#5月26日#日本 では #何の日 かをまとめてみました。

東名高速道路全通記念日

5月26日は、東名高速道路全通記念日です。1969年(昭和44年)のこの日、 #神奈川県 足柄上郡大井町の大井松田インターチェンジから #静岡県 御殿場市の御殿場インターチェンジまでの約25.8kmが開通し、東京インターチェンジから #愛知県 の小牧インターチェンジまで346kmにおよぶ #東名高速道路 が全線つながった。ただの「開通」という言葉では収まりきらない、戦後日本の経済と暮らしを根底から塗り替えた日だった。

当時の日本は高度経済成長の真っただ中にあった。翌年には大阪で #万国博覧会 が開かれ、 #アポロ11号 が月面に降り立ったのも同じ1969年のことだ。 #東京オリンピック の熱気が冷めやらぬなか、国をあげて前進していた時代に、東名高速はその象徴として完成した。それまで東海道を結ぶ #国道1号線 は、工場や住宅の増加にともなう物流車両で慢性的な渋滞を抱えていた。東西の経済をつなぐ動脈としての機能を、すでに十分に果たせない状況に陥っていたのだ。

正式名称を「第一東海自動車道」という東名高速は、首都圏と中京圏を高速で結ぶことで、物流に革命をもたらした。全通と同時に、4年前の1965年(昭和40年)に開通していた #名神高速道路 とも小牧インターチェンジで接続され、東京から #兵庫県 西宮市まで536kmが一本の高速道路でつながることになった。関東・中京・関西という三大経済圏を結ぶこの道路網は、日本の大動脈と呼ぶにふさわしかった。

東名高速の建設は、単なる道路工事ではなかった。自然の地形が複雑な日本列島を縦断するために、多くの技術的な挑戦が積み重ねられた。静岡県を横断する区間だけで300km近くに及び、 #丹沢山地#天竜川#大井川 など、数多くの地形的障壁を越えなければならなかった。のべ数千万人もの作業員が投じられたとされる、国家規模の大工事だった。完成したとき、それが単なるコンクリートとアスファルトの積み重ねではなく、日本人の意志と労力が形になったものだという感覚を、多くの人が抱いたのではないだろうか。難所のひとつだった #薩埵峠 付近では、 #駿河湾 と富士山を背景にした絶景が広がり、今もドライバーたちの目を奪い続けている。

今日、東名高速はルート番号「E1」を持つ幹線道路として機能している。並走する #新東名高速道路 の整備も進み、輸送の効率化と安全対策が引き続き図られている。2020年(令和2年)12月には新東名の一部区間で最高速度が時速120kmへ引き上げられ、さらなる高速化が現実となった。開通から半世紀以上が経ったいまも、東名高速はアップデートされ続けている。

高速道路という存在はあまりにも日常的になりすぎて、私たちはその恩恵を意識することすら少なくなった。しかし今日5月26日は、あのとき大井松田と御殿場をつないだ最後のひと区間を思い、現代日本の物流と暮らしを根底で支えるインフラの誕生をあらためて感じてみてほしい。ドライブの途中にサービスエリアで一息つく時間も、富士山を車窓に見ながら走る道も、60年近く前の5月のあの日に完成した。

ラッキーゾーンの日

5月26日は、ラッキーゾーンの日です。1947年(昭和22年)のこの日、 #甲子園球場 に日本初のラッキーゾーンが設置された。外野フィールドの内側に新たな柵を設け、本来のフェンスとその柵の間に打球が飛び込めばホームランとして扱うというルールで、事実上グラウンドを狭くする仕掛けだった。

そもそも甲子園球場が完成したのは1924年(大正13年)のことだ。その年の干支である甲子(きのえね)にちなんで名付けられたこの球場は、 #全国中等学校野球大会 (現在の全国高校野球選手権大会)を収容するために計画された巨大施設だった。両翼118mという広大なフィールドは、来日した #ベーブ・ルース が「too large」と驚いたほどで、極端にホームランが生まれにくい球場として知られていた。浜風も打球の行方を左右し、甲子園でのホームランはそれだけで特別な価値を持った。100年の歴史を持つこの球場は、2024年に球場創設100周年を迎えた。

戦後、日本社会は娯楽に飢えていた。プロ野球はその渇望を満たす存在として急速に人気を集めていたが、甲子園では外野の広さゆえにホームランが出にくく、試合の盛り上がりに欠けるという声があった。そこで登場したのがラッキーゾーンだ。内野手の当たりが柵を越えれば本塁打になる。試合にはスリルが加わり、観客の熱狂とともに球場は活気を取り戻した。客席から「入るか、入らないか」と歓声が湧き上がる瞬間が増えたことで、プロ野球の人気はさらに高まっていった。娯楽を求める民衆の声が、球場の形そのものを変えた時代の産物でもある。

その後、甲子園だけでなく #明治神宮野球場#阪急西宮球場 など、ほかの球場にもラッキーゾーンが設置されていった。しかし時代とともに選手の体格が向上し、バットやボールの品質も改良されたことで、自然とホームランの本数は増えていった。ラッキーゾーンの必要性は薄れ、甲子園では1991年(平成3年)12月5日にその柵が撤去された。約44年間にわたって球場に設置されていたラッキーゾーンは、静かにその役目を終えた。撤去後の甲子園はもとの広大なフィールドを取り戻し、今ではその広さが「甲子園の本来の姿」として語られている。

制定者については記録に残っておらず、 #日本記念日協会 にも登録されていないが、1947年5月26日という日付が「日本にラッキーゾーンが初めて生まれた日」として語り継がれてきた。今日の甲子園には、あの柵はもうない。しかしその跡地には、戦後日本が野球に夢を見た時代の空気がかすかに漂っている。次に甲子園を訪れる機会があれば、外野の広さをスタンドから眺めながら、かつてそこに柵が立っていた記憶を思い浮かべてみてほしい。

ル・マンの日

5月26日は、ル・マンの日です。1923年(大正12年)のこの日、 #フランス 北西部の都市 #ル・マン で、自動車耐久レースの最高峰として知られる「 #ル・マン24時間レース 」の第1回大会が開催された。自動車が誕生してまだ数十年しか経っていなかった1920年代に、24時間ぶっ続けで走るという発想がすでに存在していたことは、改めて驚くべきことだ。

第1回大会は、18メーカーから33台が出走した。フランス車を中心に、 #ベルギー#イギリス から各1台が加わり、24時間でコースを何周できるかを競う形式だった。完走したのは30台。優勝したのは地元フランス人ドライバーが乗るフランス車 #シュナール・ワルケル で、走行距離は2,209.536km、平均速度は時速92.064kmだった。現代のトップカーが平均時速250km以上で走ることと比べると、100年という時間の重みが実感される。

ル・マン24時間レースの特徴は、単なるスピードではなく「24時間走り続ける」耐久性にある。ドライバーは複数名でチームを組み、交代しながら昼夜を問わず走り続ける。マシンの信頼性、燃費戦略、タイヤマネジメント、天候への対応、そして夜間走行における集中力と判断力。勝利には総合的な強さが求められる。コースの3分の2は通常は一般道として使われており、レースウィーク中だけ封鎖される。この「公道を飛ばす」感覚は、ほかのレースにはない独特の迫力をル・マンに与え続けている。日が沈むとともに気温が下がり、霧が出る夜の #サルト・サーキット は、昼間とはまったく異なる表情を見せる。その変化のなかで24時間走り続ける過酷さが、このレースを特別にしている。

日本との関係も深い。1970年代から #マツダ がル・マンへの参戦を開始し、1991年(平成3年)にはロータリーエンジンを搭載した #マツダ・787B で総合優勝を果たした。これが日本車メーカーとして唯一の総合優勝記録として今も刻まれている。その後、 #日産自動車#トヨタ自動車#本田技研工業 なども参戦し、技術力を世界に示し続けてきた。特にトヨタは長年の挑戦の末に表彰台常連となり、日本のモータースポーツ技術の高さを証明している。2016年には残り3分でトップ走行中のトヨタ車にマシントラブルが起き、悲願の初優勝目前での無念の結末となった。その後のリベンジへの誓いもまた、ル・マンの物語の一部だ。

レースは毎年6月に行われており、100年以上の歴史を持つ大会として今も世界中のファンを魅了し続けている。第1回大会のコース全長は17.262kmと最も長く、現在は13km台で推移している。今日の記念日に、ル・マンの夜を走り抜けるマシンの灯りと、その背景にある技術と情熱の歴史に、しばし思いをはせてみてはいかがだろうか。

県民防災の日(秋田県)

5月26日は、秋田県の県民防災の日です。1983年(昭和58年)のこの日、 #秋田県 能代市西方沖80kmの地点で #日本海中部地震 が発生した。発生時刻は午前11時59分57秒。マグニチュード7.7、震源の深さはわずか14kmという浅い地震だった。最大震度は秋田市・ #青森県 深浦町・むつ市で震度5を記録した。昼前のその時間、海岸では遠足の小学生たちが弁当を広げていた。

地震発生から数分後、秋田県・青森県・ #山形県 の日本海沿岸には10mを超える大津波が押し寄せた。国内での死者は104人に上り、そのうち100人が津波による犠牲者だった。砂浜で遠足中だった小学生、海岸で作業していた工事関係者、漁に出ていた漁業関係者が波に飲まれた。家屋の全半壊3,049棟、船舶の沈没または流失706隻、被害総額は約518億円にのぼった。

この地震が残した教訓のひとつは、「日本海側でも大津波が発生する」という事実の重みだった。日本海側では太平洋側に比べてこれまで大規模津波の経験が少なく、人々の認識と避難体制が十分ではなかった。砂浜でピクニック中だった子どもたちが、津波の意味を知らぬまま波に近づいてしまったという記録は、今も津波教育の文脈で語り継がれている。海は美しい。だからこそ、人はその危険から目を背けやすい。この地震の犠牲者たちが教えているのは、まさにその落とし穴だ。「知っている」ことと「実際に逃げられる」ことは、別の話でもある。

秋田県は、この地震を教訓として5月26日を「県民防災の日」と定め、毎年この日に合わせて県内各地で大地震を想定した防災訓練を実施している。訓練では、情報伝達の手順確認や自衛隊への災害派遣要請のシミュレーションなど、実践的な内容が取り組まれている。 #秋田県八峰町 には、犠牲者を追悼するために「 #濤安の乙女 」像が建てられており、43年を経た今も静かにその悲しみを伝えている。

2011年の #東日本大震災 を経て、日本人の津波に対する意識は大きく変わった。しかしその変化の礎には、1983年の日本海中部地震をはじめとする多くの犠牲と教訓がある。日本海中部地震の記録を扱ったドキュメンタリーや報道は、当時の映像資料としても世界に配信され、津波の恐ろしさを映像で伝える先例となった。記録することが、次の命を守る。今日5月26日は、秋田県民だけでなく、日本に暮らすすべての人が、自分の住む場所のリスクと避難経路を改めて確認するきっかけにしてほしい。記念日は、記憶を未来へとつなぐ装置でもある。

源泉かけ流し温泉の日

5月26日は、源泉かけ流し温泉の日です。「極(5)上な風(2)呂(6)」という語呂合わせと、この日が「 #源泉かけ流し全国温泉サミット 」の開催日であることを由来に、 #長野県#野沢温泉 の源泉をかけ流しで提供する旅館などが結成した「 #野沢温泉源泉かけ流しの会 」が制定した。記念日は一般社団法人日本記念日協会により認定・登録されている。科学的にも確認されているその泉質の良さをより多くの人に伝えることが目的とされている。「かけ流し」という言葉が持つ、贅沢で惜しみのない感覚が、この記念日の根底に流れている。

野沢温泉は、長野県下高井郡 #野沢温泉村 にある。 #麻釜 (おがま)と呼ばれる源泉をはじめ30余りの源泉が湧き出し、硫黄泉の豊かな湯量で知られる。この温泉が特別である理由のひとつは、その歴史の深さにある。鎌倉時代の第84代 #順徳天皇 (1197〜1242年)の時代に皇室が選んだ「 #日本三御湯 (みゆ)」のひとつとして数えられてきた。日本三御湯とは、 #宮城県#秋保温泉 (名取御湯)、長野県の #別所温泉 (信濃御湯)、そして野沢温泉(犬養御湯)を指す。800年近く前から「名湯」と認められてきた温泉が、今もその品質を守り続けているということになる。

源泉かけ流しとは、地中から湧き出した温泉を浴槽に直接注ぎ、あふれ出た湯を外へ流すスタイルのことをいう。浴槽内で湯を循環させず、常に新しい源泉が注がれ続ける。この方式はお湯の鮮度を保ち、温泉本来の成分を損なわずに入浴できる点が特徴で、 #日本温泉協会 もその定義を明確にしている。ただし、温度調整のために水を加えたり、ボイラーで加熱したりする場合もあり、「源泉100%かけ流し」という表記がある施設ではそれらの操作も行わないとされる。

野沢温泉では、温泉街の中心にある「 #大湯 」をはじめ、「外湯」と呼ばれる無料の共同浴場が13か所ある。地元住民が管理しているこれらの外湯は観光客にも開放されており、源泉かけ流しの湯を手軽に体験できる場として多くの人に親しまれている。外湯めぐりという文化そのものが、野沢温泉の個性でもある。スキーリゾートとしても有名な野沢温泉は、冬の雪景色と温泉の組み合わせで人気を集めるが、新緑の5月に訪れるのもまた格別の味わいがある。観光客の少ない時期に静かな外湯でひとり湯につかる体験は、混雑した有名温泉地では味わえないものがある。800年以上前から「御湯」と呼ばれた湯が、今日もその温度と成分を保って湧き続けている。今日この記念日を、はるか鎌倉時代から続く日本の温泉文化に思いを寄せる一日にしてみてはどうだろうか。

風呂カビ予防の日

5月26日は、風呂カビ予防の日です。住まい・衣類・キッチン・調理など、暮らしに役立つさまざまな日用品を製造・販売する #ライオン株式会社 が制定し、一般社団法人日本記念日協会により認定・登録されている。 #東京都墨田区 本所に本社を置く同社は、生活者の日常に寄り添う日用品メーカーとして長年の歴史を持つ。

日付の根拠は、データに裏打ちされている。 #日本気象協会 の調査によると、5月26日を境に気温と湿度の関係がカビ発生の条件に合致し始め、お風呂のカビが生えやすくなることが確認されている。この日を記念日と定めることで、梅雨前のタイミングでカビ対策を意識してもらいたいという願いが込められている。感覚的な「そろそろ湿っぽい季節だな」という印象を、5月26日という具体的な日付に変えた点が、この記念日のユニークさだ。

カビは、温度・湿度・栄養源の三条件がそろったときに繁殖する。浴室はその三つを兼ね備えた場所だ。使用後の浴室はたちまち60〜80%を超える湿度に包まれ、20〜30度台の温度が続き、石鹸カスや皮脂汚れという栄養源が壁や床に残る。特に天井は見落とされがちで、目には見えなくても黒カビの原因菌(カビ胞子)が漂っている。見える黒カビを落とすだけでは不十分で、胞子の段階で除菌することが根本的な対策になる。

ライオン株式会社のブランド「 #ルック 」から販売されている「 #ルックプラスおふろの防カビくん煙剤 」は、銀イオン(Ag)の煙を浴室全体に行き渡らせることで、手の届きにくい天井や換気扇まわりにも作用し、黒カビ原因菌を除菌してカビの発生を防ぐ仕組みになっている。使用頻度の目安は1〜2か月に1度とされており、梅雨入り前のこの時期が最初の使いどきとして推奨されている。

成人の適度な入浴がリラックス効果や疲労回復に役立つとされているように、お風呂は日本人の暮らしにとって単なる洗い場ではなく、1日を締めくくる大切な時間だ。その場所がカビで不快になれば、その時間の質も落ちる。浴室の清潔さは、入浴という行為そのものの価値を守ることでもある。今日の記念日は、掃除道具を手に取る前に、まずカビが生える前の「予防」という発想を試してみる日にしてほしい。梅雨の足音が聞こえてくる5月下旬に、浴室を快適に保つための先手を打つ。清潔な浴室は、翌朝の目覚めにも静かに影響している。それがこの記念日の本質にある。

メープルもみじの日

5月26日は、メープルもみじの日です。 #広島県 広島市西区に本社を置き、観光お土産の洋菓子などを製造・販売する #株式会社サンエール が制定し、2019年(令和元年)に一般社団法人日本記念日協会により認定・登録された。日付は、5月を表す英語の「May(メイ)」と26を「2(プ)6(ル)」と読んで「メープル」とする語呂合わせによる。「もみじ」という和のイメージに「メープル」という北米の自然を重ねたセンスが、この記念日の出発点にある。

広島といえば「 #もみじ饅頭 」が有名だが、この記念日が伝えようとしているのは、もうひとつの顔だ。株式会社サンエールのブランド「 #楓乃樹 」が展開する「 #メープルもみじ 」シリーズは、 #カナダ#ケベック州 産のメープルシュガーを100%使用した洋菓子で、和菓子のもみじ饅頭とはまったく異なるアプローチで「もみじ」をテーマにしている。代表商品の「 #メープルもみじフィナンシェ 」は #モンドセレクション で5年連続金賞を受賞しており、さっくりとした食感と香ばしいメープルの風味が特徴だ。同シリーズにはほかにも「メープルもみじラングドシャ」「メープルもみじチーズケーキ」「メープルもみじプリン」などの商品があり、「もみじ」という和のモチーフに、カナダの自然の恵みを掛け合わせた独自性がある。

記念日を制定した目的は二つある。ひとつは「メープルもみじ」シリーズの魅力を国内外に発信すること、もうひとつは広島がもみじの名所であることをより多くの人に知ってもらうことだ。広島県を代表する景観として #宮島#錦帯橋#三段峡 などが知られているが、秋のもみじの美しさも県が誇る自然の魅力のひとつだ。「メープルもみじの日」はその魅力を菓子という形で伝え、広島を訪れるきっかけをつくる記念日でもある。

なお株式会社サンエールは9月12日を「 #秋のメープルもみじの日 」としても制定している。1966年(昭和41年)9月12日に広島県の県の木が「モミジ」に決定したことに由来する日付だ。5月と9月の二つの記念日で、一年を通じてメープルともみじの文化を発信し続けている。東京や大阪の土産物売り場でも近年見かけることが増えたこのシリーズは、広島を知るひとつの入り口にもなっている。今日は広島ゆかりの洋菓子を手に取りながら、秋には赤く染まる山里の景色を心に思い浮かべる。季節をまたいで広島の自然と菓子文化をつなぐ記念日は、他にあまり類を見ない。そんな5月の一日も、悪くない。

竹内洋岳・8000m峰14座登頂の日

5月26日は、竹内洋岳・8000m峰14座登頂の日です。プロ登山家の #竹内洋岳 氏が所属する #株式会社ハニーコミュニケーションズ が制定し、一般社団法人日本記念日協会により認定・登録されている。日付は、竹内氏が2012年(平成24年)5月26日に #ダウラギリ への登頂を果たし、日本人初・世界で29人目となる #8000m峰14座 の完全登頂を達成した日にちなむ。「 #14サミッター 」という称号は、世界に数十人しかいない。そのひとりが日本人だということを、多くの人はまだ知らない。

#8000m峰 14座とは、地球上に存在する標高8000mを超える14の山すべてを指す。その14座は #ヒマラヤ山脈#カラコルム山脈 のみに集中しており、世界最高峰 #エベレスト (8848m)から #K2 (8611m)、 #カンチェンジュンガ (8586m)と続く、地上で最も天に近い頂の集まりだ。「世界の屋根」とも呼ばれるこれらの山々は、それぞれが極度に希薄な空気、凶暴な気象、死と隣り合わせの急峻な斜面を持ち、完全登頂の達成は人類の限界への挑戦そのものといえる。14座すべてを制した者は世界でも数十人しかおらず、その中に日本人がいるという事実を、今日の記念日は改めて問いかけてくる。

竹内氏は1971年(昭和46年)東京都出身。 #立正大学 仏教学部を卒業後、1995年(平成7年)に #マカルー 東稜下部への登山でヒマラヤに初めて足を踏み入れた。翌1996年にはエベレストとK2に連続登頂するなど、若いころから傑出した山岳能力を見せてきた。そこから18年かけてすべての座を踏破し、2012年5月26日、ネパール北部に位置するダウラギリ1峰(8167m、世界第7位)の頂に立った。通常ルートより無酸素での登頂という、その偉業の厳しさは想像を絶する。血液型O型、身長180cm。数字で表せるプロフィールはあくまで一面にすぎず、18年という歳月をヒマラヤとともに生きた人間の内側は、データでは測れない。

最後の14座目となったダウラギリは、サンスクリット語で「白い山」を意味する。当初の計画では25日の登頂を検討していたが、山岳気象の専門家によって26日が最適と判断され、この日の挑戦となった。頂上に立ったとき、18年間の歩みが一点に集まった感覚があったと竹内氏は語っている。翌2013年には #文部科学大臣顕彰#スポーツ功労者顕彰 を授与された。今日5月26日には、8000mを超える空の果てで孤独に頂を目指した人間の意志の力を、自分自身の日常のどこかに重ねてみてほしい。

空き家の将来を考える日

5月26日は、空き家の将来を考える日です。「 #日本空き家サポート 」を運営する #株式会社L &F が、社会問題化が進む空き家問題の啓蒙活動の一環として制定し、一般社団法人日本記念日協会により認定・登録されている。日付は、日本初の空き家に関する全国的な法律「 #空家等対策の推進に関する特別措置法 」が全面施行された2015年(平成27年)5月26日にちなむ。

#総務省 の調査によれば、日本の空き家数は年々増加の一途をたどっており、2023年時点で全国の住宅総数の約14%近くを占めるとされている。少子高齢化の進行、都市部への人口集中、そして相続後の住宅処分が進まないことが主な原因だ。 #株式会社野村総合研究所 の試算では、このまま何も手を打たなければ2033年には空き家率が30%を超え、日本の住宅の3戸に1戸が空き家になるとも予測されている。

空き家の問題は、所有者個人の話にとどまらない。管理されない空き家は、外壁や屋根が劣化して近隣に危険をもたらし、不法投棄や犯罪の温床になりうる。景観を損ない、地域コミュニティの活力を奪う。固定資産税の負担は所有者にのしかかり続け、売却も解体もできないまま数十年が経過するケースは珍しくない。一方で、活用に踏み切れない所有者には「先祖から受け継いだ家を手放せない」「いつか使うかもしれない」という思いが絡み合っている。空き家は、住宅の問題ではなく、家族の記憶と感情の問題でもある。

2015年に全面施行された空家等対策の推進に関する特別措置法は、危険な空き家を「 #特定空家 」に指定し、市区町村が指導・勧告・強制執行できるようにした初めての全国的な法律だった。2023年にはこの法律が改正・強化され、空き家の除却だけでなく活用・適切な管理を推進するための措置も盛り込まれた。空き家活用に向けた支援制度も自治体ごとに整備されつつあり、リノベーションによる賃貸活用や自治体への売却・寄付といった選択肢も広がっている。法の整備は着実に進んでいるが、根本的な解決には社会全体の意識変革が欠かせない。

この記念日が問いかけているのは、法整備だけでは解決できない「家族の対話」の大切さだ。両親が元気なうちに、実家をどうするかを話し合っておくことが、空き家を生み出さない最初の一歩になる。株式会社野村総合研究所の調査では、親が亡くなった後も実家の処遇を「どうするか全く考えていない」と答える割合が4割を超えていた。生まれ育った家に愛着がある、将来誰かが使うかもしれない。その気持ちは自然なものだ。しかし「いつか考えよう」が積み重なるうちに、家は静かに空き家になっていく。今日5月26日は、家族の中でほんの少し「あの家の将来」について言葉にしてみることが、記念日の本来の意味ではないだろうか。それだけで、未来が変わることもある。


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