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田んぼって、エモいよね。

皆さんのお住まいの地域に、田んぼはあるだろうか?
私が住む奈良県北西部は、今まさに田植えのシーズンである。
昨日も息子さんと出かけるために車を走らせると、目の端にとらえた田んぼの上では農家の方が田植え機をゆっくり走らせていた。
綺麗だね~と息子さんに話しかける。うん、と返してくれるが、彼が本当に綺麗だと感じたかはわからない。むしろ、私の言葉によって「これが綺麗というものなのか」と、"理解"したのかもしれない。
田んぼを見ると「綺麗」と同時に「懐かしい」という気持ちがこみ上げてくる。私にとって田んぼが懐かしいと感じる理由は、奈良で生まれ育った以外にもある。母方の祖母は石川県で農家をしていた。田んぼや畑を所有していた祖母。盆休みに帰省すると、まだ緑の稲穂を横に、なすやキュウリの収穫を手伝ったものだ。
おそらく多くの人が田んぼが並ぶ景色を見て、「懐かしい」と感じるのではないだろうか。それほど特別な体験などなくとも。

しかし、というか実は、関東平野に田んぼはあまりない。
というのも、関東平野は富士山の火山灰が風化した土層、関東ローム層というやつで厚く覆われている。火山灰からなる土層は水はけがよい。水を蓄えておく必要のある田んぼには適さず、畑作に向いている土だ。だから、関東に田んぼは少ない。
自身の経験に基づかない「懐かしい」という気持ち。これは、平成以降に生まれた人がいわゆる「昭和レトロ」を見て感じるものに似ていると思う。平成2年生まれの私は、黒電話で電話をかけたことなどないし、昔ながらの商店よりもコンビニの方が子供の頃からなじみ深い。でも、そういうものを見て懐かしいな、となぜか思う。
今では「昭和レトロ」を見ると生まれるこういった感情を、「エモい」と呼ぶのだったか。エモーショナル。emotional。
ならば、私が田んぼを見て感じる感情もまた、「エモい」と呼べるものなのだろうか。
田んぼって、エモいよね。
こういわれるのが当たり前になり、瞬く間に死語になるのかもしれない。

昼食のためマクドナルドに寄った。ドライブスルーも備えた店舗だったが、店内で食べたいと言うので車を駐車場に止める。
食事を楽しんでいると雨が降ったが、店を出るころには止んでいた。
雨、あがったね。そう息子に語りかけると、
「じゃあ、やまがきれいにみえるね」
と返してきた。
雨が降ると空気が澄んで、山が綺麗に見える、という話は、以前、雨上がりの道を車で走った時に私が息子に言った言葉だ。

人の感情は、人によって与えられる。誰かが名付けた感情を、私たちは共有し、自分の経験のように語ることができる。
この共感性に、人類への希望を見いだしたくなる、など。

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