祝福されなかったアカデミー賞 【日本人初のオスカー女優】ミヨシ・ウメキが消えた理由
1958年に「サヨナラ」で、東洋人初のアカデミー賞を取り、いまもって日本人唯一のオスカー受賞者、ミヨシ・ウメキ(梅木美代志、ナンシー梅木)。
彼女はなぜ、オスカー受賞後に日本で話題にされなくなったのか。
また、彼女もなぜ、アメリカから日本に戻ってこなかったのか。
そして今、なぜ彼女を話題にする人が少ないのか。
彼女についての記事を書いた後も、それがずっと疑問だった。
その疑問に答えてくれる論文を、俣野裕美さん(摂南大学)という人が書いていた。
俣野裕美「アメリカの大スター、ナンシー・梅木の日本における表象に関する考察」(2019)
https://core.ac.uk/download/pdf/230302029.pdf
この論文によれば、受賞が報じられたとき、以下のように、日本のマスコミの反応は冷たかった。
「「サヨナラ」で百%アメリカ人好みにデッチ上げられた大和撫子カツミ、それにアメリカ 人の期待にこたえて好演したナンシー、彼女の人気の由来もおそらくこの辺にあるのだろう。」(「映画と演芸」1958、6)
「アメリカ映画人は、ナンシーさんに賞を贈ることで日本女性の“婦徳(ふとく)” に賞を捧げた-もっとハッキリいえば、アメリカ女性のお高(たか)さに対するウップンを晴らした、ともいえないこともないのだ。私は決して、男性の背中を流す“婦徳”を認めないが、アメリカの男たちがこの女性像に感動した気持だけは、男の手前勝手とは別の意味で判りすぎるほど判るのである。」(「婦人倶楽部」1958、5)
つまり、ミヨシがオスカーを受賞できたのは「まぐれ」であり、アメリカ人の男にとって、都合のいい女を演じたから気に入られたんだろう、と突き放して見ていた。
それは不当な評価だった。私も自分の書いた記事で指摘したとおり、ミヨシは、アメリカのバラエティ・ショーで引っ張りだこになるほど人気・実力が認められていた。その成功は決してまぐれではないし、本人の才能と努力のたまものだ。映画やミュージカルの本場で主役を張れた彼女は、この論文がいうように「大スター」だった。
しかし、日本人は、彼女の成功を直視できなかった。
ひとことで言えば、アメリカで成功したミヨシに対する日本人の嫉妬であり、そこには、アメリカに戦争で負けて間もない日本人の劣等感が色濃く反映していた。
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ミヨシ・ウメキが、「アメリカ人に都合のいい日本の女」を演じたのは事実だろうが、決して無知で鈍感だからそうだったのではない。それは、若い男の好みに媚びるアイドル歌手が決して馬鹿ではないのと同じだ。ショービジネスの現実の中で、常に自分の才能を活かす道を探した。
俣野裕美氏も上記論文でこう結論づけている。
「ナンシー(ミヨシ・ウメキ)は、国によって枠組みを作る従来型の固定的な考え方を否定し、流動的で幅広い視野を持ち、国際的に仕事をする自身の姿を提示している。ナンシーは、権力に従順なゲイシャ・ガールであっただけではなく、押し付けられた規範に抵抗する姿を提示し続ける人物でもあった」
ミヨシ・ウメキは、日本人に「アメリカなんて大したこないよ」と言い、日本人好みの態度を取って、帰国して活躍することもできただろう。
しかし、そうしなかった。日本での冷たい反応を見て、彼女は日本を捨てたんだと思う。「捨てられた」のは、彼女ではなく、日本だった。
