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地獄の学校生活を物語が救ってくれた

 学校が嫌いです。

 それはもう大嫌い。

 で、物語が好きです。

 アニメ、マンガ、映画、文芸、演劇――幼い頃から、寝ても覚めても物語にふれて暮らしてきました。

 特に小中学生の頃はひたすら学校の図書室に籠もり、自分を守るようにして物語の世界に閉じこもっていたように思います。

 その頃、世界は不安と脅威に満ちているように感じられ(じっさいそうだったといまでも思う)、安全なのはただ本と物語のなかだけだったのです。

 ぼくはどうにも不器用で、コミュニケーション能力も低く、学校にもまったくなじめなかった。

 いったい自分はこの先どうやって生きていけば良いのか。考えれば考えるほどに気分が落ち込むので、物語に逃げ込んでいたのでしょう。

 ただのばかげた現実逃避に過ぎないといえばそうです。しかし、そのことでかろうじて生きていくことができたのでした。

 先日、ネットフリックスで『小学校 ~それはちいさな社会~』というドキュメンタリー映画を観たのですが、あらためてしみじみと「ああ、ぼくは小学校が大嫌いだなあ」と思い出しました。

 大人になったいまでも会社や組織が苦手でしかたないのだから、子供の頃、順応できるわけがない。

 もし日本の小学校が「日本人をつくる場所」であるのだとすれば、ぼくは日本人として失格の落第生に過ぎないということになります。

 とにかく子供の頃はつらかった。いまもそうですが、何をしてもうまくいかず、まわりに溶け込むこともできなかった。

 いまでは信じられないかもしれませんが、当時は「オタク」といえば必ず暴力や阻害のターゲットになった頃です。

 それもあって、ほんとうに暮らしづらい時代でした。ぼくの人生の暗黒時代といっても良いかと思います。

 しかし――それでも、ぼくには物語があった。

 その頃はまだライトノベルといえる本も少なく、つねに読む本に困っている状態でしたが、『ロードス島戦記』や『フォーチュン・クエスト』を楽しみに読んできました。

 決定的だったのは小学校高学年のときに田中芳樹『アルスラーン戦記』を知ったときのこと。これが、衝撃的なくらい面白かったのです。

 いずことも知れぬ遥かな異世界パルスを舞台に繰り広げられる流浪の王子の戦記。

 圧倒的なスケールの大きさとキャラクターの魅力は、それまで読んだ経験がないものでした。

 その後、イラストの天野喜孝つながりで『グイン・サーガ』、『吸血鬼ハンター』といった作品にふれていくことになります。

 これらの傑作を通して、ぼくは「悲劇性」の魅力を知り、物語がドラマティックな「山あり谷あり」から成り立っていることを体感します。

 また中学生になると本格ミステリやSF小説の面白さを知り、その後は海外文学も読むようになったりしました。

 言葉の森をくぐり抜けるようにして生きてきたといっても良いでしょう。

 あまりにも暗く、しみじみとろくでもない人生のなかで、無数の物語があることは救いでした。

 20歳の頃、インターネットと出逢うまではそうやってひたすらにインプットする人生を送ってきたわけです。

 その後はアウトプットの機会も増え、いまに到っているわけですが、あいかわらずたくさんの物語を読みつづけています。

 それはつまり、その数だけ「他人の人生にふれてきた」ということ。

 その結果、さまざまな生きかたを知り、それを自分の人生にフィードバックすることができるようになったわけですが、それ以上に物語を生きたことそのものの歓びは大きい。

 ぼく自身はいたって平凡な人間ですが、それでも物語のなかには「仲間」が、「苦しみながら生きているという仲間たち」がいる。そのことがぼくを救ってくれたのです。

 この世界は残酷だが、美しい。

 生きることは豊穣な歓びと苦しみに満ちている。

 物語を通して得た膨大な経験がぼくを救ってくれました。

 そのような人生を経験してきたのはもちろんぼくひとりだけではないでしょう。

 学校や社会が苦手な人。それでも物語に助けられている人。そういうあなたはぼくの同類だといって良いかもしれません。

 いまでもなお新たな一冊のページをひらくとき、そこに広がる異郷と冒険にわくわくと胸躍り、現実世界の空虚さから救済されることに何の変わりもないのです。

 物語とは哀しみや苦しみを通してつながる「仲間」と出逢うための扉。

 この世がどれほど悲嘆と苦悩に満ちていようとも、そこに物語があるかぎり、ぼくたちはきっとひとりではありません。

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