見てろよ
見てろよ。
それが私の書くラストワードだと思っている。
一日だけの企画だったようだけど、ラストワード2026の募集要項を見て勝手に考えた。
『自由に書けるのはこれが最後というメンタルで書く』という事らしい。
そこに一行。
見てろよ、と書く。
いつ死ぬかなんてわからない。
不意に来るかもしれないし、わかっていたとしても、きっと最後は意識が混濁する。
スマートに「ありがとう」と言えるような、泣ける状況なんて来ない。
言いたいことは日々、もう言っている。
あるいは背中で見せている。
でんぐり返しのやり方を見せた。実はあのとき首を痛めた。痛めたことは今でも黙っている。
娘と二人でふざけていたら妻が怒った。
娘がまだ続けようとしたから止めた。
「お父さんふざけすぎた。ごめんなさい。」
娘の前で気をつけして謝った。
肩を揉むから、お菓子食べさせてと娘が妻に言っていた。…誰に似たんだか。
最後だからと重宝するような言葉は持っていない。
だから、日々、やる。
そう考えると娘が産まれた日から、私の最後のメッセージは決まっていたと気づく。
言葉じゃない。
心電図の音だ。
少しでも長く、娘が驚くほど長く打ち続ける。
長くしがみつくことで、この世界はそれほどいいぞ、と伝えたい。
だから最後に書く文章はいつも通りだ。
いつも通りの言葉で、いつも通りの場所から、書く。
見てろよ、と。
