『誰だって無価値な自分と闘っている』第7話で書き残したこと

救えるかどうかではなく、向かってしまうこと

『誰だって無価値な自分と闘っている』第7話で書き残したこと

第7話のレビューには書かなかったけれど、もうひとつ大事なことがあった。

ウナが、初めてドンマンに「助けて」と言えたこと。

第6話で私は、このドラマを「“助けて”という感情がわからなかった人たち」の回として見た。
ジンマンも、ドンマンも、ウナも、ギョンセも、それぞれ違う場所で助けを求めている。
でも誰も、それをきれいに言葉にできなかった。

その流れのあとで、第7話のラスト、ウナがドンマンに「助けて」と言う。

これはとても大きい。

ウナは、母には助けてと言えない。
自分を捨てた母オ・ジョンヒには、助けてではなく、軽蔑と怒りを向けるしかない。

「あなたは父も私も恥ずかしいから捨てたのでしょう」と、正面から突きつけるしかない。

本当は愛されたかった。
でも愛されなかった。
だから、愛してほしかった人を軽蔑しなければ、自分が立っていられない。

そのウナが、ドンマンには「助けて」と言えた。

なぜドンマンなのか。

たぶん、ドンマンが強い人だからではない。
正しく助けてくれる人だからでもない。
完成された人だからでもない。

むしろ逆だと思う。

ドンマンもまた、自分の価値を確定できない人だから。
何者でもない自分と闘い続けている人だから。
感情が未確定のまま、身体や言葉や過食に漏れてしまう人だから。

ウナは、完成された人には助けてと言えない。
でも、同じように未確定の場所にいるドンマンには言えた。

そしてドンマンは向かう。

助けられるかどうかは分からない。
自分に何ができるのかも分からない。
力があるわけでもない。
何かを解決できる保証もない。

それでも、呼ばれたら向かってしまう。

そこが「恋」なのだと思った。

このドラマにおける恋は、甘い救済ではない。
相手を救える自信があるから行くのではない。
救えないかもしれないのに、呼ばれたら身体が動いてしまうこと。

ドンマンは第7話で、みんなの前で「僕はウナ様が好きなんだけど」と言った。
それも大きかった。

でも、言葉で好きと言うことと、ラストでウナの「助けて」に向かうことは、また違う。

前者は、感情を人前で言葉にしたこと。
後者は、その感情に身体が反応したこと。

ここで初めて、ドンマンの「好き」が行動になる。

ドンマンはこれまで、自分のことで精一杯だった。
自分の作品。
自分の失敗。
自分の過去。
自分の価値。
自分の恥。

でもウナに「助けて」と言われた瞬間、彼は自分の価値を証明するためではなく、ただ彼女の方へ向かう。

それは、ドンマンにとってかなり大きな変化に見えた。

ただし、ここにも危うさはある。

恋愛が救済になってしまえば、このドラマは弱くなる。
ウナがドンマンによって救われ、ドンマンがウナによって価値を得るだけなら、かなり見慣れた物語になってしまう。

でも第7話のラストは、まだそうではなかったと思う。

ドンマンは、ウナを救える人として向かうのではない。
救えるかどうか分からないまま、向かってしまう。

ウナも、救ってもらえると確信してドンマンを呼ぶのではない。
ただ初めて、自分の「助けて」を彼に向けることができた。

この不確かさが、よかった。

第8話を見る前に、このことを書き残しておきたい。

第7話は、「誰が、誰の価値を決めるのか」という回だった。
でも同時に、ウナが初めて「助けて」と言い、ドンマンがその声に向かってしまう回でもあった。

救えるかどうかではなく、向かってしまうこと。
その危うくて不確かな反応が、このドラマの恋なのかもしれない。

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