〔すしそば論争〕
細い裏路地にひっそり佇む小さな一軒家。バーカウンターに立ち、『正』の字を書く。
「今の時点で、どっちが多い?」
「寿司7、蕎麦4。寿司ですね」
「ほらね! 絶対寿司だよ!」
「まだわかりませんよ」
「寿司、寿司だよ! やっぱり蕎麦じゃないよ、だって、なんで蕎麦なの?」
「昨日も言いましたけどね、お世話になった人達に思いを馳せつつ蕎麦前でシャンパンを飲ってから、シメにシャキッとした蕎麦を手繰って、蕎麦湯でお腹を温めて感謝しながら終わるんです」
「いやぁ、わからないね。俺は絶対寿司だもん。家族で大きな寿司桶囲んで、次は何を食べようかな、マグロかな、って迷う。これが良いんだよ」
いつも笑顔が最高な常連客の岩間さんが、今最も気に入っているテーマ『最後の晩餐に何を食べるか』。
岩間さんは寿司、私は蕎麦だと譲らず面白くなってきたのと、多数決でどちらか決着をつけるため、他の常連様に急遽アンケートを行うことにしたのだ。
「同じのもう一杯」
「かしこまりました」
国産ウイスキー『白州』のボトルを目の前に移動させ、グラスを手に取ったところで店のドアが開いた。
「吉田さん、こんばんは。今日はお一人ですか?」
「こんばんは、一人です。ビールください」
「かしこまりました」
一旦グラスを置いて、吉田さんにおしぼりを渡す。岩間さんが『俺のは後でいいよ』とアイコンタクトをくださったので、先に吉田さんのビールを注いだ。
「ビールどうぞ」
「有難うございます」
次に、岩間さんの白州ソーダ割りをつくる。
「聞いてみてよ……(小声)」
グラスから目を離さなくても、岩間さんがワクワクした笑顔でこちらを見ているのがわかる。私は思わずニヤリとして、仕上がった白州のソーダ割りを岩間さんの目の前にそっと置き頷いた。
吉田さんを見ると、私の後ろに並んでいるお酒を眺めている。2、3歩そちらへ近づくと目が合った。
「吉田さん、一つ聞きたいことがあるんですが、今よろしいですか?」
「良いですよ。なんですか?」
サッパリとした笑顔で吉田さんが言った。
「今、常連様達に、最後の晩餐が寿司か蕎麦ならどちらを選ぶかを聞いているんです。吉田さんならどちらを選びますか?」
「えっ、二択ですか? うーん……」
吉田さんも優しいので、こんな急な問いかけにも真剣に考えてくれている。岩間さんは吉田さんと私を見ながら目を爛々と輝かせている。
「寿司ですね」
「おおおっ! ほら! そうだよね、寿司だよねぇ」
吉田さんの答えに、それはもう上機嫌になった岩間さんは、白州のソーダ割りを美味しそうにゴク、ゴクッと2口飲んでニコニコしている。吉田さんは続けた。
「僕の地元に、子供の頃から行っているお寿司屋さんがあって、そこの穴子のお寿司が大好きなので、それを5つくらい食べて終わりたいです」
「おお、良いねぇ」
岩間さんがノッている。先程は寿司について、次に食べるネタを選んでいくのが良いんだと力強く言っていたが、最早ネタは1種類でも寿司が選ばれたらそれで良いようだ。
「どっちですか?」
吉田さんが私と岩間さんに向けて聞いてくれたので、2人とも先程の主張を吉田さんに話す。岩間さんは冗談ぽくも熱心に語り、吉田さんは相槌を打ちながら笑ってビールを飲んでいる。
またドアが開いて、常連の大矢さんが現れた。
「大矢さん、こんばんは」
「こんばんは。接待だったから疲れた。ウイスキー選ぶから先にお水1杯くれる?」
「かしこまりました」
お水を注ぎ、大矢さんの前に置く。岩間さんと吉田さんは、少し声のトーンを落として最後の晩餐に寿司を選択する事の素晴らしさを話し合っている。やはり、接待で疲れたお客様に寿司か蕎麦かを聞けとは言わない。本当に素敵な常連様に恵まれている。
「はーっ、水が美味しい。さて、『宮城峡』のソーダ割りをもらおうかな」
「はい」
なるほどお疲れのようだが、クールな大矢さんにしてはいつもより饒舌だ。宮城峡のボトルを前に出し、ソーダ割りをつくって大矢さんにお出しした。
「お待たせいたしました」
一口飲むのを見計らって聞いた。
「大矢さん、最後の晩餐で寿司か蕎麦しか選べないとしたら、どちらにします?」
「蕎麦!」
ものすごい速さで答えが返ってきた。
「えっ!」
横で思わず反応した岩間さん。吉田さんはちょっと面白そうだぞという目をしている。
「この世の終わりに、良いネタが出回ってるわけないもん。誰が握るの? そんな時にまともに握らないでしょ、蕎麦に決まってるよ!」
「なるほど。大矢さんにとって最後の晩餐とは、この世界が滅亡するって時の食事を指すので、そんな時にクオリティの高い寿司は出てこないという事ですね」
「そりゃあそうだよ。腹膜炎になっちゃうよ、嫌でしょう?」
いつもクールな大矢さんは、意外と面白い人なのかも知れない。
「俺は、やっぱり寿司だなぁ……」
呟かずにはいられない、お寿司が大好きな岩間さん。
「腹膜炎か……」
考え込む吉田さん。
「え、失礼ですが、寿司ですか?」
いかにも洗練された大矢さんがこんな事を聞いている、この状況が面白い。
「いやぁ、寿司だなぁ」
「僕は寿司です」
岩間さんと吉田さんはそれぞれに大矢さんへ理由を話す。
「寿司なんて、意外だ……」
ひと通り聞いた後、大矢さんが私に向かって言った。
「現時点で寿司8、蕎麦5。寿司が優勢です」
「ウソでしょ、寿司が多いの?!」
岩間さんは得意気な表情を隠さない。吉田さんは笑っている。
「今月いっぱいはこのテーマで集計しますからね。まだわからないですよ」
寿司か蕎麦でなければ何が良いか、日本人なら味噌汁じゃないか、味噌汁は寿司に含んでもいいだろう、何故ならば寿司店のメニューにあるのだから、などと話は広がる。
料理長の幸崎が、小さな器に入った白桃の白和えをこちらに持ってきた。岩間さん、吉田さん、大矢さんの順にお出しする。
「どうぞ、白桃の白和えです」
みずみずしい果物の白和えはウイスキーのソーダ割りによく合う。
「有難う」
「桃は久しぶりだな」
「美味しそう」
それぞれが白桃の白和えを口に含み、一瞬店内が静かになった。
「……蕎麦って……何蕎麦?」
岩間さんが静かに聞いた。
「ざる蕎麦。そういう時はざる蕎麦です」
「うぅむ……」
大矢さんには迷いが無く、あわよくば寿司派に勧誘したかった岩間さんは唸り、吉田さんは桃の白和えをもう一口食べている。
「平和な1日だ」
グラスを磨き、お客様の前に配置した白州と宮城峡の後ろ姿を見ながら、私は思わず呟いた。
了
