湧き出る限り、書こうじゃないか。とはいえ、シール剥がしは欲しいけど|#なんのはなしですか
「文章を書く」って、なんだっけ。
あ、noteが書けなくて困っている、とか、そういうことじゃないです。すみません。
ただ、私にとって、「文章を書く」は、自分の内から湧いて出てくるふわふわした何かを、掬い上げて、かたちを見て、言葉にしていくこと。
湧いて出てくるものを、ひたすら変換していく作業のこと。
だから、自分が書いた文章と、自分の感情が、分かち難く、結びついていることがあって。
「自分の感情そのもの」と、「感情を表現した作品」は別物なのだと、言われた。
chatGPTに。
AIって、すごいね。
それはそれとして(え?)
「自分の感情そのもの」と、「感情を表現した作品」は別なのだろうけれど、くっついていて、うまく剥がせない場合は、どうするんじゃい、と思う。
粘着テープよろしく、強力タイプの屋外用両面テープ並みにくっついているんですけど。
え、ねえ、どうすればいいのよ?
素朴な疑問とちょっとした興味で、chatGPTに、うっかり聞いてみてしまった。
その答えはこちら↓
1. 「私は今こう感じた」ではなく、「この感情をどう見せるか」に一度引いて考える
感情をそのまま綴るのは「日記」的で率直ですが、読者に響かせたいときは、「この感情を読んだ人にどう伝わってほしいか」と一歩引いて考えてみましょう。
例:「寂しかった」→ 感情そのもの
「窓からこぼれる光が、やけに遠く感じた」→ 感情を表現した作品
このように、一度感情を別の形に「翻訳」することで、作品としての輪郭が立ち上がります。
2. 視点をズラす
自分の中の感情を、第三者視点で語ってみる、あるいは別の誰か(仮の登場人物)に語らせてみると、感情が客体化されて、作品性が高まります。
例:一人称から三人称に変える
主語を「私」から「彼女」「少年」「あの人」にしてみる
3. 「誰かに読まれること」を意識する
内面的な文章でも、「これが読まれたとき、どんな余韻が残るか」を意識すると、ただの心情吐露から「表現」に変わっていきます。
→ エッセイや日記であっても、「伝える工夫」をすることで自然と境界線が引かれます。
4. 書いたあとに、自分に問いかける
・「これは“いまの私”が吐き出したいてだけ?」
・「読者が何かを感じ取れる“余白”があるか?」
・「これは“作品”として残したい内容か?」
この問いかけで、心情のまま書いた部分と、表現に昇華された部分の違いが見えてきます。
「自分の感情そのもの」と「感情を表現した作品」
の境界線をうまく引くコツはありますか?」
と聞いてみた回答
そうかもしれんが、そういうことだっけ?、という気持ちになった。
その文章は、「生の感情そのまま」を表現している、訳ではない。
だいたい、「生の感情そのまま」だったら、もっと読みづらいわ、自分でも。
言葉にして、言語になってそこに現れている時点で、それは一つの「作品」になっているような気もする。作品というのは、烏滸がましいのかもしれないけれど。
違うのかなぁ。
でも、今現在の、そこにある「作品」にくっついている感情を剥がす方法は、誰も教えてはくれない。
時間をおく、とか、後で見返すとか?(一緒か)
そういう方法はあるだろうし、それはそれで一理あるけど、なんかこう、シール剥がしみたいなやつ、ないのか。
プシューっと吹きかけて、しばらく置いたら、ちょっとずつぺりぺり剥がせるようになるやつ。
まあ、ないか。
ないからきっと、書いているんだろう。
むしろ、そんな便利なものがあったら、逆に怖いかもしれない。
いいなと思ったら応援しよう!
読んでいただき、ありがとうございます…!
いただいたチップは、制作に還元していきます!