「6人の声」が、8割の世論を上書きする日――有識者会議が、国民の思考を止める
■現場の「Aプラン」を葬る方法
ビジネスパーソンなら誰もが一度は、社内の「奇妙な意思決定」に出くわしたことがあるはずだ。
例えば、会社の未来を左右する新事業のコンペ。現場の社員の8割が支持し、市場のニーズにも合致している「Aプラン」があるとする。しかし、創業家や社長の頭の中には、最初からお気に入りの「Bプラン」がある。
正面からAプランを却下すれば、現場の反発は免れない。
そこで経営陣が採るスマートな手続きが、外部の専門家を集めた「特別委員会」の設置だ。
あらかじめ社長の意向を察知したメンバーによって数ヶ月の「議論」が行われ、やがて一冊の分厚い報告書が提出される。
そこには、経営陣が言ってほしかった言葉が綺麗なロジックで並んでいる。
「外部の専門家による客観的かつ厳正な議論の結果、Bプランの方が、社会が求める我が社の使命であるという結論に至った。よって、この報告書を100%尊重する」
うんざりした顔の社員たちは、それでも翌朝、またいつもどおりに出社する。それが、システムというものだ。
■官邸の密室で調合された「21人の関数」
――しかし、これと全く同じシナリオが、我が国の最高根本のシステムである「皇位継承」の現場で、今この瞬間も平然と駆動している。
先日の国会。あらかじめ用意された「身内」からの、予定調和な質問に答える形で、高市首相は表情を変えずにこう言い切った。
「有識者会議の報告でも、皇位を継承するのは男系男子に限ることが適切とされており、政府としても、私としても尊重している」
その無味乾燥な声を聴きながら、私は思った。私たちは今、政治の力によって真正面から無視されているのではない。官邸の密室で用意された、たった6人の「美しいインクの跡」を、都合よく書き換えた政治家のレトリックによって、国家全体の思考を止められているのだ、と。
では、高市首相が防弾チョッキのように身に纏う「有識者会議の報告書」とは、一体誰が、どうやって作ったものなのか?
その配線図を辿ると、官僚機構が編み出した実に見事な「リスクヘッジのシステム」が浮かび上がる。
時計の針を少し戻す。
2021年(令和3年)3月、当時の菅義偉内閣のもとで、一つの組織が設置された。
正式名称を「『天皇の退位等に関する皇室典範特例法案に対する附帯決議』に関する有識者会議」という。
この会議の本体を構成したメンバーは、わずか6名である。
労働経済学者、国際政治史学者、行政法学者、経済界の重鎮、文筆家、元キャスター。
彼らの顔ぶれを見て、「皇室論のプロがいない」「素人集めだ」と揶揄するのは、このシステムの巧妙さを見誤っている。
彼らは「専門外」だからこそ、特定のイデオロギーに染まっていない「無垢な国民の良識」という最高品質のブランド(アリバイ)として機能する。
彼らは被害者でも加害者でもなかった。高度に設計された、誠実な部品だったのだ。
事務局である官邸官僚は、この無垢な6人に対して、こう提案した。
「みなさんは、皇室問題に関しては素人です。なので、プロの意見もバランスよく聴き、偏りのない結論が出せるようにしましょう」と。
こう言って、あらかじめ調合された「21人の専門家リスト」を差し出す。
この配合が絶妙だった。
ここで行われたのは、純粋な意見のサンプリング(標本抽出)ではない。
最初から『男系維持・旧宮家案』というゴールを設定し、そこへ着地するための関数として、21人の専門家の言葉のグラデーションがミリグラム単位で調合された、完璧なバックキャスティング(逆算)だった
内訳は、「明確な男系男子維持が6人」、「現状維持を基本とする折衷案が10人」、「女性・女系天皇の容認派が5人」。計21人。見事に「現状維持〜折衷」のグラデーションで8割近くを占めさせ、抜本改革派を少数派に押しやった配合比率だ。
6人の誠実な市民(有識者)はおそらく、与えられた資料を真剣に読んだ。専門家の意見を真摯に聴いた。会議の場でも、誠実に発言しただろう。ただ、自分たちが渡された「地図」が、最初から目的地に向かって描かれていたことに、気づく術がなかっただけだ。悪意などない。
あるのは、よかれと思って動いた人たちの、小さな誠実さが積み重なって、巨大な不誠実が完成するという、現代の官僚機構の最も奇妙な構造だ。
こうして出来上がった報告書は、同年12月、政権が岸田文雄内閣へと移り変わった直後に手交された。
ここには、誰も悪意を持った独裁者はいない。ただ「淡々と処理された事務」があるだけだ。
■切り取られた総意
しかし、この精巧なシステムが導き出した真の「更新不全」は、別のところにある。
多くの人は、この令和3年の報告書が「女性・女系天皇は絶対にダメだ、男系絶対である」という強硬な思想を打ち出したものだと思っている。
だが、実際のテキストを読めば、その中身は驚くほど空虚だ。
報告書が示した結論の本質は、イデオロギーの提示ではなく、「判断の先送り」だった。
「悠仁親王殿下がいらっしゃる現段階において、皇位継承の根幹(女性・女系天皇の是非)に触れるのは時期尚早であり、判断を示さない(将来に譲るべき)」
これが、最高峰の知性が集まったとされる会議の、本当の結論だ。
本質をすべて未来へ棚上げしたまま、当座の皇族数減少をしのぐための行政テクニック(旧宮家男系男子の養子縁組など)だけを、引き出しからそっと差し出した。
ここに、このシステムの最も奇妙な「反転」が起きる。
先日の国会で、高市首相はこう言い切った。
「有識者会議の報告書において、皇位継承は男系男子に限ると提言されている。政府としてはそれを尊重する」
非常に注意深くこの問題を追っていた一握りの人々は、この瞬間に強烈な違和感を覚えたはずだ。なぜなら、先述の通り、報告書には「皇位継承資格を男系男子に限るべし」という踏み込んだ提言など、どこにも書いていないからだ。
では、高市首相が口にした「男系男子に限る」という言葉はどこから降ってきたのか。
答えは、報告書の「手段」の欄にあった。
報告書では、当面の皇族減少を食い止めるための行政テクニックとして、旧宮家から養子を迎える案を提示している。その際、迎え入れる対象の資格として「皇統に属する男系の男子」という記述があったのだ。
つまり、これは「養子の条件」であって、次世代の「皇位継承のルール」として結論づけられたものではない。
首相は、自分の頭の中にある「男系絶対」という結論に合致する言葉だけを、報告書の引き出しから器用に切り取り、ありもしない「会議の総意」として答弁に仕立て上げたのだ。
厳密に言えば、これはレトリックによるファクトの「すり替え」である。
しかし、テレビのニュースやSNSでこの答弁をぼんやりと眺めている圧倒的多数の国民は、わざわざ内閣官房のサイトからPDFをダウンロードして答え合わせなどしない。
最高権力者が自信に満ちた声で「有識者会議がそう提言している」と言った瞬間、その発言自体が、メディアを通じて「新しいファクト」として世間に流通し、定着していく。
政治家が都合のいい結論を語るために、有識者会議という「盾」を使い、さらにその盾に、書かれてもいない「大義名分」を上書きして国民に提示する。
もはやそこには、2000年の伝統への敬意も、1億人の世論への真摯さもない。
あるのは、たった6人の名前が乗ったペーパーを都合よく書き換えながら、自らの政治的陣形を守ろうとする、永田町の乾いたサバイバル術だけだ。
企業の経営危機において、社長が自らの責任でリストラを決めず、外部のコンサルタント会社に「現状維持が妥当である」という報告書を書かせ、それを盾に居座る構図と何も変わらない。
伝統の継承という大義の裏で、私たちが手渡されているのは、2000年の歴史の重みではない。
官邸の密室で調合された、たった6人のインクの跡によって、今日も私たちの思考は、静かに止められている。
