口当たりのよい言葉。耳当たりのよい言葉。
私がコラムを毎日書くようになって、生活がどう変わったか。
さとゆみライティングゼミのワークで、そう聞かれた私は
ネタを探すようになって生活の解像度が上がり、暮らしに彩りが増えた。
と答えた。
お、我ながらよいこと言ったな、なんてちょっとホクホク気分。
だったのだが。
ゼミ主催の佐藤友美(さとゆみ)さんにこうぶった斬られた。
とっても言いやすいし、分かるんだけど、分かるようで分からないんだよね。
確かに、なんかわかりそうで、わからない。
そう、「解像度」も「彩り」も、抽象度が高すぎるのである。
この言葉を語るには、具体的なエピソードが足りていない。
たとえば、
「この間スーパーで『ワイナリーにしかないワイン』というコピーのワインが売っていて、そこを出発点にしてコラムを1本書いた」
「子どもとハンバーガーを食べながら、相手の好みの味に合わせてあげることも愛情だよな、と気づいてコラムを書いた」
といったエピソード。
些細な出来事を、注意深く観察することが増えたという具体的な話。
「解像度」だ「彩り」だと言う前に、私にしか話せない個別具体的なエピソードを語るべきだったのだ。
さとゆみさんはこうも言った。
大きな言葉を使う時っていうのは、耳当たりがいいから使うんじゃなくて、その証拠を出してほしい。
こんなエピソードがあって、こんなエピソードがあって、こんなエピソードもある人なんですよって書く。
そうやって、たとえば「人生自分で切り開いてる人なんだな」っていう感想を、読者に持ってもらうっていうのが、本当は1番いい。
すごいいい文章っていうのは、その言葉を自分で書くんじゃなくて、読者に感じさせる文章ですね。
もう完全に見透かされている気分だ。
私が感じたホクホク感は、口当たりがよい言葉をスラスラ言えたこと、耳当たりのよい言葉を耳から感じられたことによる、ただの自己陶酔ではないか。恥。
よく考えてみると、私が好んで読んでいるビジネス文章は、そうできていた。
週刊誌『AERA』の連載取材企画『現代の肖像』だ。
3ヵ月~半年以上をかけた徹底した取材に裏付けられた文章は、具体的なエピソードのオンパレードである。
そして読後、私は取材対象の方に対してあれやこれやと感じ、考える。
この「感じる」、「考える」は読者側のものであり、書き手側が根拠もなく勝手に書いていいものではないのだ。
私がライターとして、取材で知らなければいけないことが、少しずつ分かってきた気がする。
私が伝えなければいけない言葉は、耳当たりや口当たりのよいツルツルで滑らかな言葉ではない。
もっと具体的でざらざらして、ゴツゴツとした、生の言葉だ。
わかった気だけで済ませてはいけない。実践しなければ。
大人の学びはアウトプット、というのもさとゆみさんの言葉である。
この後の講座も楽しみで仕方がない。
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