日本とチェコの「忘れられた戦争」
WBC、昨日は日本とチェコの試合だったんですね。
私、Netflix加入者なのに、WBC見てない。
でも、「チェコ」という国名、最近読んだ本に出てきたので、
「お、チェコか」
と反応してしまった。
前にも紹介した棟田博『兵隊日本史』の第2巻「第一次世界大戦・シベリア出兵編」。
日本人が「チェコ」と大きくかかわったのが「シベリア出兵」ですね。
あんまり日本史の中で「チェコ」って出てこないと思うけどね。
出てくるとすれば、この「シベリア出兵」。
でも、ほとんどの日本人は忘れているのではないか。
100年以上前の話だし。
私も忘れていた。というか、知らなかった。
歴史に詳しい人なら、もちろん知ってるだろうけど。
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棟田の「兵隊日本史」3部作は、明治、大正、昭和に分かれている。
第1巻は明治で、「日清・日露戦争編」。
第3巻は昭和で、「満州事変、支那事変編」。
それは分かるけど、「大正」に割り当てられた第2巻が「第一次世界大戦・シベリア出兵編」って、地味すぎないか。
大正はそもそも短いし、大正時代に日本は戦争してたっけ?くらいの感じでしたよ、私は。

大正といえば、大正デモクラシーで、なんとなく平和な時代というイメージがある。まあ、関東大震災までは。
しかも、第一次世界大戦は戦争だとしても、「シベリア出兵」って何だよ、それは戦争かよ、と思うわけ。
なんか教科書に載ってた気はするけど、あのへん、ぐちゃぐちゃっとしてよく分からないし、面白くないから、覚えていない。あなたもそうでしょう?
シベリア出兵は、紛れもない、日本が大正時代にやった戦争なんだけど。
1918年(大正7年)から4年間、たくさんの戦費と兵力を使って戦った。
なんで「シベリア戦争」と言わないんでしょうね。よく分からない。
はっきりしてるのは、日本戦争史上、もっとも評判が悪い戦争ということですね。だから、みんな忘れたがっている感じだ。
棟田の3部作は、3巻がほぼ同じ分量だから、あんまり書くことがなさそうな「第一次世界大戦・シベリア出兵」について、「日清・日露」「日中戦争」と同じ分量を使って書いている。
だから、やたら詳しく、私も、この地味な戦争について、一時的に詳しくなってしまった(すぐ忘れるけど)。
「シベリア出兵」という名の戦争が、いかに評判が悪いか、棟田も何人かの評言を引用しています。
大正七年(一九一八)八月二日、シベリア出兵の宣言によって、第一二師団をまず沿海州に派遣してから、十一年十月にシベリアから撤兵するまでの前後四年間、いわゆる「シベリア出兵」なるものは、実に無意味、無益、無得、無為の出兵であった。
この間、出兵目的を変えること三回。作戦的には失敗をかさね(中略)、戦費九億円を浪費したるところの、実に日本歴史をけがしたような出兵だった。(中略)
参加将兵は二四万。戦死は約三〇〇〇人。負傷者は約二六〇〇人。二四万人といえば、ちょうど日清戦争と同数である。
(松下芳男・工学院大学教授『戦争統計学』より)
出兵は、その目的不明。意味不明。まったく無名の帥でありまた一方、外交面においては無政、無策、無方針。機にのぞみ時により、ことごとにその処置を誤る。
(時事通信記者・松枝保二)
要するにシベリア出兵は、国民的了解を得られず、政略出兵として国民の共さいも得ず、さら広地域占領確保の軍事的困難と、兵を動かすこと久しきにわたったことによる欠陥も生じて、竜頭蛇尾に終わった。
(防衛庁防衛研修所戦史室『大本営陸軍部』より)
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で、話が回りくどくなったけど、この「シベリア出兵」のそもそもの目的が、シベリアの「チェコ軍」の救援だったわけですね。
ややこしい事情をすっ飛ばして言えば、チェコ軍は非常に精強な部隊で、シベリアで革命赤軍、つまり前年に革命を起こしたばかりのロシア・ボルシェビキ軍と戦っていた。(「ソ連」と名乗るのはのちの1922年)
日本はシベリアと近く、ここがロシア共産主義軍の手に落ちると困る、ということで、チェコ軍を助けるため、アメリカとともに「出兵」する。
1918年8月18日、ウラジオストック市街を、アメリカ軍、チェコ軍、日本軍が、他の連合国とともに、そろい踏みで行進しました。
ロシア赤軍に、連合軍の威勢を示すデモンストレーションだったので、派手に演出された、と棟田は書いています。
この分列式はお国ぶりを誇示する色とりどりの各国軍隊の展示場でもあったから、国旗といい、軍事隊といい、行進ぶりといい、各国はその華美を競いあった。(中略)
浦塩の市民たちは、各国の軍隊が現れるたびに、いっせいに、
「ウラー!」
を叫んで、どよめいた。
その中で特異だったのは、チェコとアメリカと、そして日本の軍隊であったろう。
市民はチェコ軍の行進をむかえると、口々に「ロシアの救い主」と叫んで、「ウラー」を連呼してやまなかった。
アメリカ軍に対する「ウラー」と拍手もそれに劣らなかった。アメリカ軍の分列行進は、まるでダンスのようだった。軍楽隊はバトンガールさながらの身振りであり特科隊の華美な服装が人目をみはらせた。
それにひきかえ、日本軍の行進には「ウラー」の声も拍手もわかなかった。
無理もない。軍楽隊はなく、ただラッパだけである。地味な茶褐色の軍服。短い足にゲートルを巻いて、活発に股を上げ、一歩一歩踏みしめる格好で、わき目もふらずただもうひたむきに歩くだけである。
見物の市民は、シーンと静まり返った。軍靴の音のみがざっ、ざっざっ・・とひびく。
(「兵隊日本史2」p119)
なぜ、ウラジオストックの市民たちは、日本軍に静まり返ったのか。
のちに邦字紙「浦塩日報」の記者がロシア市民に取材すると、
「それは殺気だって見えたからだよ。つまり、恐怖心をかきたてられたからだ」
と答えたといいます。
このときウラジオストックを行進した第十二師団は、主に九州人で構成されていました。
いずれにせよ、当時、小国ながら「強い軍隊」の定評があったチェコ軍と日本軍。
ともにロシア共産軍と戦ったわけですが、結果としては敗れて、その後1世紀、共産主義に悩まされることになります。
昨日のチェコと日本の試合も、結果的には大差で日本が勝ったものの、いい試合だったそうですね。
「全敗チェコが美しくWBCを去る」という新聞の見出しで、ともにシベリアを行進した100年前のチェコ軍と日本軍の姿を思い浮かべました。
<参考>
