六月の雨
水辺でいきる生きものが梅雨を悦ぶように、あなたのオニキスのような黒い眸が湿っている。新緑にすら回復のきっかけをのがしたわたしは、毎日洗髪をし、先週変えたシャンプー、その新しいシャンプーの香りが、日に日に濃くなって髪に沁みてきてしまう。曇って圧してくる空のしたでも、あなたといると希望ができるから不思議だった。雲母が刺してくる音のない騒ぎ、わたしを綺麗だと見せかけておき、あとあとに前よりもっと失望させるのは決まってる。鏡に反射する光で、わたしはアンバーのような眸にだってなれるのに。
日々の入浴は清潔のプール、最低限で、ぜったいの手続き、25メートルまではよかったけど、わたしはターンして50メートルも無理で、バタフライも水をがぶがぶ呑んでしまって無理だった。そんなにむずかしいこととはいかずとも、わたしは毎日の最低限のぜったいの清潔の手続きに泳ぎ疲れる。自転車から転げ落ちて少し深く怪我をした膝の絆創膏を剥がして、清潔なシャワーを浴びて、清潔な手でこすって、清潔なタオルでよく押さえなくてはならない。そして清潔な新しい絆創膏を貼る。破れやすい、簡単にからだごとつぶせられる雨がえる、わたしのからだも雨がえるの相同器官とひびかう、不思議な雨粒の響き。初夏のあとの、慰めの前触れのような、六月の雨。
なにも慰めにはならなかった。あなただけがわたしの慰めである気がしていたから。あなたは小旅行が好きで、文庫本の買い方が上手で、いつも持ちものを綺麗に使っていた。わたしの重くて分厚いハードカバーはその日が雨でなくてもボトルドウォーターの結露でいつもくたくたになった。わたしは初めて来る場所に来るとあたりを度々見回して、自分が案外座れそうな場所をなるべく探す。すでにあなたは初めからそこにいたように、落ち着く場所に腰掛けていた。外では雨が湿っている。雨の粒がもともと水であるのに、それ自体がなにかによって湿っているような趣きがある。あなたは心の傍で雨の降る音を聴いている。店の音楽まで静けさになって、わたしはあなたの心臓の音まで聞こえてしまうのではないかと恐る恐ると聳だてている。どうしてそんなことが慰めにならなかったのか、わたしは今でもそれが分からなくて、なんべん考えても、きっと梅雨に籠った心の重たさのせいなのだろうと至っている。幼かった頃から梅雨を見上げると、不貞腐れて、不届きもので、なんにも救ってもらえないような湿った感じがしていたから。
わたしはあなたと目を合わせたことが一度もなかった。ただあなたがなにかを見つめる眼差しをしているときに、あなたの眸をじっと見ていた。そしてあなたの眸の具合を毎回発見した。わたしはあなたのことが好きなのだと思った。
わたしもあなたもいくらか大きめの傘を差していた。上手く雨はよけれても、上着の肩やかばんの端は濡れてしまう始末だった。そんなことは分かっているのに、わたしはこの際になってぜったいに完璧に雨をよけて帰れる可能性を考えて、絶望に近い気持ちを感じていた。それが、あなたが、なにも話したりしてはくれないせいに違いなかったと、ワンルームの鍵を鍵穴に差し込むときに気づくのだった。
