“助けて”という感情がわからなかった人たち」

【ドラマ分析/第6話・1回目読了】

第6話は、3話と同じくターニングポイントの回だと思う。
5話が「読了感」のある回だったとすれば、6話は、作品の底が一段落ちた回だった。

これまで描かれてきた無価値感は、創作、成功/失敗、比較、過去への執着の中にあった。
でも第6話では、それが一気に「生きるか死ぬか」の領域まで降りてくる。

この回のサブタイトルをつけるなら、

「“助けて”が言えなかった人たち」

あるいは、もっと正確には、

「“助けて”という感情がわからなかった人たち」

かもしれない。

ジンマンは、自殺行為をエスカレートさせていく。
死に近づくことでしか、自分の「助けて」を出せない。

ドンマンは、そんなジンマンを必死に死から戻そうとする。
あのシーンは、兄を救う場面であると同時に、ドンマン自身が「生きる側」に踏みとどまろうとする場面にも見えた。

ウナの闇も、ここで視聴者へ向けて具体化する。
彼女が大女優に捨てられた娘であることが確実になり、彼女のトラウマが形を持ちはじめる。

今までウナは、ドンマンを見ている側、受け止める側、観察する側に見えていた。
でも6話で、彼女自身もまた「見られなかった人」「捨てられた人」として開かれる。

さらに重要なのは、感情ウォッチの「未確定」が、ウナとドンマンにしか出ていないこと。

これは単なる恋愛の伏線というより、まずは

「自分の感情を自分で確定できない人間同士」

の接続に見える。

二人の「助けて」が一致していくことで、傷を舐め合うような感情と、恋愛感情が重なって見えてくる。
ただ、この重なり方は少し危うい。

大女優に捨てられた娘。
傷を持つ男女。
互いの「助けて」が重なる関係。
恋愛感情と救済感情の接近。

設定だけを見ると、韓国ドラマが陥りがちな陳腐さに流れる危険もある。

だから今後見たいのは、恋愛が「救済」になるのか、それとも人物の傷をさらに露出させる装置になるのか。

救われる方向に行けば、弱くなる。
でも、出会ったことで互いの傷がよりはっきり見えてしまうなら、この作品はまだ強い。

でも、ラストの、ウナがドンマンに抱きつくシーンも印象的だった。

あれはラブシーンではなく、「分かり合える人がいた」ことを確かめる抱擁に見えた。  
自分の中の「助けて」が、誰かに届いたかもしれない。  
その確認として、ウナはドンマンに抱きついたのだと思う。

そして、ドンマンが抱きしめ返さなかったのがいい。

もし彼がすぐ抱きしめ返していたら、場面は一気に恋愛の成立になってしまう。  
でも彼は抱きしめ返さない。  
受け止めてはいるけれど、応答はまだできない。

この非対称さが、6話の重さを保っていた。

ギョンセの傷も、この回で深まる。

初の連続ドラマが決まりながら、投資家から脚本家をつけるように指示される。
妻であり制作会社の社長兼プロデューサーでもあるヘジンからも、厳しく突かれる。

これはギョンセにとってかなり痛い。

彼は「売れた人」ではなく、「売れたことにしたい人」なのかもしれない。

デビュー作は評価された。
でもその核はドンマンの話だった。
最新作はこけた。
そして今、自分ひとりでは物語を支えられないと疑われている。

ドンマンは、自分の作品に自信がない。
ギョンセも、自分ひとりで作品を支えられる自信が揺らいでいる。

ドンマンは過去の作品に執着している。
ギョンセは、過去の成功作に呪われている。

ドンマンは「まだデビューできていない人」。
ギョンセは「デビュー作を超えられていない人」。

違う場所にいるようで、同じ地獄にいる。

第6話は、ドンマン、ジンマン、ウナ、ギョンセが、それぞれ別の場所で「助けて」に近づく回だった。
でも誰も、それをきれいには言えない。

だから重い。

この回は、物語が折り返すだけではなく、作品そのものの重心が変わる回だったと思う。

朝、もう一度見返すときは、字幕やセリフを中心に追ってみたい。
誰が、どこで、何を言えていないのか。
どの言葉が「助けて」の代わりになっているのか。
そして、ウナとドンマンの「未確定」が、恋愛ではなく傷の構造としてどう配置されているのか。


第6話は、1回目では重さを受け取る回。
2回目以降で、脚本の仕掛けを読む回になりそうだ。

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