泪橋~逢隈の出水(1)
為氏と三千代姫の仲睦まじい様子は、長いこと家中の評判となっていた。図書亮とりくもほぼ同時期に結ばれたのだが、安寧と怠惰は紙一重である。りくのことを可愛いと思いつつも、最近では時折、つまらぬ言い争いをする事も出てきた。
たとえば、汁物の味付けである。
図書亮が育った一色家では、宮内一色家は鎌倉にあったものの、本家は丹後で都に近い。そのため、一色家の味付けは、京風の素材の味を活かした薄味である。
対して、りくは生粋のみちのく育ちだ。そのため、京風の薄味に馴れた図書亮の舌には、りくの味付けは相変わらず辛すぎるのだ。それを何度も申し出て薄味にしてくれるように頼むのだが、りくはなかなか改めてくれないのだ。
「せっかくの木の子の味が、殺されるじゃないか」
今しがたも、図書亮はりくに控えめに注意したばかりである。話題になっているのは、秋の味覚である木の子の汁だった。図書亮は木の子の旨味を味わいたいのだが、木の子の出汁よりも味噌の風味が勝っているのが、何となく気に入らない。だが、りくは図書亮好みの薄味を嫌う。
「そんなに申されるのならば、白湯でも啜っていらっしゃればいいでしょう」
りくはつんと顎を上げてみせた。それをおろおろと見ているのは、間もなく嫁取りをする予定の忍藤兵衛だった。
「図書亮。お前、作ってもらえるだけ有り難いと思え」
「だそうですよ。一色さま」
藤兵衛の妻となる予定のはなが、笑いを噛み殺しながら藤兵衛の言葉に乗った。藤兵衛の家は、図書亮夫妻の住む根岸から少し離れた、「宿」という一風変わった名前のところにある。
秋の刈入れを前に、その手伝いを頼むために二人揃って遊びに来たのだった。
「お主も、結婚して一年も過ぎればこうなるさ」
悔し紛れに、図書亮はそう言い捨てた。とは言え、りくに対してはちゃんと感謝の念を持ち続けている。
「御屋形様だったら、きっと図書亮さまのような意地悪は仰っしゃらないわ」
りくは、じろりと図書亮を睨んだ。
「何を言う。御台様は、御屋形様の意を先んじて察する賢さをお持ちだろう」
負けじと、図書亮も言い返す。
「まあまあ」
その席で、唯一まだ連れ合いのいない倭文半内が、機先を制した。
「独り者の俺からすれば、御屋形様たちもお主らも、羨ましい限りだ」
半内の言葉に、一同はようやく笑みを取り戻した。
「倭文様。つけましょうか」
半内の言葉に気を取り直したりくが、木の子汁のおかわりをしてやろうと、手を出した。半内も、軽く頷いて碗を出す。りくがそれにたっぷりと汁を注ぐと、湯気がふわりと漂った。
「それにしても、御屋形様と御台様のお仲は、相変わらずよろしいですよね」
はなは、感嘆のため息を漏らした。はなも、りくと同じ様に岩間館に伺候しているのである。彼女は、服部氏の一族の娘だった。服部は、やはり須田氏の古くからの家臣である。
「市之関館のお花見の舞は、お二人とも見事だったのでしょう?」
あの日、心ならずも峯ヶ城に留め置かれたりくは、御台から図書亮が下賜された山桜の枝に感じ入るところがあったのだろう。しばらく大切に活けていた。
「確かに、夫婦の呼吸とでもいうのかな。御台様は佐保姫が舞っているのかと思ったし、御屋形様は毘沙門天のような凛々しさだった」
藤兵衛もあの日、樫村らの下働きを手伝いながら、遠目に姫の舞を見ていたらしい。
「図書亮は、御屋形のために今様を詠じたんだっけ」
半内は残念ながら、あの宴に伺候出来なかったのだった。後で他の者から花見の宴の模様を聞き、相当に悔しがったらしい。
「美濃守様が無茶を仰るから、肝が冷えた」
あの時のことを思い出すと、図書亮もやや誇らしい気持ちになる。三千代姫の機転の利いた歌に対応させ、かつ当世らしい歌を謳えと、なかなかの難題を吹っかけられたのだった。
「伯父上も、あれで図書亮さまを見直されたようです」
りくも、穏やかに微笑んだ。図書亮の鮮やかな切り返しは「箭部の一族」としても面目を保つことが出来て、鼻の高い結果だったのだろう。
「ふうん。戦ばかりが功を立てるところではない、というところか」
半内が、ごちた。彼は教養よりも武芸に力を入れているところがあり、花見の席に呼ばれなかったのは、それもあるだろう。
「それにしても、御台様が御屋形様に引けを取らないというのは、どうなのでしょう」
はなが、やや気遣わしげに藤兵衛に尋ねた。三千代姫が夫と対等に渡り合える教養を備えた姫であるのは確かだが、それが須賀川衆の増長を招いているところもあるのだった。
姫には何の罪もないとはいえ、須賀川衆が「姫を自慢する」のが、和田衆は何となく面白くない。
「難しいところだな」
藤兵衛も箸を止めてはなに答えてやる。図書亮も、はなや藤兵衛の見立てに賛成だった。
「御台は賢い。御屋形も、御台のそのようなところをお気に召しているのだろう。だが、賢すぎる女は時として男からすれば目障りにもなる。御屋形様は、まだその辺りの機微をお分かりになっておられない気がするんだよな」
図書亮は、それが気がかりだった。図書亮とりくも夫婦喧嘩をすることはあるが、りくは決して、図書亮の教養や仕事に口を挟むような真似はしない。だから、先程のような喧嘩が生じたとしても、それほど深刻にならずに済んでいるのだ。
だが、御台は違う。夫の為氏と趣味を分かち合い、同じ目線で物事を語ることができる。為氏はそれを好ましく感じているようだが、四天王を始め、家臣の男たちは為氏と同じ目線で物事を語る御台に対し、微妙な感情を抱いているのを、図書亮はうっすらと感じていた。
中でも、美濃守は表面上は御台に付き従いながらも、時折主夫婦を見守るその目には、複雑な色合いが浮かんでいた。
「女は、少々頭が空っぽの方がよろしいということ?」
りくにしては、やや意地の悪い言い方だ。図書亮の物言いの癖が移ってきたのだろうか。
「いや、そうではないがな……」
言葉を濁す図書亮に、半内が合いの手を入れた。
「男の沽券に関わる、ということか」
「なるほどね」
半内の言葉に合点がいったのか、りくが肯いた。
「男の方々も、大変ですこと」
くすりと、はなが笑う。男たち三人も、顔を見合わせて苦笑するしかなかった。
©k.maru027.2023
>「逢隈の出水(2)」へ続く
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