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追悼:菊地信義 「本らしさ」を追求した天才

天気がいいので小ピクニックに出かけていたのだが、菊地信義さんの訃報をスマホで見て、一気に心がしぼんだ。それで、家に戻ってきた。

引退していたのは知っていたから、「いつかは」と覚悟はしていたが、こんなに早いとは思わなかった。

コロナが明けたら、展覧会か何かでまたお会いできると思っていた。本当に残念だ。

(以下、敬称略)

日本の装丁を「近代化」したのは杉浦康平、「現代化」したのは菊地信義、と、私が出版界に入った30数年前に、よく言われていた。

杉浦康平は90歳でまだ存命のようで、菊池信義が先に亡くなるとは思っていなかった(杉浦先生もいつまでもお元気で!)。


「売れる装丁」の第一人者

私が新人だった頃には、菊地信義はとにかく「装丁で本を売れるようにする人」「ベストセラーの装丁家」として、有名だった。

その秘密を、自身がよく説明していた。「著者名を大きく表示する」が手品のタネだった。

伝統的に、本の表紙(正確にはカバー表1)では、作品名を大きく、著者名を小さく表示する。

しかし、菊地は書店の平台を観察し、読者は、作品名ではなく著者名を探していることに気づいた。

だから、著者名を遠くからも視認できるよう、大きくデザインした。

これは当時、ブックデザインの「革命」のように言われたものである。

しかし、売れる装丁を作る「菊地マジック」の秘密は、もちろんそれだけではなかった。


「ポスト活字」の技術論

菊地信義が登場したのは、ちょうど活字の時代が終わり、写真植字(写植)が一般化した頃だ。

初期の写植文字はデザイン的に不評で、ブックデザイナーたちは、杉浦康平含め、様々な工夫や実験を試みることになる。

菊地は「活字」「書き文字」に戻ることはなく、その点ではモダンな感性の持ち主だった。

だが、その手法はアナログ的で、知られるとおり、写植文字をコピー機で歪ませたり引き伸ばしたりと、手作業で変形させて使っていた。

活字を打たせて使うこともあったが、版下を作るさいは、ほとんど1文字ずつ切り離して、手作業で貼り合わせていた。つまり、字詰を機械的に一律にすることがなかった。

だから、彼のブックデザインは、クールな近代性とともに、手作りの温かみがあった。それが彼のデザインを「現代的」にしていたと思う。

いま振り返れば、菊地信義のデザインは、活字の時代から、デジタルの時代に移行する間の、過渡期のユニークさを持っていた。

(彼が、オビの版下を、いちいち手作業で貼り合わせていたのを知っていたので、のちに文字の修正が出たとき、言い出しにくくて弱ったものだ。もちろん菊地さんがそれに文句を言うことはなかったが)


文学的な知性

菊地信義は、必ずゲラを読んでからデザインする、と言われた。

あれだけ忙しい人が、全てのゲラを読んでいたとは正直思えない。

しかし、必ず、少しでもゲラを読みたがった。編集者としては、面倒に感じることもあったが、それが菊地信義だった。

彼の本領は文芸もの、しかも純文学だ、というのが通念だった。

彼自身は、古井由吉や後藤明生など、いわゆる内向の世代を尊敬し、また同志意識を持っていたようだ。

しかし私は、世代的にも、ジャンル的にも、その本領での仕事を菊地信義とはしていない。

私の知る限り、彼はどんなジャンルの本も手がけたが、それぞれに違ったアイデアを持っていた。

例えば、装丁にビジュアル(イラストや写真)を使うかどうか、彼の中に明確な基準があったように思う。

原則、純文学にはビジュアルを使わず、文字だけで勝負した。

しかし、物語系、大衆文学系には、ほぼ必ずビジュアルを使った。

その中間の作品には、ビジュアルを小さく使ったり、工夫して使っていた。

だから、ビジュアルの扱いを見ると、菊地信義が、その作品をどのように位置付けているか、よく分かるのだった。

作品を、彼の内部でいったん理解しないと、デザインができないタイプだった。その意味では、編集者や「読者」を兼ねてデザインしていたと言える。


いや、こんな風に書き始めたら、菊地信義で本1冊分書いてしまう。


デジタルへの拒絶

菊地信義は理論家でもあり、何冊も本を書いている。

だから、そのデザイン論を私が不器用になぞる必要はない。

ただ、本にも書いていたが、彼が最終的に大事にしたのは「本らしさ」であることは強調されていいだろう。

本が持つ権威。威厳。高級感。文化の精華としての象徴性。

どのようにデザインしようと、最終的にはそれが必要だというのが彼の哲学だった。

だが、時代は彼に逆らった。

菊地信義は「電子書籍」を嫌悪した。

それが、彼が信じる「本らしさ」を否定するものだったからだ。

本を読まず、スマホをいじる若者の風俗を唾棄した。

彼の感性は決して時代遅れではなかったし、デジタルに「ついていけなかった」わけでもない。

彼の弟子の水戸部功がデジタルを使いこなすのを見ても分かる通りだ。

菊地は、思想的に、それを拒否したのだと思う。

菊地信義が、絶望のうちに出版界を去ったとは思いたくない。

だが、彼の最晩年の思想を、私は聞いていない。

出版界からの引退は時宜を得ていた、と自身感じていたかもしれない。


「澄んだ」芸術性

菊地信義は天才だった。

彼の作るものにも、その上品な物腰や柔和な語り口にも、常に天才を感じた。

単に才能があるというのではない、ひとり天空を行く次元の違いを感じた。

突飛かもしれないが、私は彼を、いつも「ゲーテ」のようだと思っていた。

トーマス・マンが「ゲーテとトルストイ」で書いたような「ゲーテ」だ。

つまり、「精神の人」であるシラーやドストエフスキーに対立する類型としての、「自然の人」ゲーテだ。

主観的ではなく客観的であり、批評的というより造形的であり、道徳的というより自然的であり・・とマンが言うような。

ゲーテの詩が持つ「静かで、深く、澄んだ」芸術性を、彼のデザインは常に持っていたと思う。

作家の原稿はしばしば一種の「カオス」だが、菊地信義のデザインを介すると、1つの落ち着いた客観性を獲得する。

理念上は、貴族主義的、と言ってもいい趣味があった。それは、彼の「本らしさ」の理念に通じるものだったろう。

しかし実作においては、ノヴァーリスがゲーテについて言ったような「素朴で、手堅く、勤勉で、実務的な」市民性があった。この結びつきがゲーテ的なのだ。

それは意図して生まれるものではなく、菊地信義という唯一無二の個性から生まれていた。だから天才としか言いようがない。

この歳になると、借りを返したいと思いながら、結局返せないことばかりになる。

菊地信義に対してほど、それを思うことはない。

私にはもう何もできないが、出版界は菊地信義に巨大な恩義がある。出版の後輩たちは、それを忘れないでほしい。







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