齢を重ねるごとに、時間の流れが速くなる現象を、書きあぐねる作家が考察してみる。
書きあぐねる作家、どうやらタイムリープしているぽい
忙しくなると、時間は速くなるのだと思っていた。
やることが多ければ、時計を見る暇もない。
朝から仕事をして、買い物へ行き、届いた連絡に返事をしているうちに、気づけば夜になる。
一日は誰にでも同じ二十四時間なのだから、忙しい人の時間だけ速く進むはずはない。
それでも、暇な一日より、忙しくしていた一日のほうが短く感じるのは、まあ仕方がないと思っていた。
ところが最近、どうもそれだけではない気がしている。
たいして忙しくなかったはずなのに、もう夕方になっている。
今日はまだ、何もしていない。
いや、何かはした。
何かはしているのだが、何をしていたのかが、うまく思い出せない。
朝、コーヒーを淹れたところまでは覚えている。
たしかに湯を沸かし、粉を入れ、少し蒸らした。
そこまではいい。
それなのに、気づくとカップは空で、もう昼になっている。
コーヒーを飲んだ記憶がない。
しかし、カップが空なのだから飲んだのだろう。
こぼした形跡もない。
だとすると、僕はコーヒーを飲んでいる途中で、少し先の未来へタイムリープしたことになる。
そう考えると、つじつまが合う。
これまで僕は、タイムリープというものには、何か特別な道具が必要なのだと思っていた。
銀色の車だとか、光る腕時計だとか、研究所の地下に置かれた巨大な機械だとか。
青白い光に包まれ、ものすごい音が鳴り、髪の毛が逆立つような出来事を想像していた。
ところが実際には、もっと簡単なのかもしれない。
コーヒーを飲みながら、少しぼんやりする。
それだけでいい。
少なくとも僕の場合、それで昼まで行ける。
いつもの道を車で走っているときも怪しい。
家を出た。
信号を曲がった。
次に気づいたときには、目的地の駐車場にいる。
途中のことを、ほとんど覚えていない。
事故を起こしたわけでもない。
寄り道をしたわけでもない。
ちゃんと着いている。
これもタイムリープだろう。
僕は移動したのではない。
目的地まで、途中の時間ごと飛んだのである。
かなり便利だ。
ただし、ガソリンは減っている。
タイムリープにも燃料代がかかるらしい。
一週間も妙に短い。
月曜日になったと思ったら、もう木曜日である。
火曜日と水曜日はどうした。
こちらに何の断りもなく、二日ほど抜け落ちている。
カレンダーには確かに存在している。
仕事をしたような気もする。
何かを食べたような気もする。
風呂にも入ったはずだ。
しかし、詳しいことはわからない。
大きめのタイムリープだったのだろう。
こういうことは季節単位でも起きる。
少し暖かくなったと思っていたら、もう暑い。
暑い暑いと言っているうちに、店には次の季節の物が並んでいる。
こちらはまだ夏を始めたばかりなのに、向こうはもう秋を売ろうとしている。
小売店は、僕より先に未来へ行っている。
百円ショップなど、かなり強力な装置を持っているに違いない。
八月にはハロウィンのカボチャが並び、十月にはクリスマスである。
あの店の奥には、季節を二つほど先へ進める機械があるのではないか。
店員さんが開店前にスイッチを入れているのだと思う。
夜、布団へ入ったときもそうだ。
目を閉じる。
次に開けると朝である。
何時間もたっているのに、こちらの感覚では一瞬だ。
完全にタイムリープしている。
ただ、これは昔からそうなので、いまさら大騒ぎすることでもないのかもしれない。
人間は毎晩、かなり当たり前の顔をして未来へ飛んでいる。
枕に頭を乗せ、目覚まし時計に行き先を設定する。
次に気づけば、指定した時刻へ到着している。
乗り換えもない。
渋滞もない。
考えてみると、なかなか高性能な装置だ。
ただし、未来へ飛んだのに疲れが取れていない。
朝から眠い。
身体は重い。
目を開けたばかりなのに、もう一度閉じたい。
時間は飛び越えられても、疲労だけは昨日からついてくるらしい。
僕より先に朝へ到着して、
「お待ちしておりました」
という顔で、肩や腰に戻ってくる。
ずいぶん律儀な疲れである。
日中に眠いのも、たぶんそのせいだ。
さっき未来から帰ってきたばかりなのだから、多少ぼんやりしていても仕方がない。
時差ぼけのようなものだろう。
未来との時差である。
そんなはずはないと思うので、僕は普通に仕事をする。
タイムリープの研究を始めるわけでもない。
専門家へ連絡するわけでもない。
洗濯物を取り込み、買い物へ行き、届いた連絡に返事をする。
人類史に残る発見をしたかもしれないのに、今日の夕飯のほうを先に考えている。
書きあぐねる作家は、そういうところだけ妙に現実的である。
文章を書いているときにも、時間は飛ぶ。
一行目を書く。
少し考える。
時計を見る。
一時間たっている。
その一時間、僕は何をしていたのだろう。
文章は一行のままである。
一時間をかけて一行を書いたのではない。
一行目から二行目までのあいだを、丸ごとタイムリープしたのだ。
そうでなければ説明がつかない。
考えていたのではない。
未来へ行っていたのである。
ただし、未来から文章は持ち帰れなかった。
性能が悪い。
買い物へ行ったときもそうだ。
必要な物をひとつだけ買うつもりで店へ入る。
次に気づくと、かごの中には予定になかった物がいくつか入っている。
これはタイムリープとは少し違う気もする。
ただ、入れた記憶がはっきりしない以上、時間移動中の自分が選んだ可能性はある。
家へ帰ってから、
「なぜ、これを買ったのだろう」
と思うことがある。
未来の僕には必要だったのかもしれない。
いまの僕には、まだ用途がわからないだけである。
スマートフォンも、かなり有名なタイムリープ装置だと思う。
少しだけ見る。
本当に、少しだけのつもりである。
次に時計を見ると、三十分ほど先へ飛んでいる。
ひどいときには一時間である。
何を見ていたのか、ほとんど覚えていない。
動画を見た。
写真も見た。
何かの記事を読んだ気もする。
しかし、何ひとつ持ち帰っていない。
かなり純度の高いタイムリープだ。
風呂に入っているときにも、たまに飛ぶ。
湯船に入る。
少し考え事をする。
気づくと、ずいぶん長く浸かっている。
浴室の時計が壊れているのかと思ったが、壊れているのは時間のほうかもしれない。
あるいは僕が、風呂場だけで使える小型の時間移動能力を持っているのかもしれない。
いまのところ、何の役にも立っていない。
こうして考えてみると、僕の毎日にはタイムリープが多すぎる。
コーヒーを飲んで飛ぶ。
車に乗って飛ぶ。
文章を書こうとして飛ぶ。
スマートフォンを見て飛ぶ。
風呂で飛ぶ。
寝て飛ぶ。
ほとんど地上にいない。
もしかすると、誰でもやっているのだろう。
ただ、みんな「ぼんやりしていた」とか「時間がたつのは早い」とか、無難な言い方をしているだけで。
本当は、あちこちで小さなタイムリープが起きている。
電車の中で。
会議中に。
スーパーのレジを待ちながら。
人の話を聞いている途中にも、短いタイムリープが起きることがある。
ふと意識が戻ると、話題が変わっている。
相手はまだ話している。
こちらはうなずいている。
途中で何があったのかはわからない。
それでも会話が成立しているところを見ると、人間にはタイムリープ中でも適当に相づちを打つ機能が備わっているらしい。
よくできている。
忙しいから時間が速いのだと思っていた。
けれど、忙しくなくても時間は飛ぶ。
むしろ、何もせずにぼんやりしているときのほうが、遠くまで飛ぶこともある。
そうなると、忙しさは関係ないのかもしれない。
とはいえ、そこを詳しく調べるつもりはない。
研究を始めると、また数時間ほど飛びそうだからである。
僕は今日、このタイムリープ説について、少しだけ真面目に考えてみようと思っていた。
証拠を集め、条件を整理し、できれば簡単な図も描く。
コーヒーを淹れ、机に向かった。
そこまでは覚えている。
そして、気づくと夕方になっていた。
カップは空で、文章はまだ途中だった。
どうやら、また飛んだらしい。
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