
私も、みっちゃんと振り付けを覚えたTikTokの曲を、他の友達と一緒に踊った。みっちゃんも椅子に座りながら踊っていた。

お別れなんて、信じられない。みっちゃんは今もいつも通りこの教室にいるのに、お別れ会の方が異質な気がしてしまった。

放課後。いつもの通りにみっちゃんと私は並ぶ。
涼しくなったと喜んでいた秋の空気は、もうすでに少し冷たいくらいで、肌の表面の温度をさらっていく。

二人で帰る、いつもの通学路。

明日だね、という言葉が喉まで出かけて、そんなことは言ってはいけない気がして、そのまま飲み込んだ。

赤とんぼが目の前をよぎった。二、三匹いる。

「……これはアキアカネ?」

私の口から、そんなことならこぼれ落ちる。

「……これはナツアカネかな」

「えー、違いわかんないよ」

「胸の模様が違うんだよ」

「みっちゃんはすごいね」

私の言葉にみっちゃんは、微笑む。

みっちゃんがいなくなったら、私はこの赤とんぼの違いは分からないんだろうと思うと、さらに心もとないような気持ちになってしまう。

寂しい、なんて言えない。

私の勝手な気持ちだ。みっちゃんは微笑んでるし。

行かないで、なんて言えない。

みっちゃんが転校するのはみっちゃんのせいじゃない。お父さんのお仕事ならば、小学生に出来ることなんてない。

みっちゃんも、寂しい?
……これはもっと言えない。

いつもはどうでもいい事ばかりをペラペラと話していたはずなのに、今日は何を話していいか分からない。逆に今までなにを話していたんだろう。
いつも通りでいようと思う気持ちが、いつも通りをさせてくれない。

結局、ほとんど喋らないまま、みっちゃんと別れる交差点まで来てしまった。
今日が、一緒に帰れる最後の日だったのに。

何か言わないと、と思ったのに、息を吸い込んだまま止まってしまった。

いつもはバイバイ、と軽く路地の向こうへ消えていくみっちゃんも、今日は立ち止まっていた。
そのまましばらく黙っていたけど、口を開いた。

「……まぁ、一生の別れって訳じゃないし、LINEもあるからね」

その声は、少しだけ震えていた。
私は込み上げそうな涙を、深く吸った息で押さえ込んだ。

「そうだね、LINEしようね。……明日お見送り、させてね」

「もち。待ってるよ」

これ以上何かを言うと、お互いに泣いてしまうと思った。
バイバイまた明日、と手を振りあった。

私は、みっちゃんの気配が遠くなってから、胸を引き裂く思いに目をそらすように、家までの道を走って帰った。



みっちゃんが、この街を去るのは午前10時。

私は、何度か遊びに来たことのあるそのマンションの駐車場に来ていた。

みっちゃん、そしてその後ろにママとパパ。

みっちゃんは、今日はラフな格好をしている。車に乗る時間が長いんだろう。

「みっちゃん、これプレゼント」

「え!開けていい?」

「いいよ」

かわいい袋に入れただけのそれを、みっちゃんはいそいそと開けた。

みっちゃんの手の中で、それは輝いた。
この前亀屋さんで買って、使えなかったキラキラの宝石がついたペン。

「ありがと、すごいかわいい!」

「でしょ?」

みっちゃんみたいだから買ったんだよ、とは言えなかった。
みっちゃんはそれを大事そうに袋に戻した。

お互いに、また黙り込んでしまう。

みっちゃんのママが、みっちゃんに何か話しなさいと言わんばかりに、その背中をそっと押す。

みっちゃんは、少し考えた後に、ぽつりと言った。

「……大人になったらすぐ会えるよ」

その言葉は、私に、逆に、これからの長い時間を感じさせてしまった。

今すぐ、その未来に行きたい。

そう思った瞬間、涙が溢れていた。

二人の間を、赤とんぼが通った。

その姿を目で追ったら、赤とんぼを見ているみっちゃんと目が合った。みっちゃんも泣いていた。

「……アキアカネ」

「……うん、正解」

私達は微笑みあった。

みっちゃんのパパが、腕時計をちらっと見た。もう行く時間なんだ。

「……みっちゃん、またね」

「うん、またね」

「元気でね」

「LINEしようね」

「もちろん」

みっちゃん、みっちゃんと過ごす毎日が楽しかったしずっと続くと思ってたよ。

これは言葉にならなかった。

みっちゃんはまだ少しだけ涙ぐんだまま微笑んで、車に乗った。

みっちゃんのパパとママも車に乗る。エンジンがかかる。

みっちゃんが座ってる後部座席の窓が開いた。

「またね!元気でね!」

「みっちゃんもね!!」

みっちゃんはずっと手を振っていた。

私も、車が見えなくなるまで手を振った。

みっちゃんがいない明日の放課後が一瞬頭をよぎる。息がひゅっと出来なくなる。

頭を振る。みっちゃんはみっちゃんで新しい土地で頑張るんだ、私なんかの寂しさなんて。

目の前に、赤とんぼがふっと飛んできた。

アキアカネ。

このトンボを見る度に、みっちゃんのあの静かな笑顔を思い出すんだろう。




こちらの企画に参加させていただきました…!
素晴らしいお題をありがとうございました。

#虹色創作部

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