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雨天休日の暮らし

今日は遅い朝だ。

正確に言えば、朝というより「まだ午前の名残りが部屋に残っている時間」みたいなものだ。掛け布団を体にまとわりつかせ、どこからも冷気が入り込まないように、屈強に遮断している。布団のふちを肩まで引き上げて、首のあたりに小さな関所をつくる。ここを突破されると一気に負ける。冷気って、堂々と正面から来ない。隙間から忍び込んでくる。忍者みたいに。

暗闇のなかで、この状況のまま、いつまでいるのか自分でもわからない。時計は見ない。見たところで、たぶん自分のほうが先に折れる。「もうこんな時間なのか」と嘆く未来が見えるからだ。嘆く未来が見えるなら、嘆かない未来を選びたい。人類がまだ到達していない技術だが、休日だけはそれができる。

雨音がする。

雨は、外の世界の輪郭をぼかす。今日は街が少し遠い。いつもなら聞こえてくる生活の音が、雨に吸い込まれている。車の走る音も、誰かの足音も、すべて丸くなる。世界が角を落としたみたいで、ちょっと優しい。

それでも、本日のスケジュールを立てようとする。布団のなかで予定を立てる。ここがすでに矛盾しているのはわかっている。予定というのは、本来、身体が起きてから立てるものだ。なのに僕は、寝たまま計画を練る。軍師みたいだ。戦場に出る前に、ぬくぬくの本陣で作戦会議をしている。勝てる気がする。負ける要素が、ここにはない。

行き先は図書館。

……でも、いつもの場所じゃない。少し離れた図書館へ行こうと思う。僕の地域には図書館が4カ所ある。これはなかなか贅沢だ。読書好きにとって、図書館は食料庫みたいなものだし、避難所でもある。雨の日は特にそうなる。

4カ所あると、それぞれに蔵書の個性があるのがわかって面白い。たとえば、ここは小説が強い、ここは郷土資料が妙に厚い、ここは児童書が充実していて大人の僕が少し気まずい、みたいな。図書館にも性格がある。受付の人の声の温度、床の軋み方、窓から見える景色、椅子の固さ、照明の白さ。全部ちがう。僕はそれを、勝手に「図書館の顔つき」と呼んでいる。

今日は、いつも行かないほうの図書館へ行く。理由は単純で、ちょっとした旅がしたいからだ。休日に旅なんて大げさなことを言うと、聞く人はリュックを背負って遠出する僕を想像するかもしれない。でも僕の旅はそうじゃない。半径数キロの冒険。いつもと違う道を選ぶだけで、景色は勝手に物語をはじめる。

雨の日の外出は

、気合がいる。その代わり、成功したときの達成感がある。晴れの日は誰でも出られる。でも雨の日に出る人は、ちょっとだけ勇者だ。大げさに言えば。小さく言えば、傘をさすのが面倒なだけの人だ。

布団から出る前に、脳内で一度、映画が始まる。オープニングのシーン。暗い部屋。雨音。布団の山。主人公がゆっくりと目を開ける。目を開けたところで、まだ起きない。起きないのに、世界は動き出す。そういう映画が好きだ。何も起きないのに、なぜか見入ってしまうやつ。

起き上がって、

カーテンの隙間から外を見る。空は、灰色が丁寧に塗られている。雨の日の空って、やけに真面目だ。ふざけた色が一切ない。そういうところが好きでもある。今日は真面目に、だらけよう。

身支度をする。といっても、雨の日の身支度は簡単だ。濡れてもいい靴、濡れてもいい気持ち。人は雨で濡れると、心のどこかで「ああ」と言う。でも僕は、今日はその「ああ」をなるべく言わないようにしたい。言わないために、最初から濡れる前提で出る。最初から負けていると、負けが成立しない。これは人生の裏技だと思う。

そして、お目当ての図書館

のそばでメロンパンを買う。ここが今日の重要ポイントだ。図書館だけだと、休日のイベントとしては少し地味だ。でも、メロンパンがつくと急に物語になる。人はパンがあると、ちゃんと生きている感じがする。たぶん、焼けた香りが記憶を呼び起こすからだ。学校帰りとか、遠足とか、そういうやつ。

そのメロンパンは素朴でおいしい。豪華さはない。派手なクリームもない。だけど、食べると「これでいい」と思う。むしろ「これがいい」と思う。雨の日って、そういう方向に心が寄る。キラキラしたものより、ちょっと地味で、あたたかいものに救われる。

図書館に着いたら、

まず返却。ほんの少しだけ別れの気持ちが出る。読み終えた本は、僕のなかで一度、部屋になったものだからだ。部屋を返す。そういう感じがする。たぶん僕だけだ。

それから棚を歩く。雨の日の図書館は、人の足音が静かだ。ページをめくる音がよく聞こえる。誰かの咳払いが、遠くで小さく響く。それだけで、ここが「生きている場所」だとわかる。読書って基本的に孤独なのに、図書館にいると孤独が薄まる。孤独のまま、寂しくない。不思議な場所だと思う。

今日は何を借りよう。目的はあまり決めない。決めると探しに行ってしまう。探しに行くと、出会いが減る。出会いが減ると、休日がただの作業になる。僕は休日に作業をしたくない。休日には、なるべく無駄をしたい。無駄は、人生の潤滑油だ。潤滑油がないと、心はギシギシ言う。

適当に棚を眺めて、目が合った本を取る。「目が合う」という言い方は変だけど、実際そうなのだ。表紙がこっちを見ている。タイトルが呼んでいる。そんな気がする。僕はそれを信じることにしている。信じたほうが、日常が少しだけ冒険になるからだ。

雨天時にトイカメラ

で撮影したことがないから、それもやってみたい。雨の日の写真は、たぶん少し難しい。光が足りない。空は白い。街は暗い。だけど、その難しさが面白い。雨粒がレンズに当たるかもしれないし、傘をさしながら撮ると角度が変になるかもしれない。変になる、というのがいい。トイカメラは、ちゃんと写さないから好きだ。ちゃんと写らないことで、ちゃんと残るものがある。

雨の日のトイカメラで撮りたいものを考える。濡れたアスファルトの反射。信号の赤。コンビニの光。傘の群れ。水たまり。メロンパンの袋に付いた小さな水滴。自販機の明るさ。そういう「雨の日だけの光」を撮ってみたい。たぶんそれは、うまく撮れなくても、今日の記憶になる。

それぐらいかなぁ。

そうだ、帰宅前に

発泡酒と赤のテーブルワイン、あとおつまみも買いたい。ここで急に生活が現実に戻る。だけど、こういう現実が好きだ。豪華な食卓じゃない。高級なワインじゃない。残念ながら発泡酒。残念ながらの赤テーブルワイン。でも、残念ながらって言いながら買うものって、大抵いちばん正直だと思う。人は、見栄を張るときは「残念ながら」を言わない。

おつまみは何がいいだろう。雨の日は塩気がほしい。あと、噛むやつ。噛むことで、今日という日が口の中に残る気がする。ポテチでもいいし、安いチーズでもいい。僕はたぶん、値札を見ながら悩む時間も含めて楽しむ。悩む時間って、贅沢だ。急いでいると悩めない。悩めるってことは、今日はまだ余裕があるってことだから。

そして深夜。

頭がゆるくなる時間帯にポチッた、イヤモニ風イヤホンが到着する。深夜の通販って、たまに別人格がやってる。昼の自分なら慎重に比較して、レビューを読んで、結局買わない。なのに深夜の自分は、なぜか「いける」と言う。何がいけるのかは不明だ。でも深夜の自分は、自信がある。たぶん雨音のせいで判断がやわらかくなる。雨は、購買欲にも効く。

届いた箱を開ける瞬間って、妙に儀式だ。中身はイヤホンなのに、気持ちは宝箱を開ける。コードの匂い。新品の匂い。小さな付属品。耳栓みたいなイヤーピースが並ぶ。これを選ぶ時間が、また楽しい。耳に合うサイズが見つかると、ちょっとだけ人生が整う。大げさに言えば。小さく言えば、耳が痛くならない。

そうだね。

結構ふつうの生活だけれど、それを冒険として楽しんでいる自分がいる。図書館へ行って、メロンパンを買って、写真を撮って、酒とつまみを買って、イヤホンを開封する。こう書くと、本当にふつうだ。ふつうすぎて、誰かの生活と区別がつかない。だけど、僕はそれでいいと思っている。ふつうを冒険にする能力は、たぶん大人に必要なスキルだ。

映画の中の主人公になったつもりで、俯瞰で見ている光景がある。自分の後頭部が映っている場面だ。雨のなか、傘をさして歩く後頭部。少し猫背で、でもどこか軽い。図書館の入口で傘をたたく後頭部。パン屋で袋を受け取る後頭部。レジで発泡酒をカゴに入れる後頭部。そういう後頭部が、画面に映っている。

あれって、よく見る光景だといいなぁ、かっこいいなぁって思うこと、あるでしょ。かっこよさって、派手さじゃない。繰り返しのなかにある。何度も見て、何度も通って、何度も買って、何度も戻る。その繰り返しが、いつか自分の映画の編集になる。雨の日のシーンが多い映画、たぶん好きだ。

休日って、特別

なことをしなくても特別になれる。雨はその手助けをしてくれる。外が灰色だと、内側の色が見えるからだ。今日は、内側の色を確かめる日。布団の暗闇から始まって、図書館の静けさへ行って、パンの甘さを挟んで、雨の写真を撮って、発泡酒の泡で締める。最後に、深夜のイヤホンが音を鳴らす。

主人公になったつもりで楽しむ、今日の休日。

みなさんは、どんな一日でしょうか?

ではまた。

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ヒーリング小説家 髙橋P.モンゴメリー よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!