川崎市麻生区・柿生の「ヤンキー」伝説
お互い60を過ぎた、同年輩の友人と、最近、こんな会話をかわした。
「君は柿生に住んでるのか。あの辺は柄が悪かったねえ」
「へー、いつの話?」
「1970年代だな。高校の友達があの辺に住んでてね。新百合ヶ丘にもよく遊びに行った」
友人は、都内の進学校に通っていた。1974年に新百合ヶ丘駅と小田急多摩線が開設して、間もない時期だ。
「だいたい、川崎は怖かったよ。南武線なんて、乗るのが嫌だった」
「川崎が治安悪いイメージは、今もあるよね。でも、新百合ヶ丘とか、川崎の北部はそんなイメージないと思うけど」
「へー、そうなの? いや、柄が悪かったよ。ヤンキーがいたよ。柿生とか。ボクら、バカにしてたんだから(笑い)」
*
柿生は昔、柄が悪かったらしい。
ヤンキーがたくさんいたらしい。
その話は、私もなんとなく聞いていた。
私は、つい最近こちらに引っ越して来た新参者だが、昔からいる人はよく知っているだろう。
私は、以前にYouTubeで「柿生高校」OBの人の番組を見て、初めてそれを知った。
それは、今はなき「柿生高校」の跡地に、30年ぶりに卒業生が訪れるという動画で、こんなことが語られている。
(動画1:40あたりから)
柿生高校はですねー、いわゆるヤンキーが多いということで有名な高校なんですよ。
で、柿生西(高校)もそうですよねー。
まあネットとかで調べていただければ、すぐ出てきます。
学級崩壊寸前っていう状態だったですよねー。
なんかもう、廊下にもですね、タバコの吸い殻ばかり落ちていて、なんかマリファナ吸ってるやつもいましたよねー。どうやって手に入れたんですかねぇ
【柿生駅から】柿生高等学の校跡地を行く!(いつも夏休み 2021/6/25)
マリファナまで吸っていたとは、さすが関東のヤンキーです。
私は九州の底辺高に通っていましたが、ヤンキーもシンナー止まりでした。
ここで、柿生の高校の沿革を簡単にまとめるとーー。
神奈川県立柿生高校は、川崎市麻生区王禅寺303−1に、昭和51年(1976年)4月に創立された。
神奈川県立柿生西高校は、川崎市麻生区片平1778に、昭和53年(1978年)1月に創立された。
両校は、平成16年(2004年)3月に廃校となり、統合されて同年4月に「県立麻生総合高校」として再出発した。敷地は、旧柿生西高校跡。
旧柿生高校跡は、県立麻生養護学校(現麻生支援学校)になった。
柿生高校と柿生西高校が統合して出来た麻生総合高校も、2026年に横浜市青葉区の田奈高校と統合され、廃校となる。敷地は現田奈高校となり、現麻生総合高校跡がどう利用されるかは未定。
まあ、少子化で、高校がどんどん減っている。

上の動画が言うとおり、柿生高校とともに、柿生西高校も悪かった。
柿生西のほうが悪かったかもしれません。
ネットで調べると、すぐこんな「証言」が出てきました。
皆さん、こんにちは。柿生西高校の浜崎と申します。今まで中堅校といわれる高校2校を経験しまして、昨年春から、柿生西高校に勤めております。柿生西高校は、ご存知の方もいらっしゃると思いますが、県下でも有数の“底辺校”とか“課題集中校”とか言われる学校で、教師の目から見て指導が大変な生徒がたくさんいる学校です。
例えば、茶髪・ピアスは多いですし、校舎内を土足で歩いたり、私服で登校して来たりする生徒もいます。授業中も廊下にいて授業に出ない、いわゆる“廊下組”というふうに言われる生徒も少なくありません。昨年春赴任早々、すごくびっくりしたのは、校門の外に売店があるのですが、売店の前の地べたに座り込んでカップラーメンを啜るたくさんの生徒たちを見たときのこと。もちろん授業中のことです。何という大変な学校に来てしまったんだろうか、何という生徒なんだろう、と思いました。
神奈川県高等学校教育会館 教育研究所「ねざす」2001年4月号
上の「証言」は、2000年前後、つまり柿生西高校が廃校になる直前の状況と思われます。
1970年代の開校から、2000年代前半の廃校まで、終始一貫、悪かったらしい。
だから、ずっと東京に住んでいる友人が、「柿生」に悪印象を持っているのも、当然です。
いわゆる「ヤンキー」のブームは、1970年代に始まって、1980年代に最盛期を迎えました。
もっとも、九州にいた我々は、「ツッパリ」と言ってました。「ヤンキー」と「ツッパリ」の違いは、地域差なのか、時代差なのか、よくわかりません。
ヘッダーの画像で使わせてもらった「なめ猫」の人気が爆発したのは1980年です。
1990年代に入ると、ヤンキーの姿はグッと減ったように記憶します。
でも、90年代にはもう私は東京に住んでいましたが、埼玉に近い方に行くと、まだヤンキーがいましたね。
柿生にも、かなり後期までヤンキー文化が残っていたようです。
(旧ヤンキーの暴走族などが、東京周辺では「半グレ」となって暴れていたと言います)
YouTubeには、柿生高校の学生が1979年に撮った「自主映画」の映像がアップされています。
1979年 神奈川県立柿生高等学校 2期生 3年7組 文化祭出展作品(石田気功)
柿生高校2期生というから、1976年に開校した同高校に、77年に入学したクラスでしょう。
この8ミリで撮影された「映画(Gone with the wind)」は、普通の意味で鑑賞に堪えるものではありませんが、私は同年輩だから、懐かしく見させてもらいました。
文化祭に出品されたものなので、お行儀のいい内容とはいえ、当時のヤンキー文化の片鱗が記録されています。



あのヤンキー(ツッパリ)文化とは何だったのでしょうか。
たまたま昨日、Xで以下のようなポストを見ました。
58歳ということは、私と同い年。ちょうど中高生時代がツッパリ暴走族ブームで管理教育全盛期で異常な校則が次々に制定された時代。思春期にあった時代のゆがみをアイデンアに同化してしまった人なのかもな。それにしても酷い。
(村山茂樹 2025/4/26 22:15)
58歳ということは、私と同い年。ちょうど中高生時代がツッパリ暴走族ブームで管理教育全盛期で異常な校則が次々に制定された時代。思春期にあった時代のゆがみをアイデンアに同化してしまった人なのかもな。それにしても酷い。 https://t.co/jtSfQJxigo
— 村山茂樹 (@Clunio) April 26, 2025
一部、意味不明ですが、どうもツッパリ経験を否定的にとらえている様子です。
中・高校のツッパリ、ヤンキーのブームは、保坂展人(現世田谷区長)の反管理教育運動とか、60年代の残り香のような、後続世代の左翼運動とも重なります。
一般に70年代以降は、大学生は「シラケ」で語られることが多いですが、外山恒一とか、中川文人とかが書いているように、新しい世代の左翼運動がありました。
そのあたりと、ツッパリ・ヤンキーとの関係は、もしかしたらちゃんと論じられてないかもしれない。ちょっと考えてみたいところですね。
私は最近、小室哲哉と中森明菜のコラボに、ちょっと「ヤンキー味」を感じました。
小泉今日子なんかも、本人が厚木のヤンキーだったことを認めているけど、いまだに「ヤンキー味」が抜けない感じがします。
それは、まあ、いい意味での「ヤンキー」ですけどね。冷たい優等生タイプにはない、集団主義のノリみたいなやつ。
斉藤環が「ヤンキー研究」の第一人者だそうだから、彼の本も今度読んでみようかな。
いずれにせよ、今は柿生で、あるいは新百合ヶ丘でも、ヤンキーは見かけないですね。
でも、元ヤンキーたちは、今はジジババとなって、何食わぬ顔で、そこいら中を歩いているでしょう。
<参考>
