イェッセ・ミュルダーさんとの思い出 その3

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退学してからの僕たち

前回は最後で、現在の僕の仕事のことまで書いてしまったが、イェッセさんとの思い出を語るために、またドイツ留学時代にまで話を戻そうと思う。既に述べた様に、僕は、プリースターゼミナールの第五学期(ゼメスター)にそしてイェッセさんは第四学期に急激に体調を崩して司祭になる道を諦めた。イェッセさんが体調不良で第四学期の途中で退学した時、まさか僕が僅か四ヶ月後に同じような状況になるなんてことは考えてもみなかった。いや正確には、そんなことはとっくに「予感」していたけれども、見て見ぬふりをしていたのかも知れない。
2004年の春、恐らく五月の初旬くらいだと思うが、第五学期の有る朝に僕は目覚めると全く体が動かなくなっていた。別に金縛りとか全身不随とかではなく、単純に体が重くて動けないのだ。何とか立ち上がって歩いてみるも、階段の踊り場で休憩が必要なくらいに体力が奪われている。前の日に、フルマラソンを三回くらい走ったんじゃないかというくらいの疲労感だ。まあ単に「著しく疲れているだけ」だとも言えるので、数日も休めばスグに元気になるだろうと僕は鷹を括っていたが結局、あれから二十年経った今でも未だ完全には回復していない。
まず疑われたのは寝不足で、確かに当時の僕は睡眠時間を削って随分な無茶をしていた。次に言われたのが、司祭就任を前にしてのプレッシャーに押しつぶされたという、いわば「心理的原因」説だ。その次は小麦粉アレルギーを疑われ、最後は医者気取りの人にうつ病と「診断」された。正直なところ、僕にとって「診断名」などはどうでも良い。大切なことは、何をすれば状況が改善するかだ。
転機となったのは、プフォルツハイムのクラウス・ヴィルデ医師との出会いだ。彼は殆ど問診をすることなく、僅かな触診だけで「これは大惨事だ」と言ってくれた。詰まり彼は僕の病状を理解してくれたのだ。実際、著しく体調を崩すと分かるのだが、自分の病状を客観的に説明することは簡単では無い。それ以来「病院に行けるのは健康な人だけ」というのが僕の持論だ。何故なら本当に体が弱った人間には、病院へ行く体力すらも残されてはいないからだ。
結局、僕はプリースターゼミナールを退学して日本に帰ってからも、このヴィルデ医師の治療を受けるために度々ヨーロッパへ飛ぶことになる。そこでは主に、四つの目的が有った。第一は既に述べた通りで、その次に僕は2007年に四国アントロポゾフィークライスという組織を立ち上げて、その代表をやっていたことを言わねばならない。
詰まり四国の代表としてゲーテアヌムの総会に出席することが第二の目的だったのだ。そして第三の目的はミュンヒェン在住の吉田和彦さんに、第四の目的がオランダのイェッセ・ミュルダーさんに会いに行くことだった。
2009年、僕の二十八歳の誕生日にヴィルデ医師は脳卒中で倒れられ、ほどなくして診療所を畳んだ。僕は患者として娘さんのアストリッド・シュティルナー医師に引き継がれ、プフォルツハイムではなくベルリンに通うことになる。こうしてベルリン、ドルナッハ、ミュンヒェン、ユトレヒトの四都市を巡るヨーロッパ旅行は、コロナ禍が始まるまで、それから十年ほど断続的に繰り返されることになる。
こうして振り返ってみると、僕はイェッセに出会ってから彼とのコンタクトが途切れたことは一度も無かったことがよく分かる。言うまでもなく、それは彼にとっても同じだ。

イェッセさんはプリースターゼミナールを退学してすぐに、僕に何の断りも無くアンネという、何だか日記を書いていそうな女性との交際を始めていた(お察しの通り、彼女がイェッセの後の奥さんだ)。

そして既に述べた様に彼は、ユトレヒト大学の哲学科に入学し、2008年には学部を卒業している。そして10年には修士課程を、14年には博士課程も修了している。
さてイェッセが未だ学部生だった頃、僕は彼の学友で有るニールスを紹介された。彼は多分、僕たちの三つか四つくらい年下で、イェッセと同じユトレヒト大学で哲学を専攻していた。僕は「普通のオランダ人」に会いたいと希望を出して、ニールスは確か「日本人に会えるなら面白そうだ」みたいな流れで話をすることになったのだと思う。
それで壁全体にトイレットペーパーが飾られているという、いかにもオランダらしい、奇抜なデザインのカフェで何時間か話した。内容はよく憶えていないが確か当時、発売されたばかりの任天堂のWiiとか、日本のアニメの話をした様な気がする。
それでイェッセと家に帰って、「いや〜、僕は生まれた初めて普通のヨーロッパ人と会話をしたよ」と上機嫌で言うと、アンネは「ニールスが普通?まさか」と怪訝そうな顔をした。そういえば書き忘れていたが、僕は「普通」という言葉を「シュタイナー関係者ではない」という意味で使っていて、それでイェッセに発注をかけていたのだ。
言うまでもなく、ぼくはドイツでの留学時代も含めて、多くの海外の「普通」の人と様々な言語で話をしている。しかし、その殆どは旅先で道を訊いたり美術館で説明を聞いたりといったもので、「会話」と呼べる様なものでは無い。そもそも「会話」というのは自分の意図を相手に伝えたり、或いは相手の質問に的確に応えたりということではない。そこで重要なことは話されている「内容」ではなく、それを通してお互いのパーソナリティに深く「気づく」ことなのだ。
そういった意味で僕が日本語以外でちゃんとした「会話」をしたのが、振り返ってみると、ドイツ語だけで、しかもシュタイナーの関係者に限られている、ということに僕は或る日、突然気がついたのだ。それで僕は、こんな「狭い世界」を全てだと思っちゃいけないと一念発起し、ニールスと頑張って英語で会話をしたのだ。
因みに、このニールスは博士課程を終えるまでイェッセと一緒だった。そしてイェッセたちは、ここに更に二人の同期を加えて、「フォー・ドクターズ」という仲良しグループを結成していたのだが結局、この残りの二人の「普通」の人たちに僕は未だ出会えていないのは残念でならない。

民族固有の感受性、内と外の問題

そう言えば、こんなことも有った。オランダではタバコのパッケージの半分の面積を使って、喫煙の健康に対する悪影響を警告しなければならない、ということが法律で決められている。詳しくは画像を見て欲しいのだが、そのデザインにおける美的な感性の欠如と警告文の余りの頭の悪さに僕は、長らく苛立ちを覚えていた。そんな或る日、イェッセの学友がタバコを吸っていたのでふと見ると:
Roken kan dodelijk zijn.(喫煙は死の危険を伴う)
とパッケージに書かれていた。頭に血が昇った僕は「バカか!」と叫んで「タバコを吸っていたら『死ぬかも知れない』と言うのなら、横断歩道を渡っていても、車に轢かれて『死ぬかも知れない』」と続けた。温厚な日本人が急に怒り狂ったのを見て楽しくなったオランダ人たちは、それじゃあ折角だから他のパッケージも見てやろうということになった。そこで次に見つかったのが:
Rokers sterven jong.(喫煙者は若くして死ぬ)
という言葉で、今度はオランダ人が全員でゲラゲラと笑い始めた。何故ならば、僕が言ったことをこの構文に当て嵌めると:
Straatkruisers wie sterven jong.(道路を横断する者は若くして死ぬ)
と なってしまうからだ。こうして僕たちは、日常に潜む「死ぬかも知れない」状況を見つけては、この構文に当て嵌めて楽しんだ。例えば階段で足を滑らせて死んだ人がいるなら、階段には「階段を昇り降りする者は若くして死ぬ」と書かなければならないし、或いは料理を作っていて火の不始末で火事になって死んだらキッチンに「料理人は若くして死ぬ」と書いておくべきだろう。こんな下らない話で、僕たちは随分と盛り上がった。

画像クレジット

恐らく多くの読者は、この話の何が面白いのか全く理解できないで当惑していると思う。何故なら日本人と西洋人では「笑いのツボ」が全然違うからだ。僕の或る知人は英語の通訳をしているが、彼女は「英語を学ぶ上で一番苦労したのは、ジョークの面白さを分かることだ」と、事ある毎に言っていた。詰まり「語学の能力」には文法や発音の様な誰もが意識している問題と、それよりはずっと曖昧な「その民族に固有の感受性」とも呼べるものを、自分は共有しているのかという問題が有るのだ。
これは音楽に置き換えた方が分かり易いかも知れない。例えば、或る生徒が「ピアノが上手くなりたい」と望んでいるならば、そこでは少なくとも二つの階層を区別する必要が有る。第一に、鍵盤の上で自由に指を動かせるかという問題が有り、これは「テクニック」と呼ぶことが出来る。これに対して「どんな音を出したいかという問題は指を動かす前の段階なので、こちらの方が「奥」に有ると言える。
よって前者は「表面的な問題」であり、後者は一般に「音楽性」などと言われたりする。さて仮に、あなたがピアノの初心者だとしたら、先生の元で練習したいのは差し当たりテクニックの方ではないだろうか。そして「音楽性」なんて大それたものは、何年かレッスンに通って、ひととおりの曲が弾ける様になってからで充分だ、と後回しにするのではないかと思う。
その考え方は全く間違っていないのだが、ピアノの先生の方は、それとは正反対のことを考えている。詰まり、如何なるテクニックも、音楽性を抜きにして身に付けるべきではない、ということである。これを整理すると素人はテクニックから音楽性に「自ずと至る」と思っている。これに対してプロは、音楽性から出発しないと「テクニックには至れない」と考えているのだ。
この内と外の問題は、僕が前回とその前に述べた「縦軸と横軸の話」と少し似ているが、余り混同しない方がよい。また大雑把に言って、日本人は「外面を作り込んでいけば自ずと内面性は構成される」と漠然と考えているのに対して、西洋人は「内面の発露として外面は生じる」と思っている。

話したい相手、話し掛けてくれる相手がいないと言葉は上達しない

ずっと以前に、タレントの眞鍋かをりさんが、英語学習に関して非常に興味深いことを言っていた。彼女は格安の英語教室をネットで探していたら、インドネシア人とスカイプで会話するという教室を見つけて暫く楽しんでいたのだが、或る日にふと「壁」にぶつかったというのだ。それは何回かのレッスンを経て、或る程度まで英語を喋れる様になった段階で、この実生活では何の接点もないインドネシア人の男性と喋る「話題」が無くなってしまったというのだ。
これに対して例えば、ピアノ教室に通っている人で「私はピアノが上手くなりたいけど、弾きたい曲がひとつも無い」ということは有り得ない。
だからこそ語学学校の先生というのは、生徒が「喋らなければならない状況」を授業の中で意図的に作るのだが、格安のスカイプ英語教室の先生は、そこまでの準備はしていなかったのだろうと推測される。もっと身も蓋も無い言い方をするならば、このインドネシア人の男性は英語話者としては優秀なのかも知れないが、英語教師としては素人だったのだろう。
僕は第一回で、イェッセとの共通点は「言葉への興味」だと書いたと思う。だからイェッセは、こういう僕の「言葉の話」をいつも楽しそうにフムフムと聞いてくれていた。詰まり僕には「話したいこと」が山ほど有ったし、それは彼にとっては「聴きたいこと」だったのだ。
そしてピアノの練習をするのに「音を聴いてくれる人」は必ずしも必要ではないが、語学学習において「話を聞いてくれる人」は絶対的に必要である。よって外国語を学ぶ上で大切なのは良質な先生よりも、話の合う友人なのかも知れない。
これは縦軸と横軸の話だ。。

その4へつづく。。。

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