フジロックのMassive Attackと『攻殻機動隊S.A.C.』
Massive Attack がライブの最後に提示した「自分の感情や思考は本当に自分のものなのだろうか」という問いは、『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』のメインキャラの「笑い男」やボードリヤールの「シミュラークル」の概念とつながっているように思えた。

『攻殻機動隊 S.A.C.』の「笑い男」は、J・D・サリンジャーの小説を引用しながら、政府が隠そうとする薬害を告発するメディアハッカーとして描かれている。笑い男事件の本質は、オリジナル(本物の薬害告発者)が不在のまま「笑い男」という記号だけが一人歩きし、社会現象を生み出した点にある。
Massive Attack もまた、ステージの巨大スクリーンを通じて、国家の嘘、データ監視社会、多国籍企業の支配、アルゴリズムによる世論誘導などの「見えないシステム」をハッキングするように告発し続けている。彼らが提示した問いは、「あなた自身の怒りや思想は、メディアやアルゴリズムに『模倣させられている』だけではないか?」という、まさにS.A.C.で描かれた「オリジナルなきコピー」への批評ではないか。
「オリジナルのないコピー」を意味するジャン・ボードリヤールの「シミュラークル」という思想は、『攻殻機動隊 S.A.C.』の根底に流れる哲学であり、Massive Attackのメッセージと相似形だ。現代社会において、私たちがSNSやニュースで消費している「感情」は、自分以外の誰かが作った記号のコピーに過ぎないのではないかという思想が「自分の感情や思考は本当に自分のものなのだろうか」という問いに現れている。
Massive Attackのフロントマンである3Dは、テクノロジーが人々の認知をどう歪めるかに極めて自覚的に見える。彼らのステージは、観客が「本物の自分」だと思っている意識すらも、「情報社会」という巨大なシミュラークルに植え付けられたコピーに過ぎない可能性を突きつけている。
Massive Attackの生まれたブリストルという港町、移民の多い多文化の環境と士郎正宗、押井守、神山健治らが描いた日本のサイバーパンク的世界観は、90年代のインターネットの前世紀には強く結びついていた。公式には3Dは「攻殻機動隊に影響を受けた」と明言されていなくとも、彼らが共有している「高度情報化社会におけるアイデンティティの喪失」というテーマは『攻殻機動隊SAC』が描こうとしていたものだ。
最後に「自分の感情や思考は本当に自分のものなのだろうか」という問いを突きつけることで、彼らは観客をただの「消費されるコピー(観客という記号)」から、立ち止まって考える「個(スタンドアローン)」へと引き戻そうとしたのかもしれない。
BBCのドキュメンタリー映画監督であるAdam Curtisとのコラボレーションの『Massive Attack v Adam Curtis』や『Mezzanine』20周年ツアーの演出に関して、Adam Curtisは「私たちは、私たちのデータを読み取り、あらゆる行動を予測する『機械(アルゴリズム)』に囲まれた、奇妙で後ろ向きな世界に移行してしまった。この安全に見える快楽のドーム(ネット社会)の中では、ウイルスのように疑心暗鬼と不信感が広がっている」と2019年に語っている。
データ監視社会の闇を暴くAdam Curtisと手を組んだことで、Massive Attackのメッセージは政治的ビジュアルとして確立された。彼らは、音楽を単なる「エンターテインメント(現実逃避の道具)」にすることを拒み、観客のアイデンティティを揺さぶるための「覚醒の装置」として扱っている。
『攻殻機動隊 S.A.C.』では、脳をデジタル化し、体を機械に変えられる世界が描かれる。そこでは、自分の記憶や感情すらも「誰かに書き換えられたコピー」かもしれないという不安が常に付きまとっている。『攻殻機動隊 S.A.C.』の主人公の草薙素子は、自分のなかに「ゴースト(人間としての魂/オリジナルな自我)」が存在することを信じ、それを頼りに生きていたが、それすらも「そう思い込んでいるだけのプログラム」かもしれないという不安と常に戦っている。
物語の終盤、アオイ(笑い男)と草薙素子は、図書館(紙に情報が死蔵されている墓場)でサリンジャーの小説『ライ麦畑でつかまえて』を引用しながら対話する。そこで語られるのは、ハードディスクたる電脳に保存される情報が並列化され、そのオリジナル(本物)が消え去った世界で、私たちはどう「個としての違い」を保持するかというテーマだ。社会はオリジナルがなくても「コピーの連鎖」だけで勝手に駆動していき、個人が原初的に持っていたはずのオリジナルな意志はコピーの連鎖のなかで消えていってしまう。
『S.A.C.』におけるオリジナルとは、「誰もが追い求めるが、情報社会のどこを探しても見つからない幻」である。Massive Attackがライブの最後に突きつけた「自分の感情や思考は本当に自分のものなのだろうか」という問いは、『S.A.C.』が描いた「オリジナル(本当の自分)の不在」が状態化した世界に対する、現実世界からの叫びに聞こえる。
『S.A.C.』で描かれた、人間が電脳化された社会では、全員が同じ情報にアクセスし、同じ体験を瞬時に共有できる。まさにAIが実現している現代のカリカチュアとも言えるが、アオイ(笑い男)は、情報が完全に並列化されると、全員の脳が「一つの大きな均一のプール」のようになり、個人の独自性(オリジナル)が消えてしまうと考え、絶望する。実際、笑い男事件では、孤立した個人(スタンドアローン)たちがネットにあるコピーされた情報の波に飲まれ、「笑い男」という記号を模倣するだけの存在になっていく。『S.A.C.』では最終回で、この難題に対する「ある解答」を草薙が提示するのだが、それは本編を見て、個人がスタンドアローンで判断することをオススメする。それが希望なのか絶望なのかは、簡単に答えが出せそうにない。
【関連情報】
『S.A.C.』最終回の26話は何十回も見直しているが、その度に新しい発見がある。

2026年の新作『攻殻機動隊』。サイエンスSARUさん制作。
Massive Attackの名作。ブリストルの人種の多様性の具象化ともいえる。
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