誰だって無価値な自分と闘っている 第9話・読了メモ ラストへの助走で序奏
# ラストへの助走、そして序奏
## 『誰だって無価値な自分と闘っている』第9話・読了メモ
第9話を3回観た。
正直、頭がごちゃごちゃしている。
それくらい情報量が多い回だった。
ただ、このごちゃごちゃは散らかっているのではなく、終盤へ向けて、これまで別々に見えていた関係が一斉に動き出したことによるものだと思う。
第9話は、ラストへの助走であり、序奏のような回だった。
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ドンマンは、映画監督デビューに向けて変わりつつある。
これは彼にとって、人生が変わる瞬間だと思う。
今まで「何者でもない」と言われ、外から批評し、過去にしがみつき、不安を身体に出していたドンマンが、ついに自分の作品を現実に晒される場所へ向かっている。
だからドンマンだけは、少し別枠で見ていい気がする。
彼は今、ヘジンにリングへ上げられた人だ。
勝つかどうかではなく、打ち負かされる可能性も含めて、現実の場に立たされようとしている。
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一方で、第9話で大きく気になったのは女性たちの動きだった。
特にウナ。
ウナは、実母オ・ジョンヒのお金で、血のつながらない義祖母の膝を治療する。
さらに義母に電話をして、「お金はあるから大丈夫」と伝える。
ここがとても大きい。
ジョンヒのお金は、母性というより、罪悪感と管理の金だったように見える。
娘として迎えるのではなく、自分が恥ずかしくないように、ウナの生活を整えようとする金。
でもウナは、そのお金を自分の生活の格上げには使わない。
血のつながらない義祖母の身体を治すために使う。
つまり、実母から渡された冷たいお金を、自分が本当に家族として扱われてきた場所へ流している。
母から渡された「恥の金」を、ウナが自分の倫理で使い直しているように見えた。
ウナはジョンヒの娘として回収されるのではない。
ジョンヒのお金を使いながらも、自分が守りたい家族を選んでいる。
ここに、ウナの強さがある。
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ミランも気になった。
共演者に恋をした後を、まだ引きずっている。
これは単なる恋愛の未練ではなく、女優という仕事の中で生まれた感情が、仕事が終わったあとも身体に残ってしまうことのように見えた。
ミランは、血のつながらない娘として大女優のそばに置かれている。
そして同時に、女優として誰かに見られ、誰かを好きになり、その感情を引きずる人でもある。
ウナが「見えない場所に置かれた娘」なら、ミランは「見える場所に置かれている娘」だと思う。
でも、見える場所にいるからといって、自由なわけではない。
この二人の対比も、まだまだ動きそうだ。
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ギョンセも動いている。
共作の若い脚本家とさらに仲良くなっていく。
当然、ヘジンの心中は穏やかではないはずだ。
ただ、ギョンセにとっては、これは悪いことばかりではないのかもしれない。
彼の女性像は、ほとんどヘジンしかなかったのではないかと思う。
ヘジンは妻であり、制作会社の社長であり、プロデューサーであり、ギョンセの20年を知っている人だ。
彼の才能も、虚勢も、小ささも、過去の傷も、すべて見抜いている。
だからギョンセにとってヘジンは、愛する人であると同時に、自分を最も厳しく見る人でもある。
そこに、若い共作脚本家が現れる。
彼女は、ギョンセの20年を知らない。
ドンマンとの過去も、デビュー作の傷も、酷評の積み重ねも、夫婦の情けなさも、まだすべては知らない。
だからギョンセは、そこで少し息ができるのかもしれない。
過去を知らない目に、「監督」としてもう一度見られること。
それは彼にとって甘い。
でも、これが成長になるのか、逃避になるのかはまだ分からない。
ギョンセが若い脚本家を「自分を承認してくれる相手」として消費するなら、また彼は小さくなる。
でも、本当に共作者として向き合えるなら、ヘジン以外の他者と作品を作る機会になる。
ここはかなり注視したい。
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第9話は、誰かが何かを受け取り、それをどう使うのかが問われる回だったように思う。
ウナは、実母のお金を、血のつながらない家族の身体のために使う。
ミランは、仕事の中で生まれた感情を引きずっている。
ギョンセは、若い共作者から新しいまなざしを受け取りかけている。
ヘジンは、それを妻としてもプロデューサーとしても見ている。
ドンマンは、デビューという人生が変わる場所へ向かっている。
いろんな関係が、大きく蠢き始めた。
だから第9話は、整理される回ではない。
むしろ、終盤に向けて、人物たちの感情と選択が一気に動き出す回だった。
あと3話。
誰がどこへ着地するのか。
誰が自分の価値をどこに見つけるのか。
誰が誰から受け取ったものを、どう使うのか。
ここから本当に、ラストへ向かっていくのだと思う。
