定年の国で生まれた老害論
ガラパゴス人事の産物
日本ではいつの時代にも「老害」が語られる。年を重ねた人が変化を拒み、若者を抑えつける――そんなイメージを一言で切り捨てる便利なレッテルとして。しかし、この「老害」批判こそが、実は老害を延命させている。
欧州連合(EU)では「年齢差別禁止指令」により、雇用における年齢差別を明確に禁じている。基準は「何歳か」ではなく「何ができるか」だ。アメリカでも「随意雇用(at-will employment)」が原則であり、ホワイトカラーに法的な解雇規制はほとんど存在しない。そこでは年齢を盾に居座る仕組みも、年齢を理由に排除する仕組みも、どちらも力を持たない。むしろアメリカでは「雇用における年齢差別禁止法(Age Discrimination in Employment Act, 1967)」が定められ、40歳以上の労働者を年齢理由で解雇することは禁止されている。
象徴的なのは日本語の「定年」という概念だ。意味通りに英訳すれば mandatory retirement age だが、この言葉はアメリカではほとんど通用しない。アメリカ社会には「一定年齢に達したら一律に退職しなければならない」という制度が、商業航空パイロットや一部の法執行官など、ごく限られた職種を除き存在しないからだ。
英語で単に retirement age (退職年齢)と言えば、多くの場合は「年金を受け取り始めて人々が仕事を辞める平均的な年齢」を指す。つまり社会保障上の区切りであって、会社が強制的に従業員を辞めさせる仕組みではない。ここに日本語の「定年」との決定的な違いがある。
この違いを鮮やかに示す存在が、ファッション界の著名人アナ・ウィンター(映画「プラダを着た悪魔」のモデルだと噂されている敏腕編集長)だ。僕は長年、出版業界の片隅にいたから、どうしてもこの例を引きたくなる。彼女の最終学歴は高校中退だが、33歳で米国版「ヴォーグ」のクリエイティブ・ディレクターに抜擢され、36歳で英国版「ヴォーグ」編集長、39歳でアメリカ版「ヴォーグ」編集長に就任する。編集長就任前にはすでに役員に名を連ねていて、退任したのは74歳だった。日本の有力出版社では、まずこんなことは起こらない。年齢ではなく適性と意欲によって人材が配置される仕組みそのものが乏しいからだ。日本であれば、どんなに優秀な編集長であっても、就任して数年が経過すると、「そろそろ後進に道を譲る時期だ」などと言って自ら退任するのが潔いとされる。周囲の予想を超えてポストにとどまろうとすると、「下が詰まっているのに」と陰口を叩かれて、老害認定される。
僕は能力主義という言葉は好きではない。感じ悪いからだ。でも、能力主義よりも年功の方が圧倒的に支配的な労働環境では、そりゃー、その組織は衰退するよなという気持ちになる。それが、今の日本だとも思う。
この国では「老害」という言葉を掲げる識者らしき人々が、若者の代弁者を気取って発言を繰り返している。だが、老害批判そのものが「定年」という仕組みを前提にしている。結局それは、先進国では例外的なガラパゴス人事=日本型雇用を肯定しているにすぎない。
「老害論」は社会を前に進める力にならない。現状の世界標準から大きくかけ離れた労働システムを、当たり前のものとして受け入れる姿勢を助長するのだから。
さらに皮肉なことに――「老害論」を聞いていちばん嬉しそうに頷いているのは、ほかならぬ老人たちだ。「老害論」は、彼らに「自虐ネタ」というお笑いのツールを与えるくらいの意味しかない。
