心理学より宗教がいい理由
最近、自分がノイローゼに苦しんでいた30代の頃を思い出すきっかけが2つあった。
1つは、新百合ヶ丘総合病院という、バカでかい病院に初めて行って、病院の中でしか夜を過ごせなかった当時のことを思い出したこと。
もう1つは、昨日のことだが、小林拓馬氏のキリスト教の説教をYouTubeで聞いていて、「悔い改め」の元々の意味を知ったこと。
それは1990年代初めのことで、当時はノイローゼ、神経症と一般に呼ばれていた。
その後、1990年代半ばにDSM(精神疾患の診断・統計マニュアル)が大改訂され、精神疾患の呼び名が大幅に変わった。
ノイローゼ(神経症)というドイツ語由来の言葉は使われなくなり、「ナントカ障害」というアメリカ流の言葉に変わった。
私の病気は、当時の呼び名で不安神経症、現在は不安障害やパニック障害と呼ばれるものだった。
あれは、これまでの人生で最悪の体験で、あの体験を思えば、どんなことも辛くないと思えるようになるほどだった。
その体験は、オウム真理教事件を題材にした私の小説「平成の亡霊」にも、反映させている。
その最悪の1年間、私を支えたのが、キリスト教だった。
普段は幽霊や心霊など信じない、唯物論者の私が、キリスト教関連の本を読みあさり、そして救われた。
キリスト教自体が私の神経症を治したわけではない。
私は認知行動療法を自己流に実践し、その効果がいちじるしかったと思う。
しかし、認知療法に踏み出す一歩のために、キリスト教の教えが必要だった。
キリスト教は、治療実践の前提部分で、私の精神を支えてくれたと言える。
キリスト教のどの部分が私を励ましたのか。
それは複数あり、絡み合っているので一言では難しいが、たとえば「奇跡」というもの。
人が水の上を歩いたり、空中に浮いたり、死から甦ったりするわけはない、と日常の私は思っている。
神経症の渦中にある自分は、それと同様に、自分の病気が治るわけがない、と思っている。
そういう「日常の思考」にとらわれている限り、出口が見えないのだ。
聖書に書かれているような奇跡を信じてみると、同様に、自分の病気も治るのではないか、と初めて信じることができた。
私は当時、パスカルをよく読んでいたが、とくに彼の「病の善用を神に求める祈り」がしみじみと心に響いた。
それが、自分の場合、突破口になった。
神経症は過去の精神的外傷や日々の心理的抑圧に起因する、という考え方はフロイトによって広がった。
それは、「正しい」だけに、悪影響をおよぼす。
精神的外傷という意味の「トラウマ」というドイツ語は、今や子供でも知っている。
「自分がこういう性格であるのは、過去のこういう体験や環境のせいで・・」という自己分析は、子供でもできるだろう。
だが、そういう「常識」こそが、心を縛り、神経症から抜け出せなくさせている。
そういう常識や過去を「切断」する何かが必要なわけで、それが私の場合には、キリスト教だった。
キリスト教のメッセージは、第一に、過去にとらわれず、自らを一新させよ、という命令であり、一新できる、という励ましである。
そのことを、昨日YouTubeで見た小林拓馬氏の「バプテスマのヨハネ」に関する説教で、改めて認識させられた。
ヨハネが伝えたメッセージは何だったんでしょうか。
皆さん、(マタイ3章)2節をご覧ください。
このように書いてあるんです。
悔い改めなさい、天の御国(みくに)が近づいた。
これがバプテスマのヨハネが伝えたシンプルな福音のメッセージなんです。
そして、来週お読みしますけれども、マタイの福音書4章を見ると、この言葉は、イエスご自身が宣教を始められた時に発した言葉と全く同じです。
悔い改め。これが神様から人々に対するメッセージなんですね。
この悔い改めという言葉は、ギリシャ語でメタノイアという言葉です。
まあ私世代なんですけれども、星のカービーというゲームでね、メタナイトという敵キャラがいるんですが、なんか似てますよね。私これでこの言葉を覚えたんですけれども。
このメタノイアというギリシャ語が、悔い改めという風に翻訳されている言葉です。
この メタノイアという言葉の元々の意味は、180度方向転換をするという意味です。
ですから、元々のニュアンスには、必ずしも「悔いる」というニュアンスはないんですね。
あくまでもそれまでの自分の心の持ち方、心のあり方、生きざま、生き方を180度変えますよということが、このメタノイア、悔い改めという言葉なんですね。
ただ、もちろんですね、悔い改めという言葉が完全に間違っているわけではなくて、180度転換するということは、やはりそこに反省をすると、過去の自分が生きてきた道、進んできた道が間違っていたと認識することが必要なんですね。
ですから、この悔い改めなさい、メタノイアという言葉は、私たち現代のクリスチャンに対しても、すごくチャレンジングな言葉だと思います。
これが神様からのメッセージなんです。
(動画6:48~8:35)
聖霊と火のバプテスマとは何か【聖書の話88】<マタイの福音書3章>クラウドチャーチ牧仕・小林拓馬(2024/2/9)
精神疾患の自己治癒には、「180度の転換」が必要で、それは日常の「唯物論的常識」からは出てこない。
そこで宗教が効果的になる。
もっとも、こういうことは、心理学の内部でも気づかれていた。
たとえば1970年代に「家族療法」を提唱したポール・ワツラウィックは、こうした「悔い改め」が治療の核心であることに気づいていたと思う。
彼はベストセラーになった『希望の心理学』の中で、「同じことの繰り返しこそ、不幸への、神経症への早道だ」と言っていた。
人間は、「同じことの繰り返し」によって、日々の物事を解決する。そうするのが便利だから「同じことを繰り返す」のだ。脳も、同じことを、同じように考えるようになる。それによって、自分の自我や環境が出来上がっていく。
しかし、その結果として、身動きができない自分が出来上がってしまう。それが深刻化したのが神経症だ。
ワツラウィックはべつの本で、神経症者は、「チェス盤の上で必死で相手を負かそうとしている。本当に必要なのは、チェス盤をひっくり返すことだ」みたいなことを言っていた。
いわゆるゲームチェンジャーの「変化」をもたらすものの1つが、宗教だと言えるだろう。
それは、今でも、心理学や精神医学といった科学では、完全に置き換えられない思考や体験のセットになっていると思う。
こういうことを書きたいと思ったきっかけは、もう1つある。
4月に入り、新学期、新年度になって、また新たな「同じ繰り返し」が始まる時期である。
さっそく、冷たい雨の中、満員電車の洗礼に遭った人たちが多いだろう。
4月に始まった「繰り返し」の日常が、どこかの時点で、自分を身動きできない苦しみに、おちいらせてしまうかもしれない。
それは、数カ月後かもしれないし、数十年後かもしれない。
そういう場合に、「奇跡」や「希望」の可能性を思い起こすことは、死活的に重要だと思うのだ。
<参考>
