世界の隅っこで出会ったふたり また次に出会えたなら
ペットと共に過ごしていると、いつの間にか、人と向き合うように言葉を投げかけている自分に気づきます。

声なのか、音なのか、きっと何かは届いているのでしょう。けれど、人間の言葉を理解しているはずもない。
それでも構わず、こちらは一方的に話し続けます。

ときどき、
もしかしたら全部わかっているのかもしれない、
そんな妄想が、ふっと胸をよぎることもあります。
「お前さんは、気楽で羨ましいな」

そう言われたワンちゃんは、
ただこちらを見て、静かに尻尾を振ります。
気楽って、なんだろう。

人も、犬も、
それぞれの声で鳴いているだけなのに。
生まれ変わったら人間になりたい?
それとも、犬になりたい?

もし、この姿がその願いの先だとしたら。
「犬に生まれて、よかったのう」
「次はどうするんじゃ、また犬か?」

そんな会話が、
言葉にならないまま、
夕暮れの中に溶けていきます。
もし、輪廻の先で
人が犬に生まれ変わったとしたら。

人の記憶や感情を抱えたまま、口から出るのは犬の声だけ。
食べ物を前にすれば、理屈より先に体が動き、
外に出れば、匂いに心を奪われる。
人のようには振る舞えず、犬として生きるしかない世界。

それでも、差し出された腕の中へ、理由もなく飛び込んでしまう。
仏教は、その姿を裁きません。

ただ、生きている形は違っても、
迷いも、ぬくもりも、同じ流れの中にあると、
静かに示しているだけです。

