ク・ギョファンが言っているような字幕が欲しい

『誰だって無価値な自分と戦っている』EP3「ヒョン、ネリョワ」が本編字幕で取りこぼされたもの

『誰だって無価値な自分と戦っている』EP3には、字幕の仕事とは何かを考えさせる場面がある。

ジンマンが風呂場で、自分を終わらせてしまいそうになるあの場面だ。
それを察したドンマンが兄を止める。
韓国語では、「ヒョン、ネリョワ」
本編字幕は、「兄さん、降りて」

意味は合っている。
状況説明としても間違っていない。
でも、私はこの字幕では足りないと思った。

なぜなら、あの場面でドンマンがやっていることは、単なる行為の指示ではないからだ。

「降りて」ではなく、「戻ってきて」に近い

あの場面でいちばん重要なのは、ドンマンが兄をただ見上げているのではなく、手をつなぎながら声をかけていることだと思う。

もし距離を取ったまま叫んでいるなら、「兄さん、降りて」でもいい。
けれど実際には、彼は兄を身体でつなぎ止めながら言う。
そのときの「ネリョワ」は、命令や指示というより、もっと切実な呼び戻しに近い。

ただ「そこから降りて」ではない。
「こっちへ戻ってきて」
「まだ離れないで」
「まだこっちにいて」

そういう温度が入っている。

だから私は、あそこは 「兄貴、降りておいでよ」 の方が近いと思っている。

本編字幕は、意味は合っていても温度を落としている

本編字幕の「兄さん、降りて」は、意味字幕としては成立している。
だが、成立していることと、人物の口から自然に出ていることは別だ。

「降りて」は、移動の指示としては正しい。
しかし、あの場面のドンマンは、兄に動作を命じているのではない。
兄の絶望を身体で察し、追い詰めず、でも必死に、生の側へ引き戻そうとしている。

そこには、単なる制止以上のものがある。
ところが「兄さん、降りて」は、その複雑な声を平たくしてしまう。

しかも、「兄さん」も少し整いすぎている。
安全で、きれいで、字幕としては無難だ。
でも、あの切迫の中でドンマンの身体から出る声としては、私は 「兄貴」 の方が近いと感じる。

そして「降りて」より 「降りておいでよ」 の方が、命令ではなく呼びかけになる。
相手を責めず、でも放さず、こちらへ呼ぶ声になる。

本編字幕がやっているのは、意味の処理だ。
私が欲しいのは、声の処理である。

字幕は、台詞の意味だけを運べばいいわけではない

字幕は、韓国語を日本語に置き換える作業ではない。
少なくとも、私にとってはそうではない。

誰が言うのか。
どんな身体で言うのか。
相手との距離はどうか。
その声は、喉から出ているのか、腹から出ているのか。
制止なのか、懇願なのか、抱き止めながらの呼び戻しなのか。

そこまで含めて、字幕は決まる。

意味だけが正しくても、その人物が本当にそう言っているように聞こえなければ、私は足りないと思う。
逆に、少し言葉を動かしてでも、その人の口から自然に出る日本語になるなら、そちらを取る。

字幕は情報ではなく、人物の呼吸を運ぶものだと思う。

私が欲しいのは「意味字幕」ではなく「身体字幕」だ

この場面であらためてはっきりした。
私が欲しいのは、意味が合っているだけの字幕ではない。

ク・ギョファンが言っているように聞こえる字幕だ。

ただ正しいだけの日本語ではなく、
その人の身体から、その人の関係性から、その場の呼吸から発生しているように聞こえる日本語。
相手の絶望を受け止めながら、生の側へ呼び戻す声として立つ字幕。

私は、そういう字幕が欲しい。
たぶん、そういう字幕を作りたいのだと思う。

だからEP3のあの場面で、本編字幕の「兄さん、降りて」には違和感が残った。
意味はある。
でも、ク・ギョファンの声が、そこにはまだいない。
字幕の仕事は、意味を渡すことではなく、その人の声を別の言語で再び発生させることだ。と私は思っている。

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