南田洋子をめぐる噂と真実
南田洋子と家族にまつわる真偽整理
伯母の南田洋子と長門裕之とについては、いまだに嘘や誤解が多く出回っている。
数少ない身内として本当のことを記録しておく必要があると感じた。
ここでは、公開情報と噂を整理し、事実関係を明確にしておく。

南田 洋子(みなみだ ようこ)
本名:加藤 洋子(かとう ようこ) 旧姓:北田
1933年3月1日 東京府東京市芝区三田生まれ
身長155cm
文化学院文学科卒業
デビュー
1951年、大映ニューフェースとして入社
映画デビュー作は『美女と盗賊』など
代表作
『十代の性典』『太陽の季節』『幕末太陽傳』など
配偶者
俳優・長門裕之(1961年結婚)
活動期間
1950年代〜2006年(芸能活動停止)
2009年10月21日 くも膜下出血で死去(享年76)

(南田にこどもはいない)
受賞歴
1963年 ブルーリボン賞助演女優賞 ほか多数受賞
世に出回るコメントや記事を元に、私のコメントを書き残してみる。

結婚・夫婦像
「南田洋子と長門裕之の結婚生活は本当に幸せだった?」
→長門は好き放題生きていられたが、南田は長門の抑圧で相当に我慢を重ねていた。
長門は内弁慶で親族のお山の大将。
南田はその尻拭いと様々なイメージアップに勤めまくっていた。
実生活では仕事がない時には二人一緒にはいたし、別居とかは全く微塵も話しが出ないくらいには「夫婦」関係の安定はあった。
だが、幸せという状態では決してないと私からは見えていた。
「おしどり夫婦イメージは作られたもの?」
→作る設定にせざるを得なかった。
「南田洋子と長門裕之の別居説・不仲説は本当?」
→ない。
不仲というか、長門が南田を愛してはいなかった。
「利用した」が正解。
これは南田の死ぬ時までずっとそう。

財産・お金の話
「南田洋子の豪邸の場所はどこ?」
→赤堤3丁目。
有名な話だと思う。
昔の映画制作での借金が尾を引き、最後は豪邸を売り払ってマンションを建てた。
「遺産相続で親族トラブルはあった?」
→極ほんのわずかな遺産があった。
長門は理不尽にも財産放棄を私に突きつけてきたが当然突っぱねて正当な権利を行使した。
長門は南田の財産を管理してからは(認知の症状が進んでから)自分の財産の如く使い、最後、南田の葬儀代までも使ったのである。
世に伝わる美談は本当に全て嘘。
スキャンダル・暴露
「暴露本『洋子へ』で語られた女性遍歴は本当?」
→事実が多いと他本面関係者からの声が多い
「酒・ギャンブル・浪費癖の噂は?」
→酒は飲めない。
かつては飲めたらしいが一世風靡していた全盛期に病気を患い飲めなくなったと本人が言っていた。
ほぼ下戸。
ギャンブルは大好き、かつ天才。
特に競馬の才能が凄まじかった。
馬主の賞金で何度も乗り切ったことを聞いている。
麻雀も強かった。
後ろから見ていると本当に信じられないヒキがある。
明らかに大いなる力が働いていたかのような奇跡のツモが多かった。
浪費癖はない、長門はひどかった。

晩年・認知症
「認知症はなぜ発症した?原因や時期は?」
→元々40代くらいから怪しかった。
私が高校生くらいの頃から「あれ?」ということが出始めていた?
辻褄の合わない会話、妄想、記憶が増えてしまうことも。
原因も何もない。
確実にアルツハイマー型認知症の様子は50代くらいから兆候があった。
長門からの抑圧がかなりあったことも大きな原因の一つ。
私が長門に、南田がアルツハイマーの可能性が高いから受診させた方が良いと、身内の切実な気持ちで訴えたが、長門は「アルツハイマー」の言葉に激怒し、私を完全拒絶した。
もしも、私のいうことを長門がきちんと受け止めていたらあのような惨劇とも言えるドキュメンタリーは無かったと今でも後悔している。
南田の寿命は長門が縮めたと断言できる。
それくらい長門は病に関して無知すぎた。
「番組で流れた認知症映像はやらせだった?」
→やらせではなく本物。
既にその時私は他県にいたので、会う機会が激減していた。
なお、例の番組は隠しカメラで撮影されていたので、100%本物。
「介護記録『待ってくれ、洋子』はどこまで事実?」
→ちゃんと読んでないのでコメントは控える
長門の性格を考えれば嘘ばかりだろうと
何十年好き勝手やったくせに、最後の数年で美談にしようとするのは本当に汚い。
最期とその後
「最期(死因・亡くなる直前の様子)は?」
→最期は病院にいて、意識はほぼ無かった。
戦時中の注射が原因らしく、C型肝炎を元々持っていた。
肝炎が進み、最後は肝性脳症で入院していた。
最期はほんの一瞬だけ間に合わなかった。
「葬儀やお別れ会の参列者・夫の挨拶は?」
→参列者は長門のセレクト。
葬儀をイベントにしたのも長門。
でも葬儀代は南田の遺産から。
長門はそう言う男だった。
萬田久子や内田裕也など、何のつながりがあったのかと疑問に思う人物がインタビューおよび参列者に。
「長門裕之は死後どんなコメントを出した?」
→差し障りのないコメントだけ。
芸能界・裏話
「南田洋子と仲良かった芸能人・不仲だった芸能人」
→まず、そもそも友達はいなかった。
本当にほとんどいない。だから、仕事のない時にはほぼ私が一緒に居たと言って良いくらいだったのだ。
仲が良かったのは浅丘ルリ子さんのみ。
仲が悪いも無いけれど、なかなかに辛口がおおかった。
テレビ共演した野村沙知代が近付いてきて、嫌がっていたのは覚えている。
「日活時代の恋愛や噂話」
→身内では公然の事実があるのだが、これは関係人のプライバシーにも関わるので話を伏せておく。
本人曰く、スターになるまでの道のりに関しては「私は他の人のような苦労を重ねた方ではない」と言っていた。
「現場でのエピソード(気が強い?優しい?)」
→大女優になってからしか分からないけれど、役柄を日常に取り込むようなことはなかった。
その場で切り替えて終わり。
激泣きして崩れ落ちるラストで幕が降りると、ムクっと何もなく立ち上がり「おつかれさーん♬」と完全に素にもどれる、パーフェクトな職業役者だった。
人物像・名作紹介(補完的コンテンツ)
「若い頃の美貌や人気」
→世の中的には若尾文子が時代のスターだった。
南田は二番手、性典女優と呼ばれた。
「性格や人柄、現場評判は?」
→みんなが頭を下げて、ただただすごい人という扱いだった。
いわゆる芸能界では腰も頭も低く、きどらなかった。
業界で南田の悪口を言う人はいない。
長門は金払いが良かったので、違った意味で悪く言われることも回避していた。
「南田洋子のファッションやメイク」
→普段はすっぴんで地元を歩いていた。
ただのおばちゃん。
「綺麗ね」とはよく周りに言われていた。
記憶の限りに書いているが、自分でも驚きなのは全く色褪せていないこと。
遠い昔に他界した親父は結構薄くなりかけているのに比べ、やはり南田の記憶は強い。
ほんの少しでも真実=事実が残って欲しい気持ちで書いている。

