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「チビには人権がない」発言

人気プロゲーマーが、「170センチない男は人権がない」と発言して怒られている。

記事によれば、実際の発言は以下の通り。

「背が低くて、多分165(センチメートル、以下同)くらいしかなかった。165もないんちゃうかな?くらいの。その時点でもう『無いな』ってなってしまった。背が高くてムキムキやったら連絡先は教えてた可能性はある」
「165はちっちゃいね。ダメですね。170ないと、正直人権ないんで。170センチない方は『俺って人権ないんだ』って思いながら、生きていってください。骨延長の手術を検討してください。『骨延長手術』で調べてください。170あったら人権がちゃんと生まれてくるんで」
「言うよ? ほんまちっちゃい男に人権あるわけないだろお前、調子のんな。こっちはね、チビにはきちぃんだよ。でも、言わせて。あたし、デブとハゲには優しいから」

別にいいんじゃないの。若い女のホンネでしょ。

この話題はうれしい。何しろ私は170センチ以下の人権ない人だからね。この話題で私が何を言っても、差別とか言われないだろう。

でも、これがきっかけで女の人権活動家たちが「チビを愛そう」とか言ってくれたら、ちょっとうれしい。そういうことは絶対ないけどな。

こういうのも「ヘイトスピーチ」と言われるの? おいおい勘弁しれくれよ。「人権」云々がジョークなのは明らかじゃないか。

畏れ多くも天皇陛下だって170センチないぞ。人権がないとは何事か、とかね。まあ皇族には人権がないという説もあるな。

ランディ・ニューマンの「Short People」って曲を知らないのか?

「Short people got no reason to live. チビには生きる理由がない」

という歌詞で、1970年代にヒットしたんだけどね。

そういうジョークを許容する余裕もなくなったのか。

女がチビが嫌いなのは明らかで、私には気に入らない現実だけど、それが現実ならば、笑い飛ばすしかないではないか。

女は「チビは嫌い」と思ってるよ。私も、別に好きでもない女からいきなり言われたことがある。

「私、170センチ以下の人は無理!」

好きでもない女からなんで振られなきゃいけないのか、と思うけどね。

しかし、私が街を歩けば、出会う女、出会う女から、勝手に振られてる。日常的に。

実際、なぜ日本人の身長がどんどん伸びたかと言えば、栄養状態がどうこういうより、「性淘汰」というやつでしょう。

背の高い男が、女から性的対象として選ばれるから、背の高さが優先的に遺伝する。それを差別と言っても仕方ない。

なぜ西洋人の肌が白くなったのか。いまだに謎とされていますね。もともと人類はみんなアフリカ出身で色は黒かったわけですから。寒冷地の人種だけが白かった。それがなぜ西洋全般に広がったのか。

これも、「色が白い」ほうが性対象として優先的に選ばれた、という以外はないのでは。「色が白い」ほうがなぜ好まれるのか、理由はない。孔雀の羽とか、サーベルタイガーの牙とかと同じで、有用性は関係がなく、なぜか雌に好まれるから、そちらに進化する。

背が高いほど「人権がある」のはなぜかと言えば、理由はない。高収入、高学歴が好まれる理由はあるけど、高身長が好まれる理由はない。「美的」理由だけですね。

だから、「背が高い」「色が白い」を好むのが「偏見」か、と言えば、そうではない。

美的なものを好むのは罪ではない。

美男美女は、それだけで社会的信用を得る、というのは社会心理学的事実だ。

アンジャッシュの渡部建は美男だから許される。理屈ではない。

ただ、これが「人種偏見」と関係ないかと言えば、歴史的にはそうではない。

アジア人は、「背は低い」「色が白くない」で差別された歴史はある。

ただ、それも、アジア人への蔑視・差別が先にあって、そのあとに身体的特徴がこじつけられたのではないか。

白人の中でも「背が低い」「色が白くない」は差別される。それが、アジア人差別に投影される、という形だろうな。

ちなみに、保守派の中で、「人種差別撤廃を最初に国際会議で提起したのは日本人だ!」と言う人がいる。

そうだとしても、それを誇るんだったら、同じアジア人として、中国人や朝鮮人にもう少し仲間意識を持たなければいけない。保守派が真っ先にアジア人を差別しているようじゃ話にならない。

今でもカンボジアとか行けば、背が低い人はたくさんいる。でも、若い人は背が高くなっている。

日本だけでなく、アジア全域で性淘汰が進んでいると思う。

しかし、不思議なのは、美男美女ほど性機会が多いのなら、そしてそれが何百世代にもわたって続いているのなら、世の中みんな美男美女にならないとおかしいのではないか、ということ。

西洋人の肌がみんな白くなったように、いまにそうなるのだろうか。

一方で、リベラルな世界観が広がり、多様性が大事だという説教も加わり、マルチ人種的な混交が行われると、美の基準も一方向的ではなくなるのか。

その中でも、やはり「相手が黒人だろうが白人だろうが黄人だろうが、とにかく背が高いほうがいい」となるのだろうか。

私としては、これほど「背が高い」が好まれているにもかかわらず、若い人も含めてまだ背の低い人がいることに、意味を見出したい。

そのことに何か進化的な意味があり、「reason to live」があると信じたい。なあ、チビの仲間たちよ。







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