どうにかできなくても、止める努力はする人『誰だって無価値な自分と闘っている』ドンマン中間報告

どうにかできなくても、止める努力はする人

『誰だって無価値な自分と闘っている』ドンマン中間報告

ドンマンについては、最終話まで観てから、きちんと人物論を書きたいと思っている。

彼はこのドラマの中心にいる人だから、途中で結論を出すのはまだ早い。
ただ、第9話まで来て、少し見えてきたことがある。

ドンマンは、強い人ではない。
でも、どうにかできなくても、止める努力はする人なのだと思う。


ドンマンは、ずっと「何者でもない」と言われる側にいた。

映画監督としてデビューできない。
自分の作品に自信が持てない。
過去に書いた作品にしがみついている。
不安になると過食する。
言葉で自分を守ろうとする。
恋愛も拗らせる。
お金の判断も危うい。

彼は、かっこいい人ではない。
むしろ、かなりみっともない。

でも、彼には一貫しているものがある。

目の前で何かが壊れそうになると、放っておけない。

猫が交通事故に遭った時、ドンマンは手術費を闇金から借りた。
それは無計画で、危うくて、結果的に彼自身を追い詰める行動でもある。

でも、そこにあったのは、助けられるかもしれない命を見捨てられないという反応だった。

ジンマンに対してもそうだ。

ドンマンは、壊れてしまった兄をずっと見てきた。
詩を書かなくなり、死に近づいていく兄を、完全には救えない。
兄の痛みを消すこともできない。

でも、そばにいる。
止めようとする。
呼び戻そうとする。
死の側へ行かせないようにする。

ドンマンは、兄を守ってきた人でもある。

そしてウナが「助けて」と言った時も、彼は向かった。

助けられる保証はない。
自分に何ができるかも分からない。
結局、最後まで行けたわけでもない。

それでも、呼ばれたら向かってしまう。

ここに、ドンマンの弱さと強さが同時にある。


ドンマンは、問題を解決できる人ではない。

猫を助けたことで、自分は借金に追われる。
ジンマンを救い切れるわけではない。
ウナの「助けて」にも、完璧には応えられない。

でも、何もしないではいられない。

どうにもできないかもしれない。
でも止めようとはする。
救えないかもしれない。
でも見捨てない。

それが、ドンマンの根っこにあるのだと思う。

だから、ウナの言葉が大きかった。

ドンマンが「どうしていつも良くしてくれるんですか?」と尋ねた時、ウナは言う。

「だって、そうする価値がある人だから」

これは、ドンマンにとってかなり大きな言葉だったと思う。

ウナは、ドンマンに「成功する価値がある」と言ったわけではない。
「才能がある」と保証したわけでもない。
「映画監督になれる」と励ましたわけでもない。

ただ、彼にはそうされる価値があると言った。

何者でもなくても。
デビューしていなくても。
みっともなくても。
拗れていても。
それでも、あなたは大切に扱われる価値がある人だと。

ドンマンがずっと欲しかったのは、才能の保証よりも、その感覚だったのかもしれない。

自分は、見捨てられなくてもいい人間なのだ。
自分は、良くされてもいい人間なのだ。
自分は、戦う価値のある人間なのだ。

そこに、彼は触れたのだと思う。


第9話で、ドンマンは「戦う」ことを選べる男になり始めたように見えた。

これまでの彼は、傷ついていた。
悔しがっていた。
怒ってもいた。
でもそれは、まだ戦いではなかった。

食べる。
しゃべる。
批評する。
拗ねる。
逃げる。
過去にしがみつく。

それは反応ではあっても、選択ではなかった。

でも第9話で、彼は自分の中にある「強さ」を見つけ、それを使う方向へ動き始めた。

その強さは、勝つための強さではない。
誰かを圧倒する強さでもない。
自分をきれいに証明する強さでもない。

どうにもできないかもしれない場所へ、それでも向かう強さ。
壊れそうなものの前で、何もしないではいられない強さ。
傷つくことが怖くても、そこから逃げきらない強さ。

それが、ドンマンの強さなのだと思う。


彼が傷つくことを怖がってきた理由も、少し見えてきた。

ドンマンは、ジンマンを見ている。

壊れてしまった兄。
詩を書いていた人。
でも、自分の娘がいなくなった時に「いい詩が書けてうれしい」と感じてしまった自分を許せなくなり、詩から降りた人。

ドンマンにとって創作とは、夢を叶える場所であると同時に、人間が壊れるかもしれない場所でもあるのだと思う。

作品を出して評価されないのが怖い。
才能がないと分かるのが怖い。
人の痛みを作品にしてしまう自分が怖い。
自分の痛みさえ作品にして、それが良いものになってしまった時の自分が怖い。

兄が、その怖さを先に見せている。

だから、ドンマンが最後まで行けなかったのは、ただ甘えていたからではないのかもしれない。
最後まで行った先で、自分も壊れるかもしれないことを、どこかで知っていた。

それでも第9話で、彼は少し変わった。

自分には戦う価値がある。
自分には傷つく場所へ出ていく価値がある。
そう思い始めたのかもしれない。


ドンマンのシナリオにも、それは反映されそうな気がする。

彼は今、悪を書いているように見える。
でも本当に書こうとしているのは、悪そのものではなく、その悪に対して人間が持ちうる「強さ」なのだと思う。

悪とは、人から価値を奪うもの。
人を恥として扱うもの。
誰かの痛みを素材として消費するもの。
何者でもないと決めつけるもの。
最後まで行く前に諦めさせるもの。

そこに対して、ドンマンが描くべき強さは、勝つ強さではない。

どうにもできないかもしれない。
助けられないかもしれない。
自分も傷つくかもしれない。

それでも止めようとする。
それでも向かう。
それでも見捨てない。

その強さなのだと思う。

以前のドンマンの作品は、設定としては戦っていた。
でも、主人公が本当には戦っていなかった。

今のドンマンなら、少し違うものを書けるかもしれない。

戦うとは、強い人間が勝ちに行くことではない。
自分にもそうする価値があると信じて、傷つく場所へ出ていくこと。

第9話のドンマンは、そこに触れたように見えた。


これはまだ中間報告である。

ドンマンが本当に最後まで行けるのかは、まだ分からない。
映画監督としてデビューできるのか。
作品を完成させられるのか。
ウナとの関係をどう受け止めるのか。
兄ジンマンの痛みとどう向き合うのか。
ギョンセとの関係をどう処理するのか。

まだ分からないことは多い。

でも第9話まで来て、ひとつだけ見えてきた。

ドンマンは、解決できる人ではない。
でも、止めようとする人だ。

救える人ではない。
でも、見捨てない人だ。

勝てる人ではない。
でも、戦うことを選び始めた人だ。

その不格好な強さが、彼の作品にも入っていくのだと思う。

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